27 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

お相撲、千秋楽
2023-09-25
お相撲=九月場所が終わってしまった。
 結局、今場所はカド番大関だった貴景勝が11勝4敗で優勝。優勝決定戦では、立ち会いで頭を下げて突進する平幕熱海富士を左にかわしながら熱海富士の頭を押さえつけて土俵に這わせる、という相撲をした。突進した熱海富士の側からすれば、はるか格上の貴景勝は自分の当たりを真っ向から受けてくれなかったわけである。テレビに映し出された熱海富士はとっても悔しそうだった。
 大関になってからの貴景勝が、ケガ続きでいかにも大変なのは理解できる。関脇大榮翔を相手に真正面から戦って勝利し、そのまま時間を置かずに臨まねばならなかった優勝決定戦だ。相手は若くて勢いがある。心を鬼にして勝ちにいった、ということだろう。本割りでは力の差を見せつけたわけだし。
 とはいえ、テレビの前でぐうたらしながら観戦する私のようなものには釈然としない気持ちも残る。野次馬とはいかにも勝手なものだ。
 
 それにしても、お相撲の世界は大変な世界である。どの力士もむっちゃ強そうで、実際にむっちゃ強い。そして、誰もが熱心に稽古して鍛え上げる。実にひたむきである。全てをお相撲に捧げている、というように見える。貴景勝の優勝インタビューはそんなことをあらためて感じさせてくれた。
 幕内の土俵入りを見ていると、こんな人たちの中で戦って、抜きん出るのはいかにも大変だろうなあ、と思う。ゾッとするくらいだ。十両の土俵入りならどうか、と見てみても同じように思う。では、幕下ではどうか。
 幕下に土俵入りはない。NHK-BSで午後一時からの相撲中継を見ると、三段目くらいからの取り組みを見ることができる。これを見ると半日が全て潰れてしまうが大変勉強になる。幕下はもちろんのこと、三段目だからといって、手抜きの相撲は一番もない。互いに精一杯ぶつかり合って懸命に相撲をとっている。三段目よりさらに下位の序ニ段、さらに下位の序の口でも懸命さは変わらないだろう。そういう人々が勝ち負けでしのぎをけずっている。すごい世界である。
 そんな中で頭角をあらわし、幕下、十両、幕内と登って行って、登るだけでなく落ちたり登ったり、怪我をしたり、治ったり治らなかったりして、その都度格付けされる。お相撲は番付社会なのだ。だから、三役、横綱と簡単に言っているが、これはもうとんでもない人たちなのである。尊敬ということに値するだろう。
 尊敬、ということでは、例えば今場所三段目優勝の北播磨。の言葉に感動した。今年37歳で、登ったり降りたり、今三段目の北播磨は「相撲がますます好きになった」というのである。
セザンヌを見に永青文庫に行った
2023-09-21
 文京区目白台の永青文庫に行った。
 家人が情報をくれたのである。永青文庫で今やってる「細川護立の愛した画家たち」展に初期のセザンヌの絵が一点出てるって、24日までだよ。
 なので、ありえないほどの残暑にもめげず、都バスの「椿山荘前」バス停に降り立ったのである。バス停から少し歩いたが、矢印のついた“標識”があって、永青文庫まで迷うことはなかった。が足取りは重かった。筋力の低下か? まずいぞ。
 チケットを買い終わると、4階からご覧ください、と受付のお姉さんが言った。エレベータで4階まで登った。
 4階会場には順路が示されていて、安井曽太郎のパレット(サイン入り)の展示から始まっていた。満州の喇嘛廟を描いた絵やデッサンや安井から細川宛の手紙など数点。中に横山大観を描いた肖像デッサンがあって、説明文に戸惑ってしまった。当時人気の画家たちが集まって、横山大観の肖像を描く会を何度か行なった、というのである。横山大観を皆で描く、その意味が分からない。安井も細川からの呼びかけに応じて参加し、きっとぶつぶつ言いながら描いて、頭部の周囲に、えいっ! とばかり緑色を塗りつけている。安井とか梅原とかになると、「古池や、、、」みたいなもので、優れているのかどうか分からなくなっている自分が悲しい。
 そして、セザンヌである。「登り道」と題されたその水彩を見たことがなかった。わざわざやってきて入場料を払っただけの値打ちがあった。横長の絵である。絵に見入ろうとしていると、私より先に入場していたと思われるご婦人同士の会話の大きな声に気づくことになった。
 たまらず声の方に目をやれば、梅原龍三郎の「紫禁城」の前で、ちょっとおしゃれをしてきた様子の三人の老婦人が、楽しそうに鑑賞ということをしている。誘い合わせての久々のハレの日で、きっと互いに耳が遠いのだろう、だからつい声が大きくなっている、と考えた。それにしても声が大きい。大きすぎる。
 大きな声で互いに感想を述べ合い、知識の“ようなもの”を披露し合い、連想ゲームも行なって、それが果てしなく続く。いわゆる“マウントの取り合い”である。堪忍してほしいが、そのうちにこの部屋から出て行って下の階へと移動するだろう、と思って我慢した。我慢したが、セザンヌの絵には集中できない。しょうがないので、絵から離れて、高見澤忠雄という人が取り組んだというそのセザンヌの絵の複製の制作過程を見たり、武者小路実篤から細川宛の手紙を読んだりしていた。
「ウポポイ」に行ってきた
2023-09-14
 大事な用事があったので、北海道に行ってきた。
 私はJRに縁もゆかりも利害関係も何もないが、「大人の休日倶楽部」というのがあって、私どもは夫婦で“会員”である。吉永小百合さんがCMやポスターに登場するアレだ。その「休日倶楽部」メンバーを対象に五日間乗り放題の格安チケットが販売されているのを家人が見つけたのである。家人は、このチケットなら用事が済んだら鉄道で北海道のどこにでも移動できるでしょ、と言った。北海道までの行程も割引対象だったので、ふだんなら飛行機にするところだが、えいっ、と新幹線に乗り、青函トンネルをくぐり、在来線にも飛び乗って、用事を真っ先に済ませるべく頑張ったのであった。

 用事を終えて“自由”になった次の日は、「台風13号」の影響で北海道にも断続的に土砂降りが襲っていた。ならば屋根のある「ウポポイ」に行ってみようではないか。ずっと気になっていたし、傘も持ってきたし。
 白老(しらおい)駅に降り立つと、ちょうど雨は小降りになっていた。駅も駅周辺もとてもきれいに整備されていて驚いた。件の用事のために訪れた倶知安(くっちゃん)、各駅停車の乗り継ぎのために生じた時間を駅から海まで往復しながら駅前の様子も見物した長万部(おしゃまんべ)、宿をとった登別(のぼりべつ)。これらの駅前の寂れた感じに比べれば、白老は国立の「ウポポイ」が開設されたからだろうか、別格といえるほどの整備のされ方だった(倶知安などは数年後には北海道新幹線の停車駅になるそうだから、時を経ずどんどん整備されていくのだろう。それが良いことなのかどうか、私には分からない)。
 白老駅から「ウポポイ」までの遊歩道では、雨がほぼやんでいた。遊歩道の脇の野草たちが瑞々しかった。可愛らしい花々でいっぱいの野草もあったが、名前がわからない。朝ドラの「万太郎」のようにはいかないのである。
 遊歩道が終わって、今度は幹線道路沿いを進む。車の行き来が多い。「ウポポイ」は道路の向こう側。が、歩行者が横断するための信号機がない。かわりに(?)人々が道路を横断するあいだ車をとめていてくれる交通整理の年配の男性が旗を持って控えてくれている。安心して道路を渡ると、「ウポポイ」の敷地入り口にも年配の男性が控えていて、こっちです、と案内してくれた。
 「ウポポイ」敷地内の、最初のアプローチに設営されているコンクリート製の壁の構成に意表を突かれた。特別な場所へと誘われている感じが巧みに演出されている。コンクリート壁の表面には、北海道の原生林に入り込んで動物や鳥たちに出会ったかのような画像がかなり精巧に仕込まれている。勉強不足で、どうやってこの画像を作ったものか、わからない。わからないが、壁の上部に姿を見せるまだ小さな樹木が、やがて大きく育ってコンクリート壁と絶妙なコントラストを作り上げるのだろう。
 入場券を購入して、「国立アイヌ民族博物館」の入り口でビニール袋をもらって中に濡れた傘を収めた。一階にショップ。エスカレータで2階に上がると、大きな窓からポロト湖を含む辺りの景色が一望できる。しばらく堪能ということをして展示室に向かうと、多様な北方民族の人々が映像で出迎えてくれる。彼らの中からアイヌの男女が出てきて、展示場入り口まで案内してくれる。映像が観客の動きに同調するので驚いた。

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