藤村克裕雑記帳

藤村克裕雑記帳260 2024-06-25

「シルバーデー」に東京都現代美術館に行った

 ある方が、毎月第三水曜日は「シルバーデー」ということになっていて東京都現代美術館、東京都写真美術館、東京都庭園美術館はどの展覧会も65歳以上は無料ですよ、とSNSに投稿していた。で、東京都現代美術館に行ってみたのである。6月19日=6月の第三水曜日。晴れ。
 私は、自慢ではないが(自慢にもならないが)、とっくに65歳を過ぎておりハゲである。わずかに残された頭髪はとっくに“シルバー”なので、チケット売り場の窓口のお姉さんに、運転免許証(ずっとペーパー・ドライバーの“ゴールド”カード)を示すと、お姉さんは快くチケットを差し出しながら、これですべての展示をご覧いただけます、とにこやかに言った。「シルバーデー」はほんとだった。とっても嬉しかった。

 まず、「翻訳できないわたしの言葉」展を見た。
 出品者は、ユニ・ホン・シャープ、マユンキキ、南雲麻衣、新井英夫、金仁淑の各氏なのだが、私は不勉強でいずれの人も全く知らなかった。それに加えて、私は、展示会場に掲示される文章を丁寧に読み込む習慣がない。だから、見終わっても、正確な理解ができていないだろう。当てずっぽうに書けば、おそらくこの展覧会は、常日頃、広い意味での「言葉」の問題をかかえて、日本語と外国語(フランス語やポルトガル語)、標準語と方言、日本語とアイヌ語やハングル、手話と音声、身体言語、というような複数の「言葉」を行き来しながら、さまざまな活動をしている人たちを紹介する、という展覧会のようであった。
 不可解なことに、フライヤーにも、会場で“配布”される(各自持ち帰って良いという)各種文書にも、出品者についての略歴などの情報は書かれていない(図録には書かれているのかもしれないが、購入していないし、確認していない)。なので、帰宅してから、出品者たちの情報をインターネットなどで確認してみた。以下、簡単に示しておく。
 ユニ・ホン・シャープ氏は、在日コリアン2世として東京で育ち、長じて渡仏しフランス国籍を得てフランスと日本を行き来しながら活動を継続している(らしい)。マユンキキ氏はアイヌとして北海道で生まれ育ったが、長じてから意思的にアイヌ語やアイヌ文化を学んで身につけ、個人の視点からアイヌについて考えつつ音楽などさまざまな活動をしている(らしい)。南雲麻衣氏は聴覚障害者として「日本手話」と「音声日本語」とのはざまを行き来しながら活動を展開している(らしい)。新井英夫氏は亡き野口三千三氏の「野口体操」の影響下で「体奏家(たいそうか)」を自称し、「からだ」をてがかりにダンスやワークショップなどの活動を展開してきたが、近年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、日々、極めて深刻な事態の中にいるが活動を継続している(らしい)。金仁淑氏は在日コリアン3世として大阪で育ち、韓国に留学後、日本と韓国とを行き来しながらビデオ映像を用いて作品制作と発表とを続けている(らしい)。
 それぞれの作品についても詳しく述べたほうがいいに決まってるが、私の力量では端的にそれらを述べるのはムリである。会場には、なんといっても、ビデオ映像が多く、扱われている内容も多岐にわたる。はじめのうちはひとつずつ丹念にきちんと見ようとしていたものの、次々に登場してくるビデオ映像をひとつひとつそのように見ていくと、ものすごく時間がかかるのは容易に予想された。で、やむを得ず、というか、知力的・体力的な問題もあって、その時その時の気分で途中で切り上げて次に移ったりすることになった。つまり、私はすべての映像をきちんと見ていないのである。この展覧会のことも出品者のことも何も知らなかったうえに、無料だから、と不純な動機で入場したことに加え、展示の大部分を構成するビデオ映像をきちんと見ていないのだから、ここで何事かを言えるはずもない。ないが、あえて以下メモしておこう。
 各種映像機材の進化は、今や、誰にも分け隔てなくある水準の映像を安定的に扱うことを可能にしている。さらに、“ビデオインスタレーション”といわれるほどにビデオ映像の展示方法は多彩になって、しかもそれが“一般化”してきている。この展覧会での作品群の展示も例外ではない。
 あえて述べるが、この会場のビデオ映像は、記録や資料としての役割を果たせていても、それらを、作品、として示されると、“ゴールドカード・シルバー・じじい”としては、正直、当惑せざるをえず、また、実に物足りない。
 さらに、あのマルセル・デュシャンによって100年以上も前になされた「レディメイド」の“導入”が、いまや常識化し当たり前になって、さらにそこにある種の“物語”さえ加えて、たとえば会場を“自分の部屋”のように装って「インスタレーション」されている中に、あらかじめ「パスポート」なる作品にわざわざ署名するという手続きをして入り込み、まるで覗き見するようにプライベートなさまざまな物品を“鑑賞”しても、そこに予想外のあらたな発見があるわけでもなく、やはり当惑し、物足りない気持ちに陥るのであった。
 わずかに、新井英夫氏の展示会場の上方に、薄くて大きな白い“布”が拡げてゆったり渡されていて、それも確かに「レディ・メイド」の布であるわけだが、それが会場の空気の流れに反応して揺れ動く様子をしばし眺めて、ある種の解放感に浸ることができたことが印象に残っている。
 最後の部屋は「ラウンジ」と名付けられていて、観客の参加を促していたが(誰がどう促していたかは不明)、立ち止まる気にさえなれず、素通りしてしまった。

 一旦外に出て軽い食事を終えたあと、次に「ホー・ツーニェン エージェントのA」展を見た。 
 私は、このホー・ツーニェン氏のことも知らなかった。シンガポールの作家だということである。
 あーっ!
 今(文字通り、今)、書きながら(=打ち込みながら)思い出したのだが、以前、「あいちトリエンナーレ」で、豊田市の古い旅館だったかの建物で映像作品を発表して話題になっていたのはこの人だったのではないか? (慌てて調べてみると間違いなかった。) 当時、その作品を見に行きたい、と思ったことも思い出した。なるほど、それでガテンがいった。
 で、モトに戻るが、会場は地下階だった。階段を降りていくと、銅鑼を示した映像(CGアニメーション)が左側壁にあって、右側奥にVR作品参加・鑑賞のための受付があって、きれいなお姉さんと目があって、お姉さんはにっこりしてくれた。なんだかわからないけどせっかくだからVR体験してみるべか、と受付をして、二時間ほど経ったらあそこに集合してください、と指差しで教えてもらって、先に進もうとすると、この展覧会タイトルが大きく示された壁の右側上方に、全く同じ形状・同じ型の丸い時計が秒針を含めて全く同じ時刻を示しつつ横に並んでいるのが目に入った。
 あれま、これは、時計の型や色は違っているが、フェリック・ゴンザレス=トレスのあの作品(確か「完全な恋人たち」とかいうタイトルの作品)そのものではないか、と思ったのだった。思わずキャプションに近づいて読めば、ホー氏の確信犯的ふるまいであることが分かった。こういう時代になったか、、、と感慨にふけりながら次に進めば(“回れ右”をすれば)、壁に映像作品がプロジェクションされていて、私はその作品(「CDOSEA」=東南アジア批評辞典=Critical Dictionary Of Southeast Asia)にすっかり囚われてしまい、気に入って長い間佇んだ。
 映像の繋がりには“脈絡”というものを見出せない。言うならば映像のコラージュ(というか、モンタージュ)なのだが、これらの動画はインターネットで採取したもののようで、それに音とナレーションが重なって重層して展開する。それら相互の組み合わせはアルゴリズムにしたがっているという。そのアルゴリズムはホー氏が作ったものであろうか。音は東南アジア各地で採取したもの、ヴォーカルはホー氏とミュージシャンたちによるものだという。映像も音も大変テンポがいい。こうしたものがAからZまで辞典のようになっている映像作品らしい。私が佇んだのは「A」の項らしく、東南アジアとは何か、と問うための辞典。見ていると、次々に展開・あるいは反復したりずれたりしながら進行する映像や音やナレーションや字幕の重なりによって、私自身が東南アジアについて完全に無知であることが露呈してくるのであった。
 この作品の左側壁には、時間をテーマにしたアニメーション作品が四つのモニタに映し出されており、それぞれ短時間でループしていて、次の部屋への導入の役割も果たしている。次の部屋では時間の問題をさまざまに問いかける多数のアニメーション作品が壁と部屋中央ののモニタに映し出されている。時間、などというのは、私には最も苦手な分野であり、これらの作品にはほぼ応答できず、悲しい。時間をテーマにした同様の作品は、その後登場してくる三つの大きな部屋をつなぐいくつかのスペースにも配されており、入場後すぐに、あの並んだ時計の“作品”があったことを考え合わせると、この展覧会全体に「時間」というテーマが見え隠れしているように感じるのだった。これらの総体(42点)が「時間(タイム)のT:タイムピース」という作品らしい。
 暗幕で光を完全に遮っている次の大きな部屋に入ると、天井から下がる大きな横長の枠に紗幕のスクリーンが張られており、その奥の壁全体とともに、それぞれプロジェクタで映像が投映されていた。帰宅してから整理して考えると、紗幕に投影されていたのは「ヴォイス・オブ・ヴォイス 虚無の声」という作品。座敷のようなところで座卓を囲んで四人の男たちが話をしているアニメーションが映し出されていて(「左阿彌」という作品らしい)、奥の壁には同じ部屋らしき状況が映し出されているが、そこに人の姿はない。それらの画像の重なりの結果、じつに不思議な空間が生じている。なるほど紗幕を使えばこんなこともできるのだ。紗幕は舞台作品でたびたびこのような使い方をされるが、ちょっと虚をつかれた思いがした(やがて手前の紗幕にも奥の壁にもちがう映像が投映されていく)。
 投影されているアニメーションの男たちの発言は、じつに難解である。男たちは、京都学派と呼ばれた人々で、西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高。私でも彼らの名前くらいは知っている。どうやらホー氏は、日頃私たちが忘れ去っている(もっと言えば、忘れ去ろうとしている)かつての日本による東南アジア占領について、こうして京都学派の人々を持ち出すことによって、改めて見据えようとしているのではないか、と思われた。そういえば、さっき思い出した豊田市の古い旅館でのホー氏が発表作もまた先の太平洋戦争をめぐるものであったはずだ(実見していない)。ホー氏が生まれ、今も活動の拠点とするシンガポールは、かつては「マラヤ」と呼ばれていて日本の占領下にあったのである。私(たち)はこうした歴史にあまりに無知である。歴史の事実から目を逸らすな、ホー氏は(マラヤは)けっして逸らさないぞ、ということであろう。
 ほかの二つの大きな部屋では、右と左の壁への映像の投映、部屋中央に立つ壁の表と裏への映像の投映、というように設定されていて、それぞれ飽きさせない。時にすでに前の部屋で見た映像がプロジェクションされて戸惑わされたりする。こうした入り組んだ仕掛けも、同時に時間について問いかけるためになされているようにも思われる。
 そうこうしているうちにVR体験の集合時間になっていた。そこには先ほどの座談会が掲載された『中央公論』誌や三木清、戸坂潤の著作が展示されていた。係の人から簡単な説明を受けた後、吹き抜けのあの大きなスペースに踏み込むと、そこには八人分の“装置”が畳敷に設営されていた。畳に上がって、ゴーグルを装着もらって、やがて始まった。
 座ったり、寝転んだり、立ち上がったりすると、ゴーグル越しに見えたり聞こえたりしている場面が移動していく。座った姿勢では、3Dで見えているさっきの京都学派の四人が、それぞれ顔が中央から開いて“のっぺらぼー”の顔が現れたりする。やがて座談会の卓上に白いものがあることに気づくと、手が登場して、その手でペンを握ることができ、白いもの=紙になにかしら記述できたりして、四人の男それぞれの声が聞こえる。ということは、その時、私は座談を速記する役割=中央公論社の「大家益造」。やがて彼が作った反戦的な短歌が読み上げられる。寝転べば、地下の牢獄。“京都学派左派”の三木清や戸坂潤の言葉が聞こえてくる。彼らはこうした不潔で劣悪な環境に囚われて獄死していった。立ち上がると空に上昇していく。などなど。
 それなりに面白かった。これらは、それまでに通過してきた大きな部屋での映像作品=「ヴォイス・オブ・ヴォイド 虚無の声」で見てきたものを踏まえている。

 さらにコレクション展を訪れた。意外にも(失礼!)、とても面白かった。
 鹿子木孟郎や柳瀬正夢の関東大震災後の東京のスケッチから始まって、なんと、藤牧義夫の隅田川絵巻が出ている。松本竣介も出ている。尾藤豊の作品をはじめてまとめてみた。中野淳の達者なスケッチ、もちろん中村宏「砂川5番」、、、。などなど。
 二階展示室の松江泰治氏の写真群のあまりの精緻さに目を見張ったり、その次の部屋のマヤ・ワタナベ氏のビデオ作品に見入ったりしているうちに、すでに夕方5時近くになってしまっているのに気づき、慌てて帰宅の途についた。

 というわけで、「シルバーデー」を堪能させてもらった次第。
 サエボーグ氏と津田道子氏の展示までは見ることができなかった。これはまた時間を見て訪れたい(もともと無料らしいし)。毎月第二水曜日は都立美術館訪問、ということにしようと思った。
 あ、竹橋の東京国立近代美術館も「コレクション展」は65歳以上は無料。意外と知られていない。近美のコレクション展も面白い。

 そういえば、都現美の「コレクション展」には、「シルバーデー」の数日前に西船橋に降り立って訪れたギャラリー=Kanda&Oliveiraでみた福田尚代氏の作品があった。それは、随分以前にやはりこの現代美術館の企画展で見たことがある作品だった。文庫本の一部に緑の刺繍糸で無数の結び目を作ってある作品。池内晶子氏の糸の作品と共に強く印象に残っていたものだった。西船橋で発表中の作品群とはまた趣が違って見えていた。
 西船橋で見た福田氏の作品についてもメモしておきたいが、時間が経ってしまったうえに、今日はもう、疲れてしまった。この展覧会は、あきれるほどすごいのでお勧めしたい。水木金土のみ。26日まで。あと4日。まだ間に合う。ぜひ。無料。

(2024年6月25日、東京にて)

・翻訳できない わたしの言葉
2024年4月18日(木)-7月7日(日)
時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜
会場:東京都現代美術館 企画展示室1F
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
公式HP
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/

・ホー・ツーニェン エージェントのA
2024年4月6日(土)-7月7日(日)
時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜
会場:東京都現代美術館 企画展示室 B2F
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
公式HP
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/HoTzuNyen/

・MOTコレクション
歩く、赴く、移動する 1923→2020
Eye to Eye—見ること
2024年4月6日(土)-7月7日(日)
時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜
会場:東京都現代美術館 コレクション展示室
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
公式HP
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mot-collection-240406/

・福田尚代 ひとすくい
2024年5月18日 - 6月29日
時間:13:00-19:00(水曜-土曜)
会場:Kanda & Oliveira
公式HP
https://www.kandaoliveira.com/ja/exhibitions/


画像1:東京都現代美術館 領収書
画像2:翻訳できない わたしの言葉 フライヤー
画像3:ホー・ツーニェン エージェントのA フライヤー
画像4:MOTコレクション 歩く、赴く、移動する 1923→2020 Eye to Eye—見ること フライヤー
画像5:福田尚代《『ナイン・ストリーズ#02』》2003 作品写真
コレクション会場で配布されている小冊子から

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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