立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
橋本で「スタジオ」巡りをした(3)
2016-01-18
ツアー後のシンポジウムでは、ゲストの平倉圭氏が、「スタジオ」とのかかわり方が、クールに一過性のもの、ととらえている人、その場に住み着くことを大事にしているような人、と二分できそうだ、ということから始めて、いろいろ述べていたことは、さすがにするどさを感じさせた。乱暴に言っちゃいけないなあ、と文字通り頭を抱えて考えている様子は、誠実さを感じさせてくれて好感を持った。また、制作中の大事なタイミングで入り込まざるをえない他者の視線の意味について、それがいやだからスタジオは一人で構える、という参加者がいろいろ問題を提起していたのも興味深かった。
考えてみれば、芸大とか美大とかいうところは、今回訪れた「スタジオ」みたいなもので、そこでは絶えず他者の視線が交錯しながら制作がすすむわけだ。他者の視線がある場、というところにこそ大学の意味があるのかもしれない。
そういうわけで、大変面白い一日だった。シンポジウム後の懇親会にも誘ってもらったが、かなり疲れていたのが自覚できたので、失礼して帰ってきた。
(11月3日、東京にて)
考えてみれば、芸大とか美大とかいうところは、今回訪れた「スタジオ」みたいなもので、そこでは絶えず他者の視線が交錯しながら制作がすすむわけだ。他者の視線がある場、というところにこそ大学の意味があるのかもしれない。
そういうわけで、大変面白い一日だった。シンポジウム後の懇親会にも誘ってもらったが、かなり疲れていたのが自覚できたので、失礼して帰ってきた。
(11月3日、東京にて)
橋本で「スタジオ」巡りをした(2)
2016-01-15
バスで訪れた「スタジオ」は7つ。
どこもきちんとお客様を迎える体制を整えていた。
がっちりと立派な建物から、歪みつつある外観に驚かされてしまうような“仮設”の建物まで、その環境は様々だった。あるスタジオで、大槻氏らから、ここには唯一エアコンがあります、とわざわざ説明があったのは、うらやましさがにじみ出ていて、実に共感できた。私の仕事場にもエアコンはない。
「スタジオ」内部の、作品の“インスタレーション”も様々だった。日常の制作の様子をある程度とどめながら作品展示している「スタジオ」。そうではなく、一切の生活感を排除してしまうくらい展示に集中した「スタジオ」。展示されていた作品とともに、それぞれ面白かった。
どこもきちんとお客様を迎える体制を整えていた。
がっちりと立派な建物から、歪みつつある外観に驚かされてしまうような“仮設”の建物まで、その環境は様々だった。あるスタジオで、大槻氏らから、ここには唯一エアコンがあります、とわざわざ説明があったのは、うらやましさがにじみ出ていて、実に共感できた。私の仕事場にもエアコンはない。
「スタジオ」内部の、作品の“インスタレーション”も様々だった。日常の制作の様子をある程度とどめながら作品展示している「スタジオ」。そうではなく、一切の生活感を排除してしまうくらい展示に集中した「スタジオ」。展示されていた作品とともに、それぞれ面白かった。
橋本で「スタジオ」巡りをした(1)
2016-01-13
11月1日。京王線に乗って、橋本に行って来た。知り合いの若い美術家・大槻英世氏が、橋本一帯で開催中のオープンスタジオを巡るバスツアーとシンポジウムを企画した、と聞いたので、参加させてもらったのである。集合場所は「アートラボはしもと」。駅からてくてく歩くことにした。
駅の向かいに相原高校。ここは昔「橋本高校」といっていたのではなかったか。『サラダ記念日』の俵万智さんが教員をしていたはずだ。それはともかく、相原高校を右手にして線路沿いを道なりに行く。大規模なスーパーマーケットや高層住宅が次々に現れ、橋本の変貌ぶりにびっくりした。やがて、「アートラボ橋本」が唐突に出現、新しい立派な建物で、またびっくりした。
橋本とか相模原のあたりには、多摩美大、東京造形大、女子美大がある。卒業後、住いのための限られた空間で制作活動を続けるのはなかなか難しい。おのずと仕事場がほしくなる。そこで、仕事場を共同運営することを考える。橋本辺りに「スタジオ」が多数散在しているのには、そういうわけがある。比較的大きい空間が安く借りられる条件が残っている。
昔なら「共同アトリエ」と呼んでいたものである。フランス語の「アトリエ」から、英語の「スタジオ」になったわけだ。そこにさえ、ある感慨が生まれてくる。
それら「スタジオ」を秋の一定期間解放していて、それらのうちの7つをバスで巡ってくれる、というのである。「アートラボはしもと」には、すでに中型のバスが控えていた。
さっそく大槻氏が私を見つけて、声をかけてくれた。気の小さい私は、これで、随分気が楽になった。
駅の向かいに相原高校。ここは昔「橋本高校」といっていたのではなかったか。『サラダ記念日』の俵万智さんが教員をしていたはずだ。それはともかく、相原高校を右手にして線路沿いを道なりに行く。大規模なスーパーマーケットや高層住宅が次々に現れ、橋本の変貌ぶりにびっくりした。やがて、「アートラボ橋本」が唐突に出現、新しい立派な建物で、またびっくりした。
橋本とか相模原のあたりには、多摩美大、東京造形大、女子美大がある。卒業後、住いのための限られた空間で制作活動を続けるのはなかなか難しい。おのずと仕事場がほしくなる。そこで、仕事場を共同運営することを考える。橋本辺りに「スタジオ」が多数散在しているのには、そういうわけがある。比較的大きい空間が安く借りられる条件が残っている。
昔なら「共同アトリエ」と呼んでいたものである。フランス語の「アトリエ」から、英語の「スタジオ」になったわけだ。そこにさえ、ある感慨が生まれてくる。
それら「スタジオ」を秋の一定期間解放していて、それらのうちの7つをバスで巡ってくれる、というのである。「アートラボはしもと」には、すでに中型のバスが控えていた。
さっそく大槻氏が私を見つけて、声をかけてくれた。気の小さい私は、これで、随分気が楽になった。