立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
ゴッホ展を見てきた
2021-10-18
ゴッホ展を見てきた
家人が予約してくれたので、上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホ展」を見に行くことができた。家人がやってくれるとはいえ、事前に予約してその日に美術館を訪れるのは面倒だ。でも、予約して入場日時に縛られる、ということに次第に慣れてくると、ムッチャ混み合って入り口前で行列に並んだりするよりは、はるかにいいかもしれない。
今さらゴッホでもないだろう、という人がいたりするが、私はそうは思わない。何度でも見たい。ゴッホやセザンヌやスーラは全部見たい。
スーラが一点あった。横にシニャックが並んでいた。かなりいいシニャックではあるが、申し訳ない、シニャックには目が行かない。並ぶとその違いは一目瞭然であった。
他にミレー、ファンタン・ラトウール、ルノアール、ピサロ、ルドン、アンソール、グリス、ブラック、セヴェリーニ、モンドリアン など。モンドリアンにも興味をそそられた。
入場後の最初のところに「療養院の庭の小道」(1989年)があった後は、なかなかゴッホが出てこない。それもそのはず、へレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションからの紹介である。「ゴッホ展」とはいえ、出品作のうち4点のゴッホ以外は、クレラー=ミュラー美術館の所蔵作品で構成されている。クレラー=ミュラー美術館には行ったことがない。そういう人のためにパネルの説明が続いていたが、素通りした。
エスカレーターで上の階に行くとゴッホのデッサンが並んでいる。何かの本で10歳くらいのゴッホが描いた風景のデッサンの図版を見てたまげたことがある。手慣れていて大人みたいで、ものすごく上手いデッサンだった。最初から違っているんだなあ、と思ったものだ。おそらく「お手本」を写したものだろう。横尾忠則氏は、5歳の時に絵本を見て巌流島での武蔵・小次郎の決闘場面を描いたようで、それは、今東京都現代美術館で開催中の大展覧会にも出ていたから、これにも驚かされる。つまり、最初から違っているのだ。
ゴッホのデッサンは実物や実景を前にして描いたものだ。主に木炭で描かれており、ほかの素材も動員されている。大変な集中力である。
また、油絵もある。逆光の設定を含めて、明暗による現れに目を凝らしている。暗い場所=室内が舞台になっているので、おのずと絵も暗い。暗さの中の調子の移り変わりや変化を、実に繊細に捉えている。「麦わら帽子のある静物」(1881年)では固有色同士の関係にも目が向いていて、この時期には珍しい表情の絵になっている。
やがてパリに移って印象派と出会い、色彩が開放され、目覚ましいばかりの展開が始まっていく。モンマルトルを描いた絵では、あたりが農村のようでびっくりしてしまう。「石膏像のある静物」では、なんでもモチーフにして慌ただしく制作している様子が垣間見える。
アルルでの「黄色い家(通り)」には煙を吐く列車が描かれていることに気づいて驚いてしまった。
家人が予約してくれたので、上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホ展」を見に行くことができた。家人がやってくれるとはいえ、事前に予約してその日に美術館を訪れるのは面倒だ。でも、予約して入場日時に縛られる、ということに次第に慣れてくると、ムッチャ混み合って入り口前で行列に並んだりするよりは、はるかにいいかもしれない。
今さらゴッホでもないだろう、という人がいたりするが、私はそうは思わない。何度でも見たい。ゴッホやセザンヌやスーラは全部見たい。
スーラが一点あった。横にシニャックが並んでいた。かなりいいシニャックではあるが、申し訳ない、シニャックには目が行かない。並ぶとその違いは一目瞭然であった。
他にミレー、ファンタン・ラトウール、ルノアール、ピサロ、ルドン、アンソール、グリス、ブラック、セヴェリーニ、モンドリアン など。モンドリアンにも興味をそそられた。
入場後の最初のところに「療養院の庭の小道」(1989年)があった後は、なかなかゴッホが出てこない。それもそのはず、へレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションからの紹介である。「ゴッホ展」とはいえ、出品作のうち4点のゴッホ以外は、クレラー=ミュラー美術館の所蔵作品で構成されている。クレラー=ミュラー美術館には行ったことがない。そういう人のためにパネルの説明が続いていたが、素通りした。
エスカレーターで上の階に行くとゴッホのデッサンが並んでいる。何かの本で10歳くらいのゴッホが描いた風景のデッサンの図版を見てたまげたことがある。手慣れていて大人みたいで、ものすごく上手いデッサンだった。最初から違っているんだなあ、と思ったものだ。おそらく「お手本」を写したものだろう。横尾忠則氏は、5歳の時に絵本を見て巌流島での武蔵・小次郎の決闘場面を描いたようで、それは、今東京都現代美術館で開催中の大展覧会にも出ていたから、これにも驚かされる。つまり、最初から違っているのだ。
ゴッホのデッサンは実物や実景を前にして描いたものだ。主に木炭で描かれており、ほかの素材も動員されている。大変な集中力である。
また、油絵もある。逆光の設定を含めて、明暗による現れに目を凝らしている。暗い場所=室内が舞台になっているので、おのずと絵も暗い。暗さの中の調子の移り変わりや変化を、実に繊細に捉えている。「麦わら帽子のある静物」(1881年)では固有色同士の関係にも目が向いていて、この時期には珍しい表情の絵になっている。
やがてパリに移って印象派と出会い、色彩が開放され、目覚ましいばかりの展開が始まっていく。モンマルトルを描いた絵では、あたりが農村のようでびっくりしてしまう。「石膏像のある静物」では、なんでもモチーフにして慌ただしく制作している様子が垣間見える。
アルルでの「黄色い家(通り)」には煙を吐く列車が描かれていることに気づいて驚いてしまった。