立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
赤瀬川原平・未発表コラージュ展を見た その2
2018-11-09
これらコラージュ作品群の中からの発表(1963年2月、新宿・第一画廊、赤瀬川原平個展「あいまいな海について」)に際して発送した案内状(原寸大の千円札の単色刷りを案内状として現金書留封筒にて発送)が、あの「千円札事件」の端緒となったわけでもある。
で、そのコラージュ作品だが、ともかく、色がいい。ゲンペイさんのじつに確かな色感が伝わってくる。どの色も、いわゆる“きれい”な色から少しズレた独特のきれいさを備えている。そうした色同士が組み合わさって“発言力”を獲得している。
コラージュはふつう既成の印刷物を切って台紙に貼って作る。だから、台紙=貼るための“場”の設定が大事になる。ゲンペイさんの場合、あるときはガッシュのデカルコマニー、あるときは筆触が意識的に残されたガッシュの色面、あるときは複数の繊細な線、‥‥、というように台紙に手が加えられ、あらかじめ表情ある“場”がコラージュのために準備されている。画用紙そのまま、という例は見当たらない。ある表情を持った紙の上に切り取られた印刷物が貼り込まれていくのだが、その切り取り方がいい。その手つきの丁寧さがいい。貼り込まれるものの色と形と場所がいい。印刷物の持っていた特定の“意味”の露出が程よく回避されている。作業は丁寧になされ、ノリで汚れたりなどしていない(そんなことは言うまでもない)。貼り込みのあとに(あるいは貼り込みながら)さらに描きこまれる線や点線、絵の具の飛沫、脱色のにじみなどがまたいい。実に効果的である。これらの総和でゲンペイさんの“世界”が成立してくる。ある種のバランス感覚さえ伝わってくる。
他にも、兒嶋画廊が所蔵するゲンペイさんの作品も加わって(あ、瀧口修造の作品もあった)、目立たないが、とても見応えのある展覧会である。立ち会えてよかった。
(2018年11月8日、東京にて)
作品:1960-63デカルコマニー、コラージュ、ドローイング、紙、個人蔵
公式HP:http://www.gallery-kojima.jp/artists/genpei_akasegawa/
で、そのコラージュ作品だが、ともかく、色がいい。ゲンペイさんのじつに確かな色感が伝わってくる。どの色も、いわゆる“きれい”な色から少しズレた独特のきれいさを備えている。そうした色同士が組み合わさって“発言力”を獲得している。
コラージュはふつう既成の印刷物を切って台紙に貼って作る。だから、台紙=貼るための“場”の設定が大事になる。ゲンペイさんの場合、あるときはガッシュのデカルコマニー、あるときは筆触が意識的に残されたガッシュの色面、あるときは複数の繊細な線、‥‥、というように台紙に手が加えられ、あらかじめ表情ある“場”がコラージュのために準備されている。画用紙そのまま、という例は見当たらない。ある表情を持った紙の上に切り取られた印刷物が貼り込まれていくのだが、その切り取り方がいい。その手つきの丁寧さがいい。貼り込まれるものの色と形と場所がいい。印刷物の持っていた特定の“意味”の露出が程よく回避されている。作業は丁寧になされ、ノリで汚れたりなどしていない(そんなことは言うまでもない)。貼り込みのあとに(あるいは貼り込みながら)さらに描きこまれる線や点線、絵の具の飛沫、脱色のにじみなどがまたいい。実に効果的である。これらの総和でゲンペイさんの“世界”が成立してくる。ある種のバランス感覚さえ伝わってくる。
他にも、兒嶋画廊が所蔵するゲンペイさんの作品も加わって(あ、瀧口修造の作品もあった)、目立たないが、とても見応えのある展覧会である。立ち会えてよかった。
(2018年11月8日、東京にて)
作品:1960-63デカルコマニー、コラージュ、ドローイング、紙、個人蔵
公式HP:http://www.gallery-kojima.jp/artists/genpei_akasegawa/
赤瀬川原平・未発表コラージュ展を見た
2018-11-09
赤瀬川原平、若き日のコラージュ作品が並ぶみたいだよ、といつか誰かから聞いたのを思い出して、国分寺、兒嶋画廊に出かけた。
ゲンペイさんのコラージュ作品をあまり見たことがなかった。これからだって滅多になさそうな貴重なチャンス、逃してしまってはもったいない。
あ、ゲンペイさん、とか書いているけど、私、もちろんゲンペイさんに会ったことなど全くない。一方、会ったことも話したこともあった中西さんや高松さんのことは、ナツユキさんとかジローさんとか言わない。なのに、なぜか、ゲンペイさん、とつい呼んでしまう。理由はきっといろいろあるのだろうが、深く考えたことがない。ま、当方の親しみや敬意の気持ちを込めたいのだろう。ゲンペイさん、で堪忍してほしい。
で、そのゲンペイさんのコラージュ作品であるが、実物を前にすると、驚くほど繊細かつ丁寧に作られてあるのが分かって、なるほどなあ、と感じ入った。優れた人は、何をやっても最初からちゃんと水準以上のことをやってしまうのだ。
画廊の人の説明によれば、今回会場に並べられた19点のコラージュ作品は、赤瀬川夫人・尚子氏の所蔵。1971年に刊行された限定200部の作品集=『絵次元あいまいな海 赤瀬川原平』(大門出版)に収録された12点のコラージュ作品のオリジナルが制作されたのと同じ時期の作品だろう、とのことである。だから、制作年を1960−1963としてあるそうだ。
続けて画廊の人は、くだんの作品集に収録されたもののオリジナル作品は、その後すべて所在が分からなくなっている、と言った。(が、帰宅して、手元にあった千葉市立美術館での「赤瀬川原平の芸術原論展」(2014年)のカタログを見てみると、その「出品リスト」には、「あいまいな海」として8点の記載があり、そのうちの6点は名古屋市美術館、2点は千葉市立美術館の収蔵と明示されている。が、ここではこの件を詮索しない)。
ゲンペイさんのコラージュ作品をあまり見たことがなかった。これからだって滅多になさそうな貴重なチャンス、逃してしまってはもったいない。
あ、ゲンペイさん、とか書いているけど、私、もちろんゲンペイさんに会ったことなど全くない。一方、会ったことも話したこともあった中西さんや高松さんのことは、ナツユキさんとかジローさんとか言わない。なのに、なぜか、ゲンペイさん、とつい呼んでしまう。理由はきっといろいろあるのだろうが、深く考えたことがない。ま、当方の親しみや敬意の気持ちを込めたいのだろう。ゲンペイさん、で堪忍してほしい。
で、そのゲンペイさんのコラージュ作品であるが、実物を前にすると、驚くほど繊細かつ丁寧に作られてあるのが分かって、なるほどなあ、と感じ入った。優れた人は、何をやっても最初からちゃんと水準以上のことをやってしまうのだ。
画廊の人の説明によれば、今回会場に並べられた19点のコラージュ作品は、赤瀬川夫人・尚子氏の所蔵。1971年に刊行された限定200部の作品集=『絵次元あいまいな海 赤瀬川原平』(大門出版)に収録された12点のコラージュ作品のオリジナルが制作されたのと同じ時期の作品だろう、とのことである。だから、制作年を1960−1963としてあるそうだ。
続けて画廊の人は、くだんの作品集に収録されたもののオリジナル作品は、その後すべて所在が分からなくなっている、と言った。(が、帰宅して、手元にあった千葉市立美術館での「赤瀬川原平の芸術原論展」(2014年)のカタログを見てみると、その「出品リスト」には、「あいまいな海」として8点の記載があり、そのうちの6点は名古屋市美術館、2点は千葉市立美術館の収蔵と明示されている。が、ここではこの件を詮索しない)。