38 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

正木さんが送ってくれた資料群(つづき)
2022-12-26
前回から間があいてしまった。つづきである。

 榎倉さんのお父様は「行動美術協会」を創立した画家達の一人、榎倉省吾さん(1901年〜1977年)。「行動美術協会」は、戦争時の反省に立って、二科会から分離・独立して、1945年11月に創設された。そのことから分かるように、戦前の榎倉省吾さんは、二科展を作品発表の場に、戦後は当然ながら行動展を主な発表の場にしていた。
 榎倉省吾さんの仕事について知りたければ、画集と評伝がある(加えて、世田谷区の「スペース23℃」が不定期にではあるが展覧会をおこなっている)。画集は息子である榎倉さんが編集したもので(『榎倉省吾画集』1980年)、評伝は榎倉さんの義兄の黄田光さんが書いたものである(『心月輪 画家榎倉省吾伝』2001年)。それらを繙けば、榎倉さんのお父様のおおよそのことは分かってくる。そのいずれも、拙宅のどこかにある(はずである)。この際、ここで紹介したいと思っていろいろ探したのだが、今日現在見つからない。これ以上、探し続けるわけにもいかない。
 そのお父様、榎倉省吾さんだが、1964年に故郷の兵庫県にほど近い(ま、あまり近くはないが、東京よりは近い)小豆島にアトリエを建て、1967年にお母様と共にそこに移住なさったようである。そこには、東京芸大で学びこれからいよいよ独り立ちしようとする息子=榎倉さんへの配慮もあったのだろう、と私には思われる。
 榎倉さんは1968年に東京芸大大学院油画を修了している。東京のお父様のアトリエは榎倉さんに引き継がれて榎倉さんの仕事場になり、その空間を縦横に使って作家活動が始まったわけである。
 その当時のアトリエの様子は、1995年の榎倉さん急逝後、1996年に東京芸大で開催された「榎倉康二遺作展」に際して、保科豊巳氏らが編集した図録(『榎倉康二遺作展1964〜1995』東京藝術大学芸術資料館)掲載の1967年前後のアトリエの様子を捉えた複数の写真図版をご覧になられるとよい。また、榎倉さん自身の写真作品にもお父様から譲り受けたアトリエは度々登場している。

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