224 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

『一遍聖絵』を見た(2)
2016-02-19
図は、何と言っても、細部が面白い。風景や季節の描写の巧みさ、人々の姿、生活の様子の表現、犬などの動物、鳥たち、群衆の表現、樹木や植物、…ああ、キリがない。外で並んで待っている人たちには申し訳ないが、ついつい時間を忘れて見入ってしまう。
時に、いわゆる「異時同図」などに、つい笑ってしまう。自分が留守の間に、一遍の話を聞いた妻に出家されてしまった男が怒って一遍を斬り殺そうとするが、自分も出家してしまった、という段など、緊迫した場面と出家の場面の間が近接していることもあって、実に面白く描かれている。
堪能ということをしていると、家人が第7巻第4段の有名な場面に感激している。
すごい! ほら、数学的なくらいの構成だよ。
私がきょとんとしているのを見抜いて、この角度とこことこととの対応、この形とこの形とのずれ方、…、などと続ける。
家人はひとまとまりの図を一つの画面として見ているのだった。この国宝は、さまざまな見方を許容してくれる。
他にも、関連の資料類や絵図が多数展示されていた。江戸時代の「高祖一遍上人行状図」対幅の“コマ割りマンガ”のような表現にびっくりしたり、一遍自身が書いたと言われる「六字名号」の不思議な筆遣いに興味を持ったりした。京都・六波羅蜜寺の「空也上人像」とそっくりの、しかしかなり小さな彫刻もあった。六波羅蜜寺の「空也上人像」の耳の位置はなんだか低すぎる、といつも思うが、展示されていたものは違和感のない耳の位置だった。
家人も私もじつに満足して帰ってきた。
この展覧会は遊行寺のあと、横浜の神奈川県立歴史博物館、その後神奈川県立金沢文庫へと巡回するらしい。また、行きたい。
(2015年11月9日、東京にて)


『一遍聖絵』を見た(1)
2016-02-12
11月6日、晴天。家人と小田急線に乗って藤沢に行った。時宗の総本山、遊行寺(清浄光寺)の宝物館が改修されて、『一遍聖絵』全12巻が揃って特別に公開中だ、とラジオ・テレビから情報を得たからだ。
快速急行で新宿から一時間弱。は、速い。
駅前のそば屋で軽く腹ごしらえをして、徒歩で遊行寺に向かう。石畳に整備された道を行き、境川にかかる橋を渡ると遊行寺。境川といえば、若林奮『境川の氾濫』をどうしても思い出してしまうが、それはほどほどにする。
境内にまばらな人。しめた、と宝物館を目指すが、やはり順番待ちの列ができていた。とはいえ、10人程。すぐ後ろについて並ぶ。
入場制限をしているのだった。会場から10人出たのを確認して、10人入れてくれる。非常に良心的だ。しばらく待っていると、10人の方どうぞ、ということで、私たちの前で終わってしまった。
それで、つい、いままで一番並んだ展覧会は何か、という話を家人と始めてしまった。私が東京国立博物館での「清名上河図」の時、と言うと、家人は国立西洋美術館「バーンズコレクション」の時、と言う。東京国立博物館「興福寺・阿修羅像」の時もすごかったが、うまくフィギュアをゲットできた、という話にもなる。それらに比べれば、どうということもない。すぐに、私たち10人の番になって、建物に入れてもらえた。階段で、少し待たされたが、会場に入ることができた。

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