立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
近美の常設展
2021-02-12
数日間、一歩も家から出なかったことに気付いたのは、前の週の収集日にゴミ袋にかぶせた網がそのまま家の前の路上に置かれていたのを見つけてびっくりしたからだった。え? 収集車が来た後、何日間もずっとここにあったのか‥‥。
取り込みながら、これはまずいぞ、と思った。まず、ボケ。次に、足。
なので、さっそく歩くことにした。ボケは治らないだろうから。
九段下で地下鉄を降りて近美=東京国立近代美術館をめざす。
なぜ近美か。
立派にジジイになったので常設展がタダなのである。
それを知った時もびっくりした。いつも、企画展のおまけみたいに常設展を見てきたので、常設展だけのチケットを買おうとした時、窓口の女性が、あなたはタダですよ、と教えてくれたのだ。思ってもいなかった。ジジイになるのも悪くない。ちょっと嬉しくもあった。
近頃常設展が面白い、ということは以前ここにも書いたことがある(と思う)。
とりわけ、コロナで、苦肉の策かどうか、自館のコレクションを上手に使った展覧会が、どの美術館でも増えているようである。良いことだ、と私は思う。
で、近美の常設展である。近美には、ドイグを見に行って以来、行ってない。今はどうなってるかな、という期待もあった。
あ、常設展、と言ったのでは正確ではないかもしれない。
昔は、確かに「常設」だった。展示は大体ずっと同じで、あそこの壁にはあの絵がある、と決まっていた。時々、ほんの少しだけ作品が入れ替わっていった。今は、コレクション展、というべきか。数ヶ月に一度ずつ展示の全体が変わっていく。学芸員の腕の見せどころだ。
今回も四階から二階へと暗黙のうちに誘導されるのに変化はないが、時系列の示し方が以前よりはるかに緩やかで、スペースごとにテーマを設定して展開させているようである。これからどんどん咲きだす春の花の絵などがあって、季節感も演出されている。ウシ年にちなんでか、ウシの彫刻もあって微笑ましい。サービス精神も満載なのである。
取り込みながら、これはまずいぞ、と思った。まず、ボケ。次に、足。
なので、さっそく歩くことにした。ボケは治らないだろうから。
九段下で地下鉄を降りて近美=東京国立近代美術館をめざす。
なぜ近美か。
立派にジジイになったので常設展がタダなのである。
それを知った時もびっくりした。いつも、企画展のおまけみたいに常設展を見てきたので、常設展だけのチケットを買おうとした時、窓口の女性が、あなたはタダですよ、と教えてくれたのだ。思ってもいなかった。ジジイになるのも悪くない。ちょっと嬉しくもあった。
近頃常設展が面白い、ということは以前ここにも書いたことがある(と思う)。
とりわけ、コロナで、苦肉の策かどうか、自館のコレクションを上手に使った展覧会が、どの美術館でも増えているようである。良いことだ、と私は思う。
で、近美の常設展である。近美には、ドイグを見に行って以来、行ってない。今はどうなってるかな、という期待もあった。
あ、常設展、と言ったのでは正確ではないかもしれない。
昔は、確かに「常設」だった。展示は大体ずっと同じで、あそこの壁にはあの絵がある、と決まっていた。時々、ほんの少しだけ作品が入れ替わっていった。今は、コレクション展、というべきか。数ヶ月に一度ずつ展示の全体が変わっていく。学芸員の腕の見せどころだ。
今回も四階から二階へと暗黙のうちに誘導されるのに変化はないが、時系列の示し方が以前よりはるかに緩やかで、スペースごとにテーマを設定して展開させているようである。これからどんどん咲きだす春の花の絵などがあって、季節感も演出されている。ウシ年にちなんでか、ウシの彫刻もあって微笑ましい。サービス精神も満載なのである。