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藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

野村和弘個展
2025-02-12
 地下鉄・清澄白河駅に降り立ってA3番出口から徒歩数分のHARMAS GALLERY。「野村和弘『静かに眠れ/封印された、タブロー形式の作品 2025/2009』」展。

 このギャラリーでは、かつて(今でも)私が驚嘆した(している)野村氏の作品=「色点の作品(ドット・ペインティング)」にかかわる展示がなされていた。
 「色点の作品(ドット・ペインティング)」のシリーズから2点。1988年から1993年まで彼が滞在したドイツ・デュッセルドルフで、1989年から制作され始めたシリーズだ。
 ドローイング3点。「色点の作品(ドット・ペインティング)」の発端から、「色点の作品(ドット・ペインティング)」の形式が確定するに至るまでの間に試みられたドローイング(群)からの3点である。
 そして、今回の展示のメインをなす「封印されたタブロー形式の作品 2025/2009」。ドイツで制作されたこのシリーズの作品群のうちの101点を一点一点箱に入れてそれぞれ封印してしまった。その101箱を床に並べている。
 会場の見かけは、極めてシンプルだが、大変に高密度の展示になっている。

 思わず「封印した」ではなくて「封印してしまった」と書いた(打ち込んだ)。なぜそんなことをする? という私の複雑な思いがここに込められている。
 封印を示す小さな赤丸印のシールが一つ一つの箱に8つずつ、箱の厚みをなす4辺以外の8つの辺の中央に、赤丸の直径部が箱の辺のエッジに重なるように(二つの面を跨ぐように)それぞれ貼り込んである。さらに、その上を幅広の透明接着テープで貼り込んである。じつに厳密な封印である。それらが縦に床に直接立てられ相互にピッタリと接する状態で並べてあるから、つまりは細長い直方体=角柱になって横たわっているのである。封印を示す赤丸の半円が二つ接することで正円となり、それらが几帳面に並んでいる。僅かに生じている正円からの誤差が、これら全てが手作業で成り立っていることを示す“しるし”になってもいる。
 それぞれの箱の側面には、作品タイトル(=「WIE OFT ISST EVA DEN APFEL?」エヴァは、何回リンゴを食べる?)とこのシリーズの作品のための通し番号とをタイプ打ち(?)した“シール”を、同一寸法で箱の同一の場所に貼り込んでいる。
 通し番号は「1ー39」からはじまり、最後が「1ー195」となっている。つまり、「1ー1」から「1ー38」まではこの作品に含まれておらず、封印されていないようである。「1ー195」が最後なので、ドイツで作られたのは195点、ということかもしれないが、確かなことは分からない。途中、いくつも番号が欠けていて、都合101箱。「1ー195」の通し番号が、封印された作品の中では最も“近作”だ、ということになる。
 箱は、ボール紙製で作品のサイズよりひと回り大きいはずだがともかくは同一サイズで作ってあり、「タブロー形式」の作品がひとつ完成するたびに、箱も作って作品をその箱に収めてきたものである。もともと透明な接着テープを使って箱を作ってあったが、封印に際してさらにあらたな透明接着テープを十字に(赤丸の上になるように)貼り込んでいる。
 一つ一つの箱の色に差異が生じているが、そのこともまた、それぞれの箱の中に一点一点異なった同じシリーズの作品を収めていることを示している。そのような封印された101点の「色点の作品(ドット・ペインティング)」なのである。

 野村氏がこれら「タブロー形式」の作品を封印してしまったものを作品として発表したのは、2010年いわき市立美術館での東嶋毅氏との二人展の時だったはずだ。あの時、美術館2階の階段を取り巻くロビーの様なスペースの床と壁とが出会う領域のひとつに細長く直方体状に置かれたこれらを見た時、私にはにわかにその意味が理解できず、また野村氏が何故そんなことをするのか、ということにも思い至らなかった。そして、時を経るうちにこの「封印」のことを忘れてしまっていたのである。それがこうして久しぶりに人々の前に展示された。

 会場にいた野村氏に尋ねれば、ドイツでは木枠に綿布を張ってそれにこのシリーズの作品を作っていたが、日本に持ち帰ったこれらの作品にカビが生えてしまった。それが封印を決断する大きな理由になった、とのことだった。修復することも考えたが封印することを選んだ、という。封印された101箱から成る直方体=角柱のこの作品の購入を申し出る個人や機関があったとしても、決して封印を解かないことを条件にする、ということも野村氏は言った。
 決してまぜっ返そうとしたわけではないが、私はつい、どこかの銀行の貸金庫係みたいにこっそり封印を解いて中を見て、必要なら修復もして、知らん顔して、中身を入れ替えて、箱だけ元のように戻しておく人がいるんじゃないの? と尋ねてみたが、野村氏は取り合わなかった。つまり、決して封印は解かない。封印を解くことは許されないのである。
 帰国後も続くこのシリーズの制作には、木枠に綿布ではなく、木製パネルに化繊布を使っている、ということも野村氏は言った。絵具はいずれもアクリル樹脂絵具とのことである。

 「このシリーズ」、と書いた(打ち込んだ)。そもそも「タブロー形式」の作品=「色点の作品(ドット・ペインティング)」とはどんな作品なのか、それを共有するために、ギャラリー入口からの動線を無視することにはなるが、奥の壁に2点横に並んで展示されていた「色点の作品(ドット・ペインティング)」を少し詳しく見ていかなければならない。なお、「このシリーズ」には「タブロー形式」の他に壁に直接描く「壁画形式」と「ドローイング形式」とがある。今回は「タブロー形式」と「ドローイング形式」とのシリーズからの展示である。
佐川晃司個展
2025-02-06
 拙宅の耐震補強・改修工事は、じつにやっかいな工事だったにも関わらず、粘り強い建築士と超人的な働き方をする工務店社長とのおかげで無事完成できた。支払いも、私と家人とがコツコツ準備してきた蓄えでなんとか完了できて、荷物の移動や整理など細かな片付けがまだ残っているものの、やっと気持ちもさっぱりとし、すでに杉花粉が飛び交っている街へといつでも繰り出せるようになったのである。う、う、う、うれしいっ!
 とはいえ、蓄えを使い果たした私どもが行けるところは限られて、一番手っ取り早いのが入場無料の画廊、それから美術館図書室や国立都立区立図書館、近所の公園などということになってしまった。外食などはもってのほかである。必要な時はおにぎりを持参する。高齢者のための東京都の無料パス(じつは有料で入手するんだけど)を極限まで有効利用して、どんどん繰り出していくのだ、という心意気である。
 そんなわけで、過日、久しぶりにいくつかの画廊を訪れてみると、おお、なんということだろう、見応えある展示が目白押しだったのである。

 まず、地下鉄・新富町駅に降り立って、7番出口から徒歩数分のヒノ・ギャラリー。
 「佐川晃司展『半面性の樹塊』ー1990年を中心に」。

 1985年から1999年の間に制作された油絵7点、ドローイング4点、合計11点を並べた自選展であった。
 1985年というと、その3月に、佐川氏や彼の同期の川俣正氏、田中睦治氏、保科豊巳氏が東京藝大油画の大学院の博士課程を満期退学した年である(私は“ぷー”だった)。佐川氏は、その年の4月から京都精華大学の専任教員となって京都に移り住み、今日に至っている。大学教員としての彼の仕事の方は2024年3月の定年退職まできっちり勤め上げた。この間、国公私立美術館などでの個展やグループ展、東京、京都、大阪の画廊での個展というように、作品制作と発表とを着実に進めてきた。  
 ヒノ・ギャラリーでの作品展示は2022年3月に続き2回目。前回の発表は、東京ではかなり久しぶりの個展であったが、今回は1985年からの京都での生活・制作が始まって少ししてからの五年間ほどの取り組みを中心にした展示で、この時期に佐川氏が今日まで取り組み続けているテーマや方向を見出し、自らの取り組みの確信を得た、ということを示している。
 今回の展示作品を時系列に沿って整理すれば、1985年の作品として「何処のドローイング」、1988年の作品として油彩「空き地F4号」、「空地No.3によるドローイング」「半面性の樹塊の原形ドローイング」、「しげみのスケッチ」、1989年の作品として油彩「空地120号」、同「空地F6号」、1990年の作品として油彩「半面性の樹塊No.2」、同「半面性の樹塊No.4」、同「半面性の樹塊No.5」、そして1999年の作品として「半面性の樹塊No.33」、ということになる。
 「半面性の樹塊」のシリーズの「原形」は1988年にはドローイングとして現れ出ていたことが今回の展示で明らかにされているが、それまでに「何処」のシリーズ、「空地」のシリーズがあったことも示されている。「半面性の樹塊」のシリーズは1989年〜1990年あたりから本格的に大型の油彩画で繰り返し制作されてきて、とうに100作を超えていると伝え聞く。
 となれば、1985年以前の作品は? ということにもなろうが、じつは、昨年(2024年)11月〜12月に京都精華大ギャラリーで、「Seika Artist File #2『Imagined Sceneries ー7つの心象風景をめぐる』」という展覧会が開催されて、ここに佐川氏は1981年〜2年頃に制作した作品を出品した(らしい)。つまり、この展覧会で、今回展示されている作品群以前の作品群が、ある程度まとめて公開されていたのである。
 残念ながら、私はこの文の冒頭に記した拙宅の工事があって、その展示を見に行くことができなかった。見ることができていれば、このヒノ・ギャラリーでの展示はまた違って見えただろうし、2024、25年という時期に、学生時代や京都における最初期の作品を並べた佐川氏の意図をさらに身近に感じ取ることができただろう。それを思うと、見に行けなかったことがいかにも悔やまれる。
 
 ヒノ・ギャラリーに踏み込んでまず目に飛び込んでくるのは、入り口右側壁に展示されている大型の絵画のヘリが壁面から僅かに浮いて展示されていることと、入口から対角線状の二つの壁に展示されていた「空地120号」(1989年)と「半面性の樹塊No.33」(1999年)であった。いずれも油彩の大作であるが、どちらかの作品から見始めなければならないので、私は横長の「空地120号」の方から見ることにした。

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