立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
『あべのますく』が届いた
2020-04-23
『あべのますく』とは、あの「アベノミクス」との語呂合わせだろうが、誰が考えたものか、この命名は大変よくできている。
もちろん「アベノミクス」は「エコノミクス」との語呂合わせだろう。日本国のプライムミニスター=Mr.Abeが「アベノミクス」とご自分で考えたとすれば、なかなかのセンス。しかし、私が想像するに、そうではなかろう。きっと大手広告会社の関係者ではないか。もちろん根拠はない。
その『あべのますく』が届いた。しばらく手にとってみたが、やがて、家人がリビングの壁に“展示”した。展示には大賛成である。素晴らしい。「瞬間レリーフ」だな。
というのも、この『あべのますく』を、これは新型コロナウィルスに対処するための「実用品」ではない、と考えると気持ちが落ち着いてくる。『あべのますく』は、じつは「美術品」なのだ、と私は気づいてしまったのである。
これはレディメイドのオブジェ、というか、コンセプチャル・アート。
Mr.Abeはじつは現代美術家でもあったわけだ。
「美術品」の『あべのますく』を「実用品」として使ってもいいのはMr.Abeだけに限られる。その証拠に、毎日TVに映し出される閣僚のうち、Mr.Abe以外に誰一人として『あべのますく』を使っていない。後方の官僚らしきには一人だけ使っている人がいるが、思うに、あの人の姓も「あべ」さんではないか。
なぜか? 私が思うに、たとえば、麻生太郎副総理が使ったのでは『あそうのますく』になって、たちまち別の作品になってしまう。それに「あそう」の部分が促音便化したりすると、別の意味さえ帯びてしまう。なので、「あべ」の「ますく」でなければならない。『あべのますく』と名付けられたこの「美術品」のタイトルが優れている理由はこれだ。
もう一つ。466億円とかだったかの税金を使っている問題。
美術品は税金でも購入できるし、購入している。
税金を用いることを前提にして、公の手続きに基づいてMr. Abeは現代美術家Mr.Abeに作品制作を発注した。現代美術家Abeはさらに誰かに発注して、ガーゼのマスクの姿をしたレディメイドのオブジェを必要数作った。出来上がったそれを袋詰めすることも発注した。印刷物も発注し同封することも発注した。Mr.Abeはこの成果品を日本国の全ての家庭に配ることも日本郵便に発注した。かなり複雑な工程だ。そして、全て配り終わるところまでのひと連なりで『あべのますく』という「美術作品」は完結する(はずだ)。だから、まだ完成途上である。制作中、というか、ワーキング・プログレスというか。このような「美術品」であるものを購入するために税金を使うのだ。高いぞ、でも「美術品」だ。高いのだ。
発注し購入する側と制作する側とが“同じ”でいいのか? という問題がある。あるが、怪人二十面相やスーパーマンだっていろんな顔を持っていた。公人/私人、政治家/現代美術家、、、、、というようにMr.Abeだって、いろんな顔がある。「私人」の顔の時には犬だって抱えて撫でる。奥さんを大事にして自分の価値観で縛りつけたりしない。あ、横道に逸れそうだ。顔の話だった。昔なんか、グラスの底にも顔があったのである。現代美術家のMr.Abeが、たまたま日本国のプライムミニスターなのだ。素晴らしい。そう考えればいい。
デュシャンはレンブラントの絵(=「美術品」)をアイロン台(=「実用品」)にして使うことを考えた。実現したかどうか知らない。でも私はあまりいい使い方とは思えない。レンブラントの絵は「美術品」として「鑑賞」ということをするために「使う」ほうがいいと思う。
同じように、『あべのますく』は「美術品」として「鑑賞」する、と私どもは決めた。リビングの壁にずっと展示し続けたい。常設展示だな。
ところで、『あべのますく』はすぐれた「美術品」かどうか、という問題が別にある。あるが、まだ展示したばかりだ。踏み込まない。出かかっている結論だけ述べておく。すぐれた「美術品」ではなさそうだ。というか、ひどい「美術品」に終わる可能性が高い。そのくらいの判断ができる「見る目」は持っているつもりだ。
もちろん「アベノミクス」は「エコノミクス」との語呂合わせだろう。日本国のプライムミニスター=Mr.Abeが「アベノミクス」とご自分で考えたとすれば、なかなかのセンス。しかし、私が想像するに、そうではなかろう。きっと大手広告会社の関係者ではないか。もちろん根拠はない。
その『あべのますく』が届いた。しばらく手にとってみたが、やがて、家人がリビングの壁に“展示”した。展示には大賛成である。素晴らしい。「瞬間レリーフ」だな。
というのも、この『あべのますく』を、これは新型コロナウィルスに対処するための「実用品」ではない、と考えると気持ちが落ち着いてくる。『あべのますく』は、じつは「美術品」なのだ、と私は気づいてしまったのである。
これはレディメイドのオブジェ、というか、コンセプチャル・アート。
Mr.Abeはじつは現代美術家でもあったわけだ。
「美術品」の『あべのますく』を「実用品」として使ってもいいのはMr.Abeだけに限られる。その証拠に、毎日TVに映し出される閣僚のうち、Mr.Abe以外に誰一人として『あべのますく』を使っていない。後方の官僚らしきには一人だけ使っている人がいるが、思うに、あの人の姓も「あべ」さんではないか。
なぜか? 私が思うに、たとえば、麻生太郎副総理が使ったのでは『あそうのますく』になって、たちまち別の作品になってしまう。それに「あそう」の部分が促音便化したりすると、別の意味さえ帯びてしまう。なので、「あべ」の「ますく」でなければならない。『あべのますく』と名付けられたこの「美術品」のタイトルが優れている理由はこれだ。
もう一つ。466億円とかだったかの税金を使っている問題。
美術品は税金でも購入できるし、購入している。
税金を用いることを前提にして、公の手続きに基づいてMr. Abeは現代美術家Mr.Abeに作品制作を発注した。現代美術家Abeはさらに誰かに発注して、ガーゼのマスクの姿をしたレディメイドのオブジェを必要数作った。出来上がったそれを袋詰めすることも発注した。印刷物も発注し同封することも発注した。Mr.Abeはこの成果品を日本国の全ての家庭に配ることも日本郵便に発注した。かなり複雑な工程だ。そして、全て配り終わるところまでのひと連なりで『あべのますく』という「美術作品」は完結する(はずだ)。だから、まだ完成途上である。制作中、というか、ワーキング・プログレスというか。このような「美術品」であるものを購入するために税金を使うのだ。高いぞ、でも「美術品」だ。高いのだ。
発注し購入する側と制作する側とが“同じ”でいいのか? という問題がある。あるが、怪人二十面相やスーパーマンだっていろんな顔を持っていた。公人/私人、政治家/現代美術家、、、、、というようにMr.Abeだって、いろんな顔がある。「私人」の顔の時には犬だって抱えて撫でる。奥さんを大事にして自分の価値観で縛りつけたりしない。あ、横道に逸れそうだ。顔の話だった。昔なんか、グラスの底にも顔があったのである。現代美術家のMr.Abeが、たまたま日本国のプライムミニスターなのだ。素晴らしい。そう考えればいい。
デュシャンはレンブラントの絵(=「美術品」)をアイロン台(=「実用品」)にして使うことを考えた。実現したかどうか知らない。でも私はあまりいい使い方とは思えない。レンブラントの絵は「美術品」として「鑑賞」ということをするために「使う」ほうがいいと思う。
同じように、『あべのますく』は「美術品」として「鑑賞」する、と私どもは決めた。リビングの壁にずっと展示し続けたい。常設展示だな。
ところで、『あべのますく』はすぐれた「美術品」かどうか、という問題が別にある。あるが、まだ展示したばかりだ。踏み込まない。出かかっている結論だけ述べておく。すぐれた「美術品」ではなさそうだ。というか、ひどい「美術品」に終わる可能性が高い。そのくらいの判断ができる「見る目」は持っているつもりだ。
ルドン展の図録が出てきた
2020-04-21
「外出自粛要請」以前の、多分、三月はじめくらいから、家の外に出ることが極端に少なくなった。もちろん“コロナ”のせいである。ウチにはもうすぐ99歳になろうとする元気な年寄りがいるので、リスクを避けざるを得ない。
おいおい、お前も立派に年寄りだろ、と突っ込んでくる誰かの声が聞こえてくる。ま、確かに。
近頃は、ずっと仕事場を片付けている気がする。なんとなく落ち着かないのだ。
さしたる活動をしてきたわけでもないのに、仕事場にはいろんな物がごった返している。それらの塊を少しずつ掘り崩して、いる/いらない、と仕分けし、「いる」ものを大まかに分類していく。
パッ、パ! とやればいいのだ。“コロナ”の餌食にならないですませることができたとしても、私の残りの時間は限られている。それはわかっているのだが、出てくるメモや印刷物に目を留め、つい読みふけったりして全然片付かない。捨てる決断がなかなかつかないし。足の踏み場がなくなってもう数日経ってしまった。それでも頑張って続けている。
“断捨離”の本や“ミニマリスト”の本が数冊出てきて苦笑した。もちろん、これらは「いらない」の方に仕分けした。
昔の「ルドン展」の図録が出てきた。ページを繰って、つい見入ってしまって、どれもルドンだなあ、としみじみ思った。どの絵も見事に「ルドン」という「キャラ立ち」をしている。なぜこんな「キャラ立ち」が成立できるのだろう?
これは分析する価値がある、と少しカビの臭いのする図録の図版を頼りに考えてみようとしたが、すぐに諦めた。私にはムリだ。
「ゴッホ、ゴーギャン、ボナール、スーラたち展」という全く記憶から消えていた図録も出てきた。これが、面白くて、また見入ってしまった。「新印象派」「ポン-タヴェン派」「フォラン、ロートレック、ゴッホ、ルドン」と括ってある。スーラの「ポーズする女たち」の習作のカラー図版が素晴らしい。つい没入させられてしまった。ここでも「スーラ」という「キャラ立ち」問題が顔を出すが、無理やり抑え込んでしまった。私の力量でこれを解明するのは無理なのだ。
一息ついて図録を閉じたら裏表紙に100円と表示した“シール”が貼ってあった。いい買い物をしたこともあったわけだ。これが100円だ。信じられない。
こんな調子ではかどるはずがない。それでもとりあえず、パンパンになるまで詰め込んだ大きいサイズのゴミ袋三つ(紙類はずっしり重い)、新聞紙や印刷物、ボール紙・段ボール紙をそれぞれ紐で結わえた大きな束が六つ、これらを二回に分けて家の前に出した。無事に収集車が持って行ってくれた。このご時世で、ありがたさが身に沁みる。
そんな中、オルセー美術館を特集していたNHK・TV『日曜美術館』をみていたら、ゲストで登場した女優の小林聡美さんが、マネの「オランピア」について、驚くべき発言をした。モデルの女性の髪がここに描かれている、と背景の色面を示したのである。モデルの左肩上方、リボンの下方。
え? ほんとに?
あ、ほんとだ! 今まで全く気がつかないでいた。
ショートへアだと思い込んで、“ボーイッシュ”と感じていた「オランピア」のモデルの印象が一変してしまった。
小林聡美さん、すごい!
こうして、TVで絵の見方を教わった。
絵は細部まで疎かにせず筆触一つ一つさえ注意深く見るべし。
おいおい、お前も立派に年寄りだろ、と突っ込んでくる誰かの声が聞こえてくる。ま、確かに。
近頃は、ずっと仕事場を片付けている気がする。なんとなく落ち着かないのだ。
さしたる活動をしてきたわけでもないのに、仕事場にはいろんな物がごった返している。それらの塊を少しずつ掘り崩して、いる/いらない、と仕分けし、「いる」ものを大まかに分類していく。
パッ、パ! とやればいいのだ。“コロナ”の餌食にならないですませることができたとしても、私の残りの時間は限られている。それはわかっているのだが、出てくるメモや印刷物に目を留め、つい読みふけったりして全然片付かない。捨てる決断がなかなかつかないし。足の踏み場がなくなってもう数日経ってしまった。それでも頑張って続けている。
“断捨離”の本や“ミニマリスト”の本が数冊出てきて苦笑した。もちろん、これらは「いらない」の方に仕分けした。
昔の「ルドン展」の図録が出てきた。ページを繰って、つい見入ってしまって、どれもルドンだなあ、としみじみ思った。どの絵も見事に「ルドン」という「キャラ立ち」をしている。なぜこんな「キャラ立ち」が成立できるのだろう?
これは分析する価値がある、と少しカビの臭いのする図録の図版を頼りに考えてみようとしたが、すぐに諦めた。私にはムリだ。
「ゴッホ、ゴーギャン、ボナール、スーラたち展」という全く記憶から消えていた図録も出てきた。これが、面白くて、また見入ってしまった。「新印象派」「ポン-タヴェン派」「フォラン、ロートレック、ゴッホ、ルドン」と括ってある。スーラの「ポーズする女たち」の習作のカラー図版が素晴らしい。つい没入させられてしまった。ここでも「スーラ」という「キャラ立ち」問題が顔を出すが、無理やり抑え込んでしまった。私の力量でこれを解明するのは無理なのだ。
一息ついて図録を閉じたら裏表紙に100円と表示した“シール”が貼ってあった。いい買い物をしたこともあったわけだ。これが100円だ。信じられない。
こんな調子ではかどるはずがない。それでもとりあえず、パンパンになるまで詰め込んだ大きいサイズのゴミ袋三つ(紙類はずっしり重い)、新聞紙や印刷物、ボール紙・段ボール紙をそれぞれ紐で結わえた大きな束が六つ、これらを二回に分けて家の前に出した。無事に収集車が持って行ってくれた。このご時世で、ありがたさが身に沁みる。
そんな中、オルセー美術館を特集していたNHK・TV『日曜美術館』をみていたら、ゲストで登場した女優の小林聡美さんが、マネの「オランピア」について、驚くべき発言をした。モデルの女性の髪がここに描かれている、と背景の色面を示したのである。モデルの左肩上方、リボンの下方。
え? ほんとに?
あ、ほんとだ! 今まで全く気がつかないでいた。
ショートへアだと思い込んで、“ボーイッシュ”と感じていた「オランピア」のモデルの印象が一変してしまった。
小林聡美さん、すごい!
こうして、TVで絵の見方を教わった。
絵は細部まで疎かにせず筆触一つ一つさえ注意深く見るべし。