54 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

▸「ロニ・ホーン展」にも滑り込んだ  2
2022-04-01
 下の階の会場に移動すると、大きな部屋に実に大きなドローインが並んでいた。その大きさがまず圧倒してくる。表れ出ている形状は無数に切断されていて、ズレがあるが、同時に一つのまとまりを感じさせる。おそらくは、手法を統一した同じような試みのドローイングが複数あって、それを直線状にカットして相互に入れ替え固定して作ったものだろう。自然に元のドローイングの復元を想像し、カットの仕方に何か法則のようなものがあるだろうか、と探りを入れることになる。近くに寄ってみると、多くの書き込みが散在し、また、仮留めのためだろうか、ピンを刺した穴の跡があったり、位置を示す目印があったりするのが分かる。大変な手間をかけてできたシリーズだろうが、上の階で見た小ぶりのドローイングの手間とそう違いがないようにも見える。ともかく大きい。大きいのでその分作るのは大変になりそうである。制作途上の色々な場面を想像してみるが、線で描いた形状を撹乱しているということ以上の意図を見出すことができない。消化不良である。

 次の部屋には、水彩を用いて描いた複数のドローイングを切り刻んで再構成した作品が並んでいた。なぜか、過日東京で見たクリスチャン・マークレイのコラージュ作品を想起してしまう。

 次の部屋(最後の部屋)には、アイスランドの温泉で、首だけ出したカメラ目線の同じモデルを、ほぼ同じ構図で撮り続けて、それで構成した写真作品が、ほぼ目の高さに横一線に並んでいた。ロニ・ホーンの代表作と言っていいだろう。この作品は、ずいぶん前に竹橋の近代美術館のドイツの現代写真を紹介した展覧会で見た記憶がある。5〜6点ごとに少し間隔を置いて、グループ分けしてある。そのことで、同じ写真が並んでいるようだが、どれも状況が違っている、ということが見えやすくなっており、長期に渡って撮影したことが分かってくる。その結果、全く知らない女性の僅かな表情の変化や髪の様子の違いなどが見えてきて、ある種親しみが生じてきて、会場の照明で生じる写真パネルが壁に落とす影と写真の画像との妙な照応すら見えてきて、実に不思議な気分になってくる。
 この作品を見終わって、なるほど、上の会場入り口に2枚の同じ(ような)フクロウの剥製の写真があったことの意味も、モノクロの波の写真(の印刷物?)があったことの意味も、分かってくるような気がしたのだった。
 同じ写真は本当に同じものか? 同じ写真に見えて実は違っているのではないのではないか? というような“謎かけ”。そのためには最低でも2枚の写真を必要とするだろう。
 また、ロニ・ホーンにとってアイルランドという場所が特別な場所であることの表明も(アイルランドは地球の割れ目が露呈している場所だから誰にとっても特別な場所だろうが)。
 厄介な問いかけと、ある種の抒情性とが同居している。

 庭の大きな白いガラスの作品を見物して美術館を出た。
 とても遠いところに長い旅をしたような気がした。
(2022年3月30日)
「ロニ・ホーン展」にも滑り込んだ
2022-04-01
「ロニ・ホーン展」にも滑り込んだ

  箱根、ポーラ美術館は遠かった。
 新宿バスタから乗り込んだバスに揺られ、御殿場で完全にぺったんこに見える真っ白な富士山を窓から見つけて呆れ、さらに曲がりくねった坂道を行って、とあるバス停で降り、そこに別のバスが来るのを待ってそれに乗り込み、さらにくねくね曲がる坂道を行って、やっと辿り着いたのである。
 「ロニ・ホーン展」が最終日なのであった。
 「ロニ・ホーン展」はとっても面白かった。
 会場を巡ったあと、図録を買おうとしてショップに行ったら売り切れだという。今、増刷しているところなので、予約しますか? とおねえさんが言うのであった。
 図録が売り切れるほどの感銘を観客に生んできたのは素晴らしいことである。最終日も会場には若い人がいっぱいだったし、図録の予約をしている若い人もたくさんいた。それもまた素晴らしいことである。が、図録がないのはこたえる。なぜか?
 許されていたから、会場で写真は撮ったが、その写真は主観的すぎて肝心な情報(タイトルや制作年、材料、サイズなど)が完全に欠けてしまっている。メモも取っていないし、図録もない。確か拙宅にPHAIDON社から出たロニ・ホーンの作品集はあったはずだが、例によって行方がわからない。会場に「出品目録」があったような気もするが、持ち帰っていない。あやふやな記憶だけで書かねばならない。

 まず、白いフクロウの剥製を撮った同じ(に見える)写真が2枚横並びで迎えてくれた。その左側にはB全くらいはあろうか、波が岩に打ち付けているところを撮ったモノクロームの写真(印刷物?)があった。

 最初の大きな部屋は、床が全て10センチほどかさ上げされていて灰色の無機質な素材が貼り込まれていた。その特別あつらえの床は、そこに置かれた確か八つほどのガラス製の背は低いが大きな“円柱”(あるいはなみなみと水のような液体を湛えたタライのような不思議なもの)、これらを設営するためにわざわざ作ったものだろう。ガラスの“円柱”は「キルン」と呼ばれる技法で作られているように思ったが、原型と型作りのことはもちろん、ガラスの重量と長い時間をかけて少しずつ冷やさねばならぬ設備や手間を考えると、よくもまあ作り上げたものだ。一つ一つが色や表情を違えて見応えがある。透過と屈折と反射、そして表面の形状が、相互に入り組んで、見えが撹乱され、見飽きるところがない。何かの情報からの記憶では、六面体のシリーズもあったはずだ。

 その次の部屋には、アルミ製の角柱に、象牙色の樹脂であろうか、角ゴチック体による英語のフレーズが“裁ち落とし”の状態で“象嵌”されたようなものが5、6本、壁に立てかけられている。それは合理的に考えれば角柱に“象嵌”なのだが、もしかすると、厚みを備えた角ゴチック体の樹脂を一つ一つ英文を成すように並べ、文字以外のところにアルミを嵌め込んで角柱になるように作ったのかもしれない。私なら、アルミの角柱に必要な窪みを作ってそこに樹脂を流し込んで固化させ、然るのちに研磨して表面処理を行うだろう。“裁ち落とし”されたところは、まるでバーコードのような表情を見せながら裏面につながり、裏面は“鏡文字化”したアルファベットになっているかのようであるが、そうではなく、ほとんどあり得ないことだが、各ゴチック体のアルファベットの分厚い文字をあらかじめひとつひとつ作っていたとすれば、表面と裏面が鏡文字の関係になるのは当然なのである。そういう、作り方のことはともかく、ここに展示された角柱は、まるで、アナログ(アルファベット)とデジタル(バーコード)とが共存している角柱のようであり、その角柱のエッジのシャープさは実にかっこいい。エッジ部には、観客の安全性への配慮であろうか、最小限にとどめた面取りはなされている。
 同じ部屋の窓際の床には、「箔」と言えるのかどうか、畳半畳くらいの大きさの極薄の純金の“延板”が一部分折り返しながら広げて設置されている。焼成してあるとかで、普通の金色よりもっと橙色の色味になっている。それが重いのか軽いのかわからないし、表面に生じているシワというか凸凹が不思議な様相を生じて輝いて、名状し難い。ヘリに沿った方向に一定の間隔を置いて何本かの並行な直線になるように刻印がある。折り返しの部分の内側にはギラリと光る広がりが湛えられているのが反射で見える。退屈しない。ふと見れば、おや、埃を認めてしまった。最終日だからやむを得なかったのかも。

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