立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
国立西洋美術館に忘れて傘をとりに行った 4
2024-04-10
故辰野登恵子氏の作品群とは不意に出くわした格好になった。というか、私は彼女の油彩作品に一種唐突で実に異様な感じを覚えて、そのことに自分で驚いたのである。彼女の油彩作品からこうした印象を得たのは初めてだったので動揺さえした。実に古典的、というか、真っ当な絵画、というか、彼女の営為の意味のようなものが、この展覧会での“不意”ともいえる“出くわし”によってやっと腑に落ちたような気がしたのである。学部学生の頃、助手だった「辰野さん」からリトのプレス機の前で思いがけず強く叱られてから、彼女の作品はずっと、亡くなった後も見てきたつもりなのに、やっと今頃。なるほど、私は実に鈍いのである。
ところで、辰野氏は今回の参加作家の中で唯一の故人。あまたいる故人の中で、なぜ、国立西洋美術館は彼女ひとりを今回「招き入れ」たのか、その理由が判然としない。“図録”=“インタビュー集・論文集”には、おそらくは新藤氏の文であろう、こうある。
「未知なる布置を求めて」との「章」の展示をポロックやモネ、ドニ、シニャック、ルノアールの作品と共に成す辰野登恵子氏、梅津庸一氏、杉戸洋氏、坂本夏子氏についての文章。この三人は、「絵画を編成する造形的なエレメントをみずから発見/発明しつつ、絶えず組みかえることで一律のスタイルに自作を固定することを避けつつ、作品群を一つずつ実験のフィールドにしてきた」作家たちだ、とまず書いている。
そして、辰野氏についてはこうだ。「抽象表現主義を超えることをめざしていたといえる辰野の絵画には脱グリッド化されたタイル状の形態や花模様の不規則な繰り返し、それらと多極的にせめぎあう色面や筆触、その他の造形要素の一回ごとに異なる布置の探求がある」。
うーん、、、そうなのか、、、布置か、、、布置と言ってしまえるのか、、、。
ともかく、辰野氏の油彩作品から、実に異様な感じをこの展覧会で覚えたこと、そのことに分け入る力を私は今持たないことを白状し、異様な感じ、というメモだけはしておこう。
また、“図録”=“インタビュー集・論文集”のなかで、新藤氏は、「招き入れ」た「作家さん」は「上野とのかかわりを持たれていたり、問いを投げかけてみたいと思わせてくれる論客の顔を併せ持つアーティスト」だと発言しているが、ならば、たとえば、中村一美氏や岡崎乾二郎氏や戸谷成雄氏が「招き入れ」られることがなかった理由も知りたいところではある。梅津氏はSNS投稿の中で、この展覧会への出品参加を求めに新藤氏が岡崎乾二郎氏を訪ねたところ、激しく叱責され、参加を断られたので、岡崎氏の「枠」を自分(梅津氏)が埋めることになった、と書いていた。ほんとだろうか。ま、どうでもいいけど。
ところで、辰野氏は今回の参加作家の中で唯一の故人。あまたいる故人の中で、なぜ、国立西洋美術館は彼女ひとりを今回「招き入れ」たのか、その理由が判然としない。“図録”=“インタビュー集・論文集”には、おそらくは新藤氏の文であろう、こうある。
「未知なる布置を求めて」との「章」の展示をポロックやモネ、ドニ、シニャック、ルノアールの作品と共に成す辰野登恵子氏、梅津庸一氏、杉戸洋氏、坂本夏子氏についての文章。この三人は、「絵画を編成する造形的なエレメントをみずから発見/発明しつつ、絶えず組みかえることで一律のスタイルに自作を固定することを避けつつ、作品群を一つずつ実験のフィールドにしてきた」作家たちだ、とまず書いている。
そして、辰野氏についてはこうだ。「抽象表現主義を超えることをめざしていたといえる辰野の絵画には脱グリッド化されたタイル状の形態や花模様の不規則な繰り返し、それらと多極的にせめぎあう色面や筆触、その他の造形要素の一回ごとに異なる布置の探求がある」。
うーん、、、そうなのか、、、布置か、、、布置と言ってしまえるのか、、、。
ともかく、辰野氏の油彩作品から、実に異様な感じをこの展覧会で覚えたこと、そのことに分け入る力を私は今持たないことを白状し、異様な感じ、というメモだけはしておこう。
また、“図録”=“インタビュー集・論文集”のなかで、新藤氏は、「招き入れ」た「作家さん」は「上野とのかかわりを持たれていたり、問いを投げかけてみたいと思わせてくれる論客の顔を併せ持つアーティスト」だと発言しているが、ならば、たとえば、中村一美氏や岡崎乾二郎氏や戸谷成雄氏が「招き入れ」られることがなかった理由も知りたいところではある。梅津氏はSNS投稿の中で、この展覧会への出品参加を求めに新藤氏が岡崎乾二郎氏を訪ねたところ、激しく叱責され、参加を断られたので、岡崎氏の「枠」を自分(梅津氏)が埋めることになった、と書いていた。ほんとだろうか。ま、どうでもいいけど。
国立西洋美術館に忘れた傘をとりに行ってきた 3
2024-04-10
、、、と、出品者一人一人をたどってメモしていくとキリというものがない。以下、いささか雑だが、印象に残った作品をメモしていきたい。
ロダンの「青銅時代」と「考える人」とを横倒しにした作品を中心にした小田原のどか氏の作品は、SNSからの情報で想像していたよりずっと面白かった。やはり作品は実際に自分の目で現物を見なければ分からない。
床に敷き詰めた赤いパンチカーペットの色の効果が絶大で、そこに黒々と転がっていたロダンは、美術予備校で石膏像を横倒しにしてモチーフとし、学生にデッサンさせ、「形」の問題を問いかけるような場合に比せば、遥かに面白く見えた。中が空洞ということでは同じでも、石膏像とブロンズ像との違いがそうさせているだろうし、本来の像を腕や胸で切り取って教材にしてきた石膏像と作品全体をきっちり鋳造してあるロダンのブロンズ像との違いが大きいだろう。そして、私(たち)は意外にロダンの彫刻作品ときちんと向き合う機会を持ってこなかったのかもしれない。
いつだったか、何かの展覧会を見に行った静岡県立美術館で、ロダン館というところに迷い込んで、たくさんのロダンの大きな(実寸の?)ブロンズ像に出くわしてびっくり仰天したことがある。あまりにびっくして、その時はじめてロダン作品をじっくり見た。ひとつひとつを丹念に見ていくと、気持ちが悪くなるくらいだった。ロダンは激しすぎて遠慮会釈というものがない。驚くべき作品群だ、と思った。日頃、ロダンについての情報はたくさん知っていても、情報を知りすぎていて、実際にロダン彫刻の現物を前にしてもじっくり見ることはなかった、ということにその時に気がついた。恥ずかしいことである。
小田原氏のこの作品で、作品として無理やり横たえられたロダンの彫刻をまたじっくり見ることになった。ブロンズ像を台座に固定しておく普段は見えない“仕掛け”も剥き出しになっているから、そんなところにも目が向いた。さりげなく展示されていたロダン彫刻の台座を、台座だけの姿でしげしげと見る事にもなった。普通はあり得ない状況でこうしたありさまに反応している自分自身にも意識が向いたりする。そういった意味でも、さまざまな覚醒を強いてくる面白さがある。
ただし、日本=地震国の国立美術館のコレクションであるロダン作品、というところから、大地震が襲ってきてロダンの彫刻も横倒しになったとしたら(実際に関東大震災の時にはロダンの彫刻は倒れて壊れてしまったそうだ)、、、みたいな“設定”を、巨大で真っ赤な五輪の塔をそそり立たせた一方で、あたかもその五輪の塔が崩れて床に散らばったかのようなインスタレーションとして作品に組み込んだりするのは陳腐で、説明の域を出ていない、と思う。
さらに、横倒し=水平、そこから「水平社」、転倒=転向、これらからの西光万吉という人物の作品の提示。ここからさらに、さまざまな問題へと繋いでいこうとしている様子も、彼女の日頃の真摯な問題意識や丹念な調査活動とは別に、語呂合わせや連想に興じているようにも感じさせられてしまう。彼女の執筆活動、出版活動の成果品である書物群を観客が手に取れるかたちで展示していたのも、それら一冊一冊は確かに興味深いが、この展示に同居させていることには若干の違和感も持った。
ロダンの「青銅時代」と「考える人」とを横倒しにした作品を中心にした小田原のどか氏の作品は、SNSからの情報で想像していたよりずっと面白かった。やはり作品は実際に自分の目で現物を見なければ分からない。
床に敷き詰めた赤いパンチカーペットの色の効果が絶大で、そこに黒々と転がっていたロダンは、美術予備校で石膏像を横倒しにしてモチーフとし、学生にデッサンさせ、「形」の問題を問いかけるような場合に比せば、遥かに面白く見えた。中が空洞ということでは同じでも、石膏像とブロンズ像との違いがそうさせているだろうし、本来の像を腕や胸で切り取って教材にしてきた石膏像と作品全体をきっちり鋳造してあるロダンのブロンズ像との違いが大きいだろう。そして、私(たち)は意外にロダンの彫刻作品ときちんと向き合う機会を持ってこなかったのかもしれない。
いつだったか、何かの展覧会を見に行った静岡県立美術館で、ロダン館というところに迷い込んで、たくさんのロダンの大きな(実寸の?)ブロンズ像に出くわしてびっくり仰天したことがある。あまりにびっくして、その時はじめてロダン作品をじっくり見た。ひとつひとつを丹念に見ていくと、気持ちが悪くなるくらいだった。ロダンは激しすぎて遠慮会釈というものがない。驚くべき作品群だ、と思った。日頃、ロダンについての情報はたくさん知っていても、情報を知りすぎていて、実際にロダン彫刻の現物を前にしてもじっくり見ることはなかった、ということにその時に気がついた。恥ずかしいことである。
小田原氏のこの作品で、作品として無理やり横たえられたロダンの彫刻をまたじっくり見ることになった。ブロンズ像を台座に固定しておく普段は見えない“仕掛け”も剥き出しになっているから、そんなところにも目が向いた。さりげなく展示されていたロダン彫刻の台座を、台座だけの姿でしげしげと見る事にもなった。普通はあり得ない状況でこうしたありさまに反応している自分自身にも意識が向いたりする。そういった意味でも、さまざまな覚醒を強いてくる面白さがある。
ただし、日本=地震国の国立美術館のコレクションであるロダン作品、というところから、大地震が襲ってきてロダンの彫刻も横倒しになったとしたら(実際に関東大震災の時にはロダンの彫刻は倒れて壊れてしまったそうだ)、、、みたいな“設定”を、巨大で真っ赤な五輪の塔をそそり立たせた一方で、あたかもその五輪の塔が崩れて床に散らばったかのようなインスタレーションとして作品に組み込んだりするのは陳腐で、説明の域を出ていない、と思う。
さらに、横倒し=水平、そこから「水平社」、転倒=転向、これらからの西光万吉という人物の作品の提示。ここからさらに、さまざまな問題へと繋いでいこうとしている様子も、彼女の日頃の真摯な問題意識や丹念な調査活動とは別に、語呂合わせや連想に興じているようにも感じさせられてしまう。彼女の執筆活動、出版活動の成果品である書物群を観客が手に取れるかたちで展示していたのも、それら一冊一冊は確かに興味深いが、この展示に同居させていることには若干の違和感も持った。
国立西洋美術館に傘を忘れて取りに行ってきた 2
2024-04-09
ぷんぷんしながら会場に入れば、大きくて妙な立体が立ちはだかっていた。なんじゃらホイ。杉戸洋氏の作品だという。この作品の何が面白いのか、掲げられている説明文を読んで改めて“鑑賞”しても、なんの感興も覚えない。説明文などには西洋美術館創設にまつわるいくつかの情報と資料・作品が示されていた。コルビュジエの絵もあった。あったが、ついさっき出鼻をくじかれて、最初に出くわす作品がこれかい、とますます気持ちがささくれ立っていく。
次に、中林忠良氏の銅版画の作品群が並んでいる。中林氏は私が学生だった頃、そこの一番若い専任教員(あるいは非常勤の「助手長」という教員?)だった。が、版画研究室を選ばなかった私は、一方的にお顔を知っているだけである。中林氏の作品群の合間にゴヤやブレダンなどの銅版画が紛れ込んでいる。
ブレダンのことは、学生時代に故駒井哲郎氏や故安東次男氏の文章で知った。いつの間にか、この美術館の常設展示、というか所蔵品展で見ることができるようになって、いい物を入手してくれて、じっくり見させてくれて、この美術館は素晴らしい、と思ってきた。ブレダンとはこれまでも何度かここでじっくりまみえることができて、その都度堪能させられてきた。何度見ても、どれを見ても飽きない。今回もやはり見応えがある。見入っているうちにご機嫌が治ってしまった。正直なところ、中林氏の作品が霞んでいるくらいだ。駒井哲郎氏の「束の間の幻想」もあった。これは中林氏の所蔵、とのキャプション。中林氏は師を心から尊敬している(らしい)。
次に、中林忠良氏の銅版画の作品群が並んでいる。中林氏は私が学生だった頃、そこの一番若い専任教員(あるいは非常勤の「助手長」という教員?)だった。が、版画研究室を選ばなかった私は、一方的にお顔を知っているだけである。中林氏の作品群の合間にゴヤやブレダンなどの銅版画が紛れ込んでいる。
ブレダンのことは、学生時代に故駒井哲郎氏や故安東次男氏の文章で知った。いつの間にか、この美術館の常設展示、というか所蔵品展で見ることができるようになって、いい物を入手してくれて、じっくり見させてくれて、この美術館は素晴らしい、と思ってきた。ブレダンとはこれまでも何度かここでじっくりまみえることができて、その都度堪能させられてきた。何度見ても、どれを見ても飽きない。今回もやはり見応えがある。見入っているうちにご機嫌が治ってしまった。正直なところ、中林氏の作品が霞んでいるくらいだ。駒井哲郎氏の「束の間の幻想」もあった。これは中林氏の所蔵、とのキャプション。中林氏は師を心から尊敬している(らしい)。
国立西洋美術館に傘を忘れてとりに行ってきた
2024-04-08
長い間、「雑記帳」をサボってしまった。まず、冒頭で言い訳である。
拙宅の耐震補強工事の計画のことを以前ここに少し書いた(打ち込んだ)。その工事がいよいよ6月から始まる(はずである)。
拙宅は、義父母が終戦後に建てた。増改築を重ね、木造二階建ての古くていささか変則的な家屋になって今に至っている。その一番古いところを中心に、今、やっと、補強しようとしている。古いところを補強するとバランス的に他の箇所の補強が必要になる(らしい)。結果、かなり大掛かりな工事になるようだ。
工事は私どもが建物に住みながら行なう。工事の間はどこかに仮住まいする、なんてことができる身分ではないからである。
まずは一階(私どもは二階で暮らしている)。真っ先に一階の床全部を取り払う(らしい)。なので、工事の開始までに、一階の荷物は全て、二階のどこかか一階にある私の仕事場や家人の仕事場に移動しておかねばならない。私の仕事場の一部も工事するのでそこも空っぽにしなければならない。そのためには、その移動先を片付けてスペースを作っておかねばならない。その片付けのためには、別のスペースを片付けなければならない、、、。えーん。
一階の工事が終わったら二階の工事である。その時は、工事をする二階の場所におかれた荷物を、工事が終わった一階、あるいは二階の工事しない場所に移動しなければならない。えーん。
つまり荷物の移動で毎日が過ぎていく。加えて、経費節約のために、壁や天井の塗装は自分ですることに決めた。できるかな。脚立から落ちないかな。これもやはり心配で、落ち着かない。
そんなこんなで、つい「雑記帳」を後回しにして、結果、サボってしまっていたわけである。
(言い訳はここまで。)
拙宅の耐震補強工事の計画のことを以前ここに少し書いた(打ち込んだ)。その工事がいよいよ6月から始まる(はずである)。
拙宅は、義父母が終戦後に建てた。増改築を重ね、木造二階建ての古くていささか変則的な家屋になって今に至っている。その一番古いところを中心に、今、やっと、補強しようとしている。古いところを補強するとバランス的に他の箇所の補強が必要になる(らしい)。結果、かなり大掛かりな工事になるようだ。
工事は私どもが建物に住みながら行なう。工事の間はどこかに仮住まいする、なんてことができる身分ではないからである。
まずは一階(私どもは二階で暮らしている)。真っ先に一階の床全部を取り払う(らしい)。なので、工事の開始までに、一階の荷物は全て、二階のどこかか一階にある私の仕事場や家人の仕事場に移動しておかねばならない。私の仕事場の一部も工事するのでそこも空っぽにしなければならない。そのためには、その移動先を片付けてスペースを作っておかねばならない。その片付けのためには、別のスペースを片付けなければならない、、、。えーん。
一階の工事が終わったら二階の工事である。その時は、工事をする二階の場所におかれた荷物を、工事が終わった一階、あるいは二階の工事しない場所に移動しなければならない。えーん。
つまり荷物の移動で毎日が過ぎていく。加えて、経費節約のために、壁や天井の塗装は自分ですることに決めた。できるかな。脚立から落ちないかな。これもやはり心配で、落ち着かない。
そんなこんなで、つい「雑記帳」を後回しにして、結果、サボってしまっていたわけである。
(言い訳はここまで。)