立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
ボヤボヤしていたら1ヶ月経ってしまった
2024-05-07
ひと月ほど前、「中平卓馬 火|氾濫」展の図録が宅配便で届いた。東京国立近代美術館のミュージアムショップで“購入”した時に予定されていた日から随分遅れての到着だった。
ちょうど出かけるところだったが、図録の到着を待ち侘びていたので、さっそく開梱してページを繰り、大変な不満を感じた。どの図版も小さいうえにボケているではないか! と思ったのである。
発行=配達がこんなに遅くなって、数日後には展覧会が終わってしまう、待たせに待たせたあげく、こんなボケて小さな図版を並べた図録だなんて、これはいったいどういうことだ? プンプン! と家人に八つ当たりして家を出たが、家人にはなんの関係もなかったのだから申し訳なかった。
数日後、こんどはたっぷり時間をとって、当該図録を開き、じっくり1ページ1ページ見ていったら、たしかに図版は小さいが、雑誌掲載時の見開きの状態できちんと掲載してある。すでに出版されている本、雑誌発表時の写真図版からの複写で構成した『都市 風景 図鑑 中平卓馬』(月曜社 2011年)は600ページを超える分厚さで大迫力であるが、そこでは写真図版以外の“情報”は割愛されている。そこが今回の図録とは大きく違っている。東京国立近代美術館(以下、近美と表記)での展示では、小さくプリントアウトされて展示されたり、映像化したものが展示されていたりしてはいたが、そういうものであっても見開きのとなりの記事や広告など、掲載時の状況を示しながらしっかり収録してある。おお、とってもいいではないか、と感じ入った。実際の展示を補って余りある、と思ったほどである。時々手に取って眺めて、その都度同じ感想を持つ。それを家人に言うと、ごくごく短期間のうちにまるで正反対の感想になってしまったのは、どゆこと? となじるような口調で言われてしまった。
どうやら、配達された時にはメガネなしで見ていたらしい。その後は老眼鏡越しに見ている。
ボケているのは図版ではなく、私の方だったのである(とオチがついたはずだが、話はここで終わらない)。
ちょうど出かけるところだったが、図録の到着を待ち侘びていたので、さっそく開梱してページを繰り、大変な不満を感じた。どの図版も小さいうえにボケているではないか! と思ったのである。
発行=配達がこんなに遅くなって、数日後には展覧会が終わってしまう、待たせに待たせたあげく、こんなボケて小さな図版を並べた図録だなんて、これはいったいどういうことだ? プンプン! と家人に八つ当たりして家を出たが、家人にはなんの関係もなかったのだから申し訳なかった。
数日後、こんどはたっぷり時間をとって、当該図録を開き、じっくり1ページ1ページ見ていったら、たしかに図版は小さいが、雑誌掲載時の見開きの状態できちんと掲載してある。すでに出版されている本、雑誌発表時の写真図版からの複写で構成した『都市 風景 図鑑 中平卓馬』(月曜社 2011年)は600ページを超える分厚さで大迫力であるが、そこでは写真図版以外の“情報”は割愛されている。そこが今回の図録とは大きく違っている。東京国立近代美術館(以下、近美と表記)での展示では、小さくプリントアウトされて展示されたり、映像化したものが展示されていたりしてはいたが、そういうものであっても見開きのとなりの記事や広告など、掲載時の状況を示しながらしっかり収録してある。おお、とってもいいではないか、と感じ入った。実際の展示を補って余りある、と思ったほどである。時々手に取って眺めて、その都度同じ感想を持つ。それを家人に言うと、ごくごく短期間のうちにまるで正反対の感想になってしまったのは、どゆこと? となじるような口調で言われてしまった。
どうやら、配達された時にはメガネなしで見ていたらしい。その後は老眼鏡越しに見ている。
ボケているのは図版ではなく、私の方だったのである(とオチがついたはずだが、話はここで終わらない)。