立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
気になる音のこと
2016-06-20
むかし、ジョン・ケージがハーバード大学の無響室に入ったのだそうだ。無響室とは、完全に外部からの音を遮断し、部屋の内部で出された音も壁や天井や床で反響させずに“吸い取って”しまう部屋。
ジョン・ケージは、その体験のことを、無響室とはいっても音がまったく消えてしまうのではない、自分自身の血液循環の音と神経系統が働く音とがする、と言ったのだそうだ。
血液循環の音、というのは心臓の拍動の音だろうが、神経系統が働く音、というのはどんな音だろう、と近頃しきりに思う。というのも、このごろ耳鳴りがするからだ。
朝など、とても大きく聞こえるので、まるで、耳鳴りに起こされているような気さえする。とはいえ、今のところ、目覚めなければ聞こえないから、耳鳴りを目覚まし時計の代わりに使うことはできていない。この文を書いている今も、結構大きく聞こえている。この耳鳴りのことを「神経系統が働く音」とケージは言ったのだろうか? それとも、もっと別の音のことだろうか?
ジョン・ケージは、その体験のことを、無響室とはいっても音がまったく消えてしまうのではない、自分自身の血液循環の音と神経系統が働く音とがする、と言ったのだそうだ。
血液循環の音、というのは心臓の拍動の音だろうが、神経系統が働く音、というのはどんな音だろう、と近頃しきりに思う。というのも、このごろ耳鳴りがするからだ。
朝など、とても大きく聞こえるので、まるで、耳鳴りに起こされているような気さえする。とはいえ、今のところ、目覚めなければ聞こえないから、耳鳴りを目覚まし時計の代わりに使うことはできていない。この文を書いている今も、結構大きく聞こえている。この耳鳴りのことを「神経系統が働く音」とケージは言ったのだろうか? それとも、もっと別の音のことだろうか?
「女わざと自然とのかかわり・農を支えた東北の布たち」展(2)
2016-06-06
おぼつかない知識で恐縮ながら、江戸時代まで日本には木綿がなかったのではなかったか。主として麻布、それからシナやイラクサなどから作られた布を用いていたはずだ。東北は寒くて綿が育たず、明治になってもなかなか木綿布が行き渡らなかった、と誰かから聞かされたように思う。絹は東北南部では江戸時代から生産されていたようだが、晴れ着など特別なものに用途が限られていたし、羊毛などもまた明治以降のものだったはずだ。いずれにせよ、これらはつい最近までずっと、女たちの手によって繊維から糸にされ、織られて布にされた。そして針仕事。身に纏えるようになるまで、大変な手間を要したわけだ。それが、いつの間にか「大量生産・大量消費」の世の中だ。大事なことを忘れ去ってしまっている。そういうことを感じさせてくれる。
展示されていたのは、着物や反物はもちろん、おくるみ、雑巾、手作りの足袋、手甲、ねじりごんぶくろ(西日本からの古着の木綿の布を斜めに接いでバイヤスを効かせた鮮やかな色調の袋。嫁入りや葬式で使う)、花刺しの雛形、マヤテ(野良で使う前垂れ)、かまばたおり(裂織のこと)、うづしき(盂蘭盆で仏壇前に野菜などの供物をのせる敷物)など。そして、祭りや芸能で用いられる装束や、紫根染に関する資料、ホームスパンのスーツなど。いずれも、しみじみとした感興とともに見た。
また、学芸員資格を取得するためのコースに所属する学生たちが描いたデッサン(今回展示されていた品物に類するものを描いたデッサン)がとてもひたむきで好ましく感じた。3月13日まで。
(2016年3月4日、東京にて)
展示されていたのは、着物や反物はもちろん、おくるみ、雑巾、手作りの足袋、手甲、ねじりごんぶくろ(西日本からの古着の木綿の布を斜めに接いでバイヤスを効かせた鮮やかな色調の袋。嫁入りや葬式で使う)、花刺しの雛形、マヤテ(野良で使う前垂れ)、かまばたおり(裂織のこと)、うづしき(盂蘭盆で仏壇前に野菜などの供物をのせる敷物)など。そして、祭りや芸能で用いられる装束や、紫根染に関する資料、ホームスパンのスーツなど。いずれも、しみじみとした感興とともに見た。
また、学芸員資格を取得するためのコースに所属する学生たちが描いたデッサン(今回展示されていた品物に類するものを描いたデッサン)がとてもひたむきで好ましく感じた。3月13日まで。
(2016年3月4日、東京にて)
「女わざと自然とのかかわり・農を支えた東北の布たち」展(1)
2016-06-06
先日、文化学園博物館を訪れたとき、掲示板で見つけたポスターで知った展示を見に世田谷区経堂に行ってきた。目指したのは東京農業大学「食と農」の博物館。小田急線経堂駅からてくてく歩く。商店街を抜けると、さすがにこの辺は静かな住宅街で稀に通る車の音以外、自分の足音だけしか聞こえてこない。穏やかな日でもあり大変気持ちがよかった。
ちょうど付属高校の卒業式の日だったらしく、大学構内もすこし浮き立っているかのようだった。すぐに学食に向かい腹ごしらえ。少しゆっくりして、生協の本棚などを見物する。なるほど、この大学ならではの品揃えだ。パースの本やスケッチの手ほどきをする本などもあって、妙に納得してしまった。
博物館は馬事公苑のそばにあった。無料。さっそく「布たち」の展示に向かった。
そんなに広いスペースではないし、そんなに特別なものが並んでいるわけではないが、実に愛情のこもった展示で心地よい。「女わざの会」というのがあるのだそうで、その「会」とこの博物館との共同企画とのこと。展示と展示物に関する非常に親切な冊子も無料で配布されている。素晴らしいことだ。
「女わざの会」には、「人前には出せないものだけど」「どうしても捨てられない」「私が居なくなったら焼かれてしまう」というようなものが持ち込まれてきたのだそうだ。「どうしても捨てられない」…、なんとなく分かるような気がする。だから、展示されている多くのものはじつに素朴な姿の布たちである。とはいえ、それらに込められた「思い」はじつに深く、それを受け止めた企画者の「思い」もあって、それらが伝わってくる。
つづく
ちょうど付属高校の卒業式の日だったらしく、大学構内もすこし浮き立っているかのようだった。すぐに学食に向かい腹ごしらえ。少しゆっくりして、生協の本棚などを見物する。なるほど、この大学ならではの品揃えだ。パースの本やスケッチの手ほどきをする本などもあって、妙に納得してしまった。
博物館は馬事公苑のそばにあった。無料。さっそく「布たち」の展示に向かった。
そんなに広いスペースではないし、そんなに特別なものが並んでいるわけではないが、実に愛情のこもった展示で心地よい。「女わざの会」というのがあるのだそうで、その「会」とこの博物館との共同企画とのこと。展示と展示物に関する非常に親切な冊子も無料で配布されている。素晴らしいことだ。
「女わざの会」には、「人前には出せないものだけど」「どうしても捨てられない」「私が居なくなったら焼かれてしまう」というようなものが持ち込まれてきたのだそうだ。「どうしても捨てられない」…、なんとなく分かるような気がする。だから、展示されている多くのものはじつに素朴な姿の布たちである。とはいえ、それらに込められた「思い」はじつに深く、それを受け止めた企画者の「思い」もあって、それらが伝わってくる。
つづく