立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
北海道づくしの日々
2022-06-27
北海道に行ってきた。行って、何をしてきたか? 秘密(ひ・み・つ)である。とは言え、実に濃密な時間であった。さまざまな方々にお世話になった。ありがたいことである。
東京に戻ってきたら、今日など、気温36度、とか言っている。コロナ予防で計測される私の体温と同じ温度である。確か、まだ梅雨明け前だ。ホントの夏が怖い。
あんまり暑いのでエアコンをつけると、テレビで、電力が足りなくなりそうだ、などと言っている。家電の中ではエアコンが一番電力を使う、などとも言っている。タイミングが良すぎるのではないか。背後に、何か怪しい意図を感じてしまうのは、私だけだろうか?
そんな中、仕事場を片付けていると、思いがけないところから、江藤淳『考えるよろこび』という本が出てきた。全く記憶にない本である。どこかの古本屋の100円ワゴンセールで買ったまま忘れてしまったのだろう。
「まえがき」を見ると「講演をまとめたもの」とある。「目次」では6つの講演が収められている。「まえがき」に戻ると、その中の一つについて、「『婦人公論』の講演会の時に話したので、札幌のほかに旭川、帯広、釧路の三カ所で同じようなことを話した」とある。ここまで読んで、あれっ? と思った。
昔、帯広市で純朴な高校生をやっていた頃、江藤淳と寺山修司が講演をしにやってきたことがあった。私はそれをポスターで知って、自転車を漕いで聴きに行った。会場は帯広市民会館大ホール、確か無料だった(はずである)。最前列に席を占めた(はずである)。
寺山修司は身体の大きな人だった。家出をしなさい、という話をした(はずだ)。家出がどれほど優れたおこないであるか、を手を替え品を替え話していた(はずだ)。家出ができそうもない人は、せめて今日の帰りをいつもと違う道筋にしてごらんなさい。それが締めだった(はずだ)。
東京に戻ってきたら、今日など、気温36度、とか言っている。コロナ予防で計測される私の体温と同じ温度である。確か、まだ梅雨明け前だ。ホントの夏が怖い。
あんまり暑いのでエアコンをつけると、テレビで、電力が足りなくなりそうだ、などと言っている。家電の中ではエアコンが一番電力を使う、などとも言っている。タイミングが良すぎるのではないか。背後に、何か怪しい意図を感じてしまうのは、私だけだろうか?
そんな中、仕事場を片付けていると、思いがけないところから、江藤淳『考えるよろこび』という本が出てきた。全く記憶にない本である。どこかの古本屋の100円ワゴンセールで買ったまま忘れてしまったのだろう。
「まえがき」を見ると「講演をまとめたもの」とある。「目次」では6つの講演が収められている。「まえがき」に戻ると、その中の一つについて、「『婦人公論』の講演会の時に話したので、札幌のほかに旭川、帯広、釧路の三カ所で同じようなことを話した」とある。ここまで読んで、あれっ? と思った。
昔、帯広市で純朴な高校生をやっていた頃、江藤淳と寺山修司が講演をしにやってきたことがあった。私はそれをポスターで知って、自転車を漕いで聴きに行った。会場は帯広市民会館大ホール、確か無料だった(はずである)。最前列に席を占めた(はずである)。
寺山修司は身体の大きな人だった。家出をしなさい、という話をした(はずだ)。家出がどれほど優れたおこないであるか、を手を替え品を替え話していた(はずだ)。家出ができそうもない人は、せめて今日の帰りをいつもと違う道筋にしてごらんなさい。それが締めだった(はずだ)。
近所の工事が巻き起こしていること
2022-06-07
拙宅の近所で住宅を取り壊して集合住宅を作るための工事が始まった。不意に、あ、ついに直下地震! というほど強く揺れたりする。そんな時は、直ちに、この文を打ち込んでいるこの場所から離れる。周囲の棚からの本や荷物の直撃を避けるためだ。
工事の揺れと本物の地震との区別がつかない。が、本物と違ってすぐにおさまるから、その時点で安堵する。また揺れる。逃げる。安堵する。戻る。何度も繰り返す。幸い物品の落下による被害は今のところない。時々、本物の地震もあるし、厄介な毎日である。
ということであるから、このところほとんど外に出ていない。外に出ずに何をしているか? 秘密(ヒ・ミ・ツ)である。
工事の揺れもそうだが、近所にネズミが出没するようになった。あたりを走り回っているのを数回見た。同じネズミかどうか分からない。この間はウチの脇の方の通路に姿を消した。え、やばいぞ。
まだ、家の中では遭遇していない。いないが、入って来られると実に厄介なので、毒物やあの粘着力の強い“鼠取り”を買ってきて外のあちこちに仕掛けた。毒物は程なく全部キレイになくなった。死骸は見つからない。
今朝、家人が洗濯物を干したあと深刻な顔つきで、エアコンの室外機の下に仕掛けた“鼠取り”に小鳥がかかっている、死んでいるみたい、と言いにきた。お願い、片付けて。
私はイクジがないので、やだ、と言った。
家人は一旦は諦めたようだったが、もう一度やってきて今度は料理用のあの薄い手袋とポリ袋とを持って、これに入れてゴミ箱に入れて、と今度はキリリとした顔で言った。
おとなしく従って、手袋をしてポリ袋を持って室外機の下を見ると、スズメが“鼠取り”にペッタリ貼り付いて事切れていた。
昨日の急なドシャ降りを避けようとしたのかしら、かわいそうに、と家人が言った。
私は事務的に“片付け”を完了し、手袋を外すのに手間取っていた。裏返すようにするの、それも捨ててね、と家人が言った。
それからいつものこの場所に戻ると、今度はパソコンの脇に積み上がってしまっていた資料が崩れ落ちた。ドラマチックな朝である。片付けに余計な時間がかかる。
ネズミといえば、「スーパー・ラット」のあのチムポムの森美術館での展覧会は終わってしまった。結局見に行かなかった。“改名”したようだが、覚えることができない。何かの雑誌でエリイという名のメンバーの一人と、誰とだったか、対談していたのは読んだ。その雑誌を確認しようとするが、今、行方が分からない。
それにしても、渋谷でネズミを捕獲して殺し、死骸を剥製にしてピカチューの像にしてしまう、とはよく考え、よく実行したものだ。まだ、その実物を見たことがない。村上隆氏の「スーパー・フラット」をコケにしているのも、なかなかのものだ。命名のセンスは大事なのだ。
チムポムの兄貴分は会田誠氏である(らしい)。その会田氏と「あんどー」氏とがツイッターで“小競り合い”をしている(らしい)。「あんどー」氏が会田氏に対して用いた「延命」という言葉に反応した会田氏が使った「お里」という言葉、その背後にある“無意識”の構造を「あんどー」氏が鋭く指摘した格好になっている(らしい)。私が見るに「あんどー」氏が優勢である。とはいえ、私はツイッターのアカウントとやらを持っていないので、不確かな情報に基づくただのヤジウマの噂話である。
工事の揺れと本物の地震との区別がつかない。が、本物と違ってすぐにおさまるから、その時点で安堵する。また揺れる。逃げる。安堵する。戻る。何度も繰り返す。幸い物品の落下による被害は今のところない。時々、本物の地震もあるし、厄介な毎日である。
ということであるから、このところほとんど外に出ていない。外に出ずに何をしているか? 秘密(ヒ・ミ・ツ)である。
工事の揺れもそうだが、近所にネズミが出没するようになった。あたりを走り回っているのを数回見た。同じネズミかどうか分からない。この間はウチの脇の方の通路に姿を消した。え、やばいぞ。
まだ、家の中では遭遇していない。いないが、入って来られると実に厄介なので、毒物やあの粘着力の強い“鼠取り”を買ってきて外のあちこちに仕掛けた。毒物は程なく全部キレイになくなった。死骸は見つからない。
今朝、家人が洗濯物を干したあと深刻な顔つきで、エアコンの室外機の下に仕掛けた“鼠取り”に小鳥がかかっている、死んでいるみたい、と言いにきた。お願い、片付けて。
私はイクジがないので、やだ、と言った。
家人は一旦は諦めたようだったが、もう一度やってきて今度は料理用のあの薄い手袋とポリ袋とを持って、これに入れてゴミ箱に入れて、と今度はキリリとした顔で言った。
おとなしく従って、手袋をしてポリ袋を持って室外機の下を見ると、スズメが“鼠取り”にペッタリ貼り付いて事切れていた。
昨日の急なドシャ降りを避けようとしたのかしら、かわいそうに、と家人が言った。
私は事務的に“片付け”を完了し、手袋を外すのに手間取っていた。裏返すようにするの、それも捨ててね、と家人が言った。
それからいつものこの場所に戻ると、今度はパソコンの脇に積み上がってしまっていた資料が崩れ落ちた。ドラマチックな朝である。片付けに余計な時間がかかる。
ネズミといえば、「スーパー・ラット」のあのチムポムの森美術館での展覧会は終わってしまった。結局見に行かなかった。“改名”したようだが、覚えることができない。何かの雑誌でエリイという名のメンバーの一人と、誰とだったか、対談していたのは読んだ。その雑誌を確認しようとするが、今、行方が分からない。
それにしても、渋谷でネズミを捕獲して殺し、死骸を剥製にしてピカチューの像にしてしまう、とはよく考え、よく実行したものだ。まだ、その実物を見たことがない。村上隆氏の「スーパー・フラット」をコケにしているのも、なかなかのものだ。命名のセンスは大事なのだ。
チムポムの兄貴分は会田誠氏である(らしい)。その会田氏と「あんどー」氏とがツイッターで“小競り合い”をしている(らしい)。「あんどー」氏が会田氏に対して用いた「延命」という言葉に反応した会田氏が使った「お里」という言葉、その背後にある“無意識”の構造を「あんどー」氏が鋭く指摘した格好になっている(らしい)。私が見るに「あんどー」氏が優勢である。とはいえ、私はツイッターのアカウントとやらを持っていないので、不確かな情報に基づくただのヤジウマの噂話である。