立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
円空展をみて考えたこと
2013-07-13
東京国立博物館での「円空展」を見た。
一月の開始早々見に行ってきた。すぐにこの文を書こうと思ったが、毎日慌ただしくしているうちに今日になってしまった。あんなに寒かったのに、もうすでに桜が散り始めてしまっている。書こうと思っていたこともあやふやになってしまった。物忘れが激しいのだ。
で、今日、もう一回行ってきた。
久しぶりに晴れ渡って暖かいので、上野公園は人でいっぱいだった。公園だけでなく、「円空展」の会場も大変混み合っていた。混み合ってはいたが、私が確認したかったのは、実にシンプルなことだったので、人混みなど気にもならなかった。
何を確認したかったのか?
展示台上にさりげなく置かれた小さな反射板を確認したかったのである。
展示台はマットな黒。そこに円空仏が置かれている。いくつかの円空仏の前に、小さな反射板が添えられていた。その反射板がどんな作りだったか、記憶が曖昧になってしまったのだ。
確認した反射板はこんな具合だった。
おそらくはガラス製の鏡。その鏡の表面に、サンドブラストをざっと当てて微細な凸凹を作り、曇りガラスよりもう少し“曇っていない”表面にして入射する光を限定し散乱させて、反射を和らげている。ちいさな手鏡位からさらに小さな大きさのものまで、じつにシンプルなものである。水平のもの、傾斜したものがあり、傾斜の角度は光源と反射光を当てる箇所によって調整してある。どれも、きちんと側面を処理してある。わざわざ確認するまでもないようなシンプルさであった。
この反射板のおかげで、円空仏の表情がやわらぎ、細部にも目が届く。反射板が置かれた円空仏は16体。うち1体にはふたつの反射板が使われていたから、反射板は17枚だった。こうしたシンプルな方法で照明を工夫していることが、いろいろな意味で主催者の愛情を感じさせられた。私はこういうさりげない配慮が好きだ。
この展覧会の呼び物は「両面宿儺坐像」だ。ちょっと特別扱いされていた。まず、大木の根や幹を表した大掛かりな造形物の演出があった。さらに下方からライトが当たっていた。シンプルな反射板では呼び物にふさわしくない、と言っているかのよう。もちろんそれは冗談。天井の照明具との関係で、反射光で処理することが不可能だったのだろう。
天井には照明具のために電気を通した四つの四角い枠や数本のレールが吊るされており、二階“バルコニー”状のところにも同様の枠が設置されている。これらを用いた照明具と「両面宿儺坐像」との位置関係が、下方からの補助光をどうしても必要としたのだろう。
下方からのライトは「千手観音菩薩立像」と「聖観音菩薩立像」とのそれぞれにも当てられていたが、それが特別な意味、つまり、これらの円空物は特別です、というような意味を含んでのこととは考えたくない。また、上部にLEDを仕込んだ特別のケースにおさめられた8体についても、同様、特別な意味を読み取るべきではないはずだ。
主たる照明に対して、補助光、反射光をどうするか、というのは、立体をどう感じさせたいのか、という問題に繋がっている。写真撮影においても、照明や反射光の扱い方が極めて重要であることは言うまでもない。壁上の平面を撮影するような単純な状況の際でも、床面に白い模造紙とか白い布とかを敷くだけで、その平面に当たっている光の明るさのかたよりを補正できる。ある写真家から教わった。紙や布のようなありふれたもので反射光を作り出すわけである。白いものならどんなものでも使える。一種のブリコラージュだろう。
一月の開始早々見に行ってきた。すぐにこの文を書こうと思ったが、毎日慌ただしくしているうちに今日になってしまった。あんなに寒かったのに、もうすでに桜が散り始めてしまっている。書こうと思っていたこともあやふやになってしまった。物忘れが激しいのだ。
で、今日、もう一回行ってきた。
久しぶりに晴れ渡って暖かいので、上野公園は人でいっぱいだった。公園だけでなく、「円空展」の会場も大変混み合っていた。混み合ってはいたが、私が確認したかったのは、実にシンプルなことだったので、人混みなど気にもならなかった。
何を確認したかったのか?
展示台上にさりげなく置かれた小さな反射板を確認したかったのである。
展示台はマットな黒。そこに円空仏が置かれている。いくつかの円空仏の前に、小さな反射板が添えられていた。その反射板がどんな作りだったか、記憶が曖昧になってしまったのだ。
確認した反射板はこんな具合だった。
おそらくはガラス製の鏡。その鏡の表面に、サンドブラストをざっと当てて微細な凸凹を作り、曇りガラスよりもう少し“曇っていない”表面にして入射する光を限定し散乱させて、反射を和らげている。ちいさな手鏡位からさらに小さな大きさのものまで、じつにシンプルなものである。水平のもの、傾斜したものがあり、傾斜の角度は光源と反射光を当てる箇所によって調整してある。どれも、きちんと側面を処理してある。わざわざ確認するまでもないようなシンプルさであった。
この反射板のおかげで、円空仏の表情がやわらぎ、細部にも目が届く。反射板が置かれた円空仏は16体。うち1体にはふたつの反射板が使われていたから、反射板は17枚だった。こうしたシンプルな方法で照明を工夫していることが、いろいろな意味で主催者の愛情を感じさせられた。私はこういうさりげない配慮が好きだ。
この展覧会の呼び物は「両面宿儺坐像」だ。ちょっと特別扱いされていた。まず、大木の根や幹を表した大掛かりな造形物の演出があった。さらに下方からライトが当たっていた。シンプルな反射板では呼び物にふさわしくない、と言っているかのよう。もちろんそれは冗談。天井の照明具との関係で、反射光で処理することが不可能だったのだろう。
天井には照明具のために電気を通した四つの四角い枠や数本のレールが吊るされており、二階“バルコニー”状のところにも同様の枠が設置されている。これらを用いた照明具と「両面宿儺坐像」との位置関係が、下方からの補助光をどうしても必要としたのだろう。
下方からのライトは「千手観音菩薩立像」と「聖観音菩薩立像」とのそれぞれにも当てられていたが、それが特別な意味、つまり、これらの円空物は特別です、というような意味を含んでのこととは考えたくない。また、上部にLEDを仕込んだ特別のケースにおさめられた8体についても、同様、特別な意味を読み取るべきではないはずだ。
主たる照明に対して、補助光、反射光をどうするか、というのは、立体をどう感じさせたいのか、という問題に繋がっている。写真撮影においても、照明や反射光の扱い方が極めて重要であることは言うまでもない。壁上の平面を撮影するような単純な状況の際でも、床面に白い模造紙とか白い布とかを敷くだけで、その平面に当たっている光の明るさのかたよりを補正できる。ある写真家から教わった。紙や布のようなありふれたもので反射光を作り出すわけである。白いものならどんなものでも使える。一種のブリコラージュだろう。
小山穂太郎展を見た
2013-07-08
秋山画廊(東京)で開催中の「小山穂太郎展」を見た。
会場に入ると、床一面に鏡のようなものが敷き詰められ、黒い正方形を台座のようにしてやはり黒い二つのものが配されている。また、向こう側壁には鏡が垂直に立てかけられており、それに接するようにやはり黒いものが床に置かれている。それぞれのものからはコードのようなものが出て、床を這っている。これらが、天井からの複数のライトの弱い光の中に見える。床が鏡のようなもので敷き詰められている、と思ったのも、その天井のライトが床面に映り込んでいるからだ。
そうした状況を断ち切るかのように、一瞬の光がさすことがある。確かめるためにしばらく待っていると、それは壁に立てられた鏡に接して置かれた黒いものから出た光だった。床に置かれた黒いものからも出るのではないか、とさらに待っていると、予想通りだった。手前のものから同様に一糞の光がさした。会場の中に入り込んで、壁に立てられた鏡に接するように置かれたものが大きなストロボライトであることが確認できると、床面の黒い四角い台座のようなものにも同様なストロボライトが床面に向けて仕組まれていることにも気付くことになった。もう一つの床置きの黒いものも床面に向けて設営されたライトのようだった。形状がストロボライトとは異なっていた。やがて、このライトからも光がさすのが確認できた。ストロボタイトからの光は当然一瞬であり、それぞれ長いインターバルを置いて点灯するのだが、ライトの方は比較的長時間点灯しては消え、インターバルを置いている。
鏡がステンレスのようなものであれば、表面がそのまま鏡面である。それに対して、ここに用いられている鏡は透明な厚みを有しておりガラスかアクリルのようなもので出来ている。画廊の秋山さんが、アクリル板です、と教えてくれた。そのアクリル板の厚みから、三つのライトで点いた光が漏れ出すのである。会場床に敷き詰められたアクリル製の鏡の表面には無数の傷がついている。アクリル板は傷がつきやすい。が、作者はこれらの傷を気にしているようには見えない。傷で生じる乱反射の曇りが、かえって一種の“情緒”を形作っているように感じられた。
ふと気付くと、奥の壁に立てられた鏡に正対するように、反対側の壁にも小ぶりな鏡がさりげなく懸けられていたのに気付いた。壁の鏡どうしで、光に無限の往復運動を促しているかのようだ。
この作者は昨年、同じ会場で、多くのガラス片で床を覆いつくし堆積させて、そこに影絵をつくるようなシンプルな装置を仕組んだ。壁に“影絵”が映っていた。ガラス片の分量には呆れるほどだった。それらを踏みしめて会場を移動するたびに音が出た。音が出るたびにガラス片は摩耗していく。触れると手が切れそうな危険さを帯びたガラス片を写真とともに作品の一部に用いて始めたこの作者が、これから一体どこに向かっていくのか、興味が尽きなかった。
会場に入ると、床一面に鏡のようなものが敷き詰められ、黒い正方形を台座のようにしてやはり黒い二つのものが配されている。また、向こう側壁には鏡が垂直に立てかけられており、それに接するようにやはり黒いものが床に置かれている。それぞれのものからはコードのようなものが出て、床を這っている。これらが、天井からの複数のライトの弱い光の中に見える。床が鏡のようなもので敷き詰められている、と思ったのも、その天井のライトが床面に映り込んでいるからだ。
そうした状況を断ち切るかのように、一瞬の光がさすことがある。確かめるためにしばらく待っていると、それは壁に立てられた鏡に接して置かれた黒いものから出た光だった。床に置かれた黒いものからも出るのではないか、とさらに待っていると、予想通りだった。手前のものから同様に一糞の光がさした。会場の中に入り込んで、壁に立てられた鏡に接するように置かれたものが大きなストロボライトであることが確認できると、床面の黒い四角い台座のようなものにも同様なストロボライトが床面に向けて仕組まれていることにも気付くことになった。もう一つの床置きの黒いものも床面に向けて設営されたライトのようだった。形状がストロボライトとは異なっていた。やがて、このライトからも光がさすのが確認できた。ストロボタイトからの光は当然一瞬であり、それぞれ長いインターバルを置いて点灯するのだが、ライトの方は比較的長時間点灯しては消え、インターバルを置いている。
鏡がステンレスのようなものであれば、表面がそのまま鏡面である。それに対して、ここに用いられている鏡は透明な厚みを有しておりガラスかアクリルのようなもので出来ている。画廊の秋山さんが、アクリル板です、と教えてくれた。そのアクリル板の厚みから、三つのライトで点いた光が漏れ出すのである。会場床に敷き詰められたアクリル製の鏡の表面には無数の傷がついている。アクリル板は傷がつきやすい。が、作者はこれらの傷を気にしているようには見えない。傷で生じる乱反射の曇りが、かえって一種の“情緒”を形作っているように感じられた。
ふと気付くと、奥の壁に立てられた鏡に正対するように、反対側の壁にも小ぶりな鏡がさりげなく懸けられていたのに気付いた。壁の鏡どうしで、光に無限の往復運動を促しているかのようだ。
この作者は昨年、同じ会場で、多くのガラス片で床を覆いつくし堆積させて、そこに影絵をつくるようなシンプルな装置を仕組んだ。壁に“影絵”が映っていた。ガラス片の分量には呆れるほどだった。それらを踏みしめて会場を移動するたびに音が出た。音が出るたびにガラス片は摩耗していく。触れると手が切れそうな危険さを帯びたガラス片を写真とともに作品の一部に用いて始めたこの作者が、これから一体どこに向かっていくのか、興味が尽きなかった。
新井淳一さんってすごい
2013-07-02
東京のオペラシティーアートギャラリーで開催中の『新井淳一の布 伝統と創生』展を見た。素晴らしかった。
新井淳一氏は、知る人ぞ知る世界的なテキスタイルデザイナー。桐生の人で、1932年生まれという。会場で流れていたビデオや音では、とてもお元気そうだ。
フィルム状のごく薄い合成樹脂に金属を蒸着させて細く切り、“糸”にする。金属質の糸ができる。その糸を撚り、織って、布を作る。新井氏はそんなことをやった。
合成樹脂に蒸着、というのもすごいが、フィルム状の合成樹脂を細長く切れば糸になる、という発想がすごい。
日本には「金糸」というものがある。あれは、和紙に漆で金箔を貼り付けて細く切った「平箔」というものを糸に巻きつけて作るそうだ。つまり、糸は、はじめから糸として位置付けられている。
これに対して、薄い「面」を細く細く切れば「線」=糸を作ることができるはずだ、やってみよう、というのは、これは根本的に発想が異なる。すごい、と思う。
それだけではない。
布は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)とで成り立つ構築物である。つまり、布は平面ではなく立体なのだ。このような構築物を作ることを「織る」と言っている。他に「編む」とか「絡める」とかなどの布の作り方があるが、深入りしない。
布は穴を作る技法だ、と言った人がいる。それを知った時はびっくりした。だから“第二の皮膚”になれるのだ、とその人は言った。堀内紀子氏がその人。
ともかく、「織る」ための素材は、麻、綿、絹、羊毛、合成樹脂などの「超」細くて長い物体である。そういう素材を繊維と言っている。
それぞれの素材は、互いに異なった特質を備えている。たとえば、羊毛は水洗いすると縮む。だから、私たちはセーターなどが縮まないように注意する。新井氏は素材のこうした性質も利用する。経糸にどんな素材をどう使うか、緯糸にはどうか、と設計し、時にわざと縮めたりすることさえも前提に計画するのである。だからテキスタイルデザインなのだ。
「織る」手法もさまざまである。現代では、手で織るか、機械で織るか、というところでまず大きな違いがある。ここでも新井氏がすごいのは、手作業での伝統的な技術と最先端の機械の技術とをやすやすと組み合わせてしまうことだ。たとえば、アフリカで織られてきた織物に似た表情が、ジャガード織で現代に蘇えるのである。層を成す布も作ってしまう。発想が、実に柔軟で気持ちがいい。勇気が湧いてくる。
展示されている中に、虹色を呈する布があった。
新井淳一氏は、知る人ぞ知る世界的なテキスタイルデザイナー。桐生の人で、1932年生まれという。会場で流れていたビデオや音では、とてもお元気そうだ。
フィルム状のごく薄い合成樹脂に金属を蒸着させて細く切り、“糸”にする。金属質の糸ができる。その糸を撚り、織って、布を作る。新井氏はそんなことをやった。
合成樹脂に蒸着、というのもすごいが、フィルム状の合成樹脂を細長く切れば糸になる、という発想がすごい。
日本には「金糸」というものがある。あれは、和紙に漆で金箔を貼り付けて細く切った「平箔」というものを糸に巻きつけて作るそうだ。つまり、糸は、はじめから糸として位置付けられている。
これに対して、薄い「面」を細く細く切れば「線」=糸を作ることができるはずだ、やってみよう、というのは、これは根本的に発想が異なる。すごい、と思う。
それだけではない。
布は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)とで成り立つ構築物である。つまり、布は平面ではなく立体なのだ。このような構築物を作ることを「織る」と言っている。他に「編む」とか「絡める」とかなどの布の作り方があるが、深入りしない。
布は穴を作る技法だ、と言った人がいる。それを知った時はびっくりした。だから“第二の皮膚”になれるのだ、とその人は言った。堀内紀子氏がその人。
ともかく、「織る」ための素材は、麻、綿、絹、羊毛、合成樹脂などの「超」細くて長い物体である。そういう素材を繊維と言っている。
それぞれの素材は、互いに異なった特質を備えている。たとえば、羊毛は水洗いすると縮む。だから、私たちはセーターなどが縮まないように注意する。新井氏は素材のこうした性質も利用する。経糸にどんな素材をどう使うか、緯糸にはどうか、と設計し、時にわざと縮めたりすることさえも前提に計画するのである。だからテキスタイルデザインなのだ。
「織る」手法もさまざまである。現代では、手で織るか、機械で織るか、というところでまず大きな違いがある。ここでも新井氏がすごいのは、手作業での伝統的な技術と最先端の機械の技術とをやすやすと組み合わせてしまうことだ。たとえば、アフリカで織られてきた織物に似た表情が、ジャガード織で現代に蘇えるのである。層を成す布も作ってしまう。発想が、実に柔軟で気持ちがいい。勇気が湧いてくる。
展示されている中に、虹色を呈する布があった。