273 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都造形芸術大学(現在の京都芸術大学)教員の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

元京都造形芸術大学(現在の京都芸術大学)教員。

福井で「藤本由紀夫展」を見た(2)
2014-07-15
 段ボール箱には、中に収められていた製品を示すロゴ、(たとえばハーマンミラーとかのロゴ)が印刷されている。そのロゴは、段ボール箱自体は高価なものではないが中に入っていたはずの製品は“由緒正しい”比較的高価なものだった、ということを雄弁に語っている。言い換えれば、その製品にまつわるさまざまなイメージや文脈が自然にオルゴールが取り付けられた段ボール箱に重なってくるのである。
 思い切ってつまみを回してみる。段ボール箱の空洞に反響して、どこかで聞いたことのある短い旋律が奏でられる。同じ箱の別のつまみを回してみる。同じ旋律が奏でられる。ひとつの旋律が聞こえなくなる前に別のつまみを回してみる。当然のことだが音の重なりができる。聞いたことのある短い旋律が別のものに転じ、元の旋律に戻ってくるのだ。それは単独のつまみでは作り出せない状況である。つまみが二つあることによって、オルゴールで即興演奏ができる、と言ってもよい。面白い。
 様々な箱のつまみを回してみる。ギャラリーの空間は、つかの間のコンサートホールのようになる。
 つい、つまみを回すことにばかり集中してしまって、音を聞くのが疎かになるのが情けない。
 壁いっぱいにたくさんの段ボール箱がくっつけられている作品では、一つのつまみから一つの高さの音しか出ない。わずかな間隔を置いて同じ高さの音が二回出ることもあるので、どうやら、ある旋律を奏でるはずのオルゴールの爪を、ある高さの音の爪だけを残して、他の不要な複数の爪は何かの方法で取り去ったものではないか、その操作をすべての高さの音についておこなって、そのオルゴールを箱に取り付けたのではないか、と想像できる。たくさんの段ボール箱に取り付けたオルゴールがすべてそろうとあるひとつの旋律が奏でられるはずなのだが、つまみを回すタイミングが特定できないので、どんな旋律になるか、どんな音の重なりになるか、その時その時にならないと決まらない。一回限りの出来事が今ここで起こっている、ということが際立ってくる。
 時を置いて思い起こしてみると、どんな曲だったか、箱の数はいくつあったか、などのことがなかなか思い出せないが、驚きに近いわくわくした気持ちのときめきは、ありありと蘇える。
(2014年7月9日 東京にて)
福井で「藤本由紀夫展」を見た(1)
2014-07-15
 6月28日、福井市で「藤本由紀夫展」を見た。友人からの情報で知った。会期終了一日前だった。
 藤本由紀夫さんは私が勤務している学校の“同僚”だが、所属が違うのでほとんど会うことがない。昨年、私が神宮外苑の東京藝術学舎で企画した連続特別講義の折、はじめて挨拶し、すこしの間お話しできただけだ。
 でもずっと、藤本さんの作品は知っていて、大阪の国立国際美術館や名古屋市美術館での個展などにも行くことができていた。いずれも、とても印象深い展覧会で、藤本さんの作品に立ち会うと、鈍麻していた感覚が呼びさまされるような気がした。
 今回は、既存の段ボール箱に複数のオルゴールを取り付けて、観客がそのつまみを回して音を出せるようにしたものを作品として数点、壁と床に設置していた。オルゴールを用いる作品は藤本さんには珍しくないが、近年は、既成の箱とオルゴールとを組み合わせる試みが続いているように思う。

つづく

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