立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
モランディ展のこと・ふたたび
2016-07-27
東京駅ステーションギャラリーでの「モランディ展」のことを先にメモした。
その後、同展は盛岡市の岩手県立美術館に巡回中だという。6月5日まで。ああ、せめて、もう一回みたい。けど、ムリだな。お財布が軽すぎる。そのかわり、と言ってはナンだが、充分すぎる余韻に浸っている。
先のメモに、会場に展示されていた写真、ボローニア・フォンダッツア通りのモランディのアトリエ写真に写っていたモチーフ台のテーブル面の形状が台形ではないか、と最後に記した。その後、図書館で調べてみたり、イタリアに留学経験のあるイタリア美術の専門家に聞いてみたり、したが、確認できなかった。それで、思い切って「担当の学芸員の方」宛に手紙を出した。そうしたら、成相肇さんという方が、すごく丁寧にいろいろお教えて下さった。お仕事で忙しい中、本当にありがたいことだった。
で、結論だが、やはり台形だった。手前側が下底、奥が上底の台形。手作りでパネル状につくって、既存の“足”につないでテーブル状になるように一体化してある。その手作りのモチーフ台の全体をさらに木箱に乗せて高くしてある。床面からそのテーブル面まで、136cmの高さだという。成相さんがモランディ美術館から提供してもらった寸法ということだ。教えていただけて、本当にありがたい。
件の台形のもの以外に、質素過ぎるくらいのモランディのアトリエには、モチーフをセットして描くためのテーブル=モチーフ台があと二つ、全部で三つある。
一つは台形の台のとなりにほぼ同じ高さで楕円形の台。壁に対して若干斜めに置かれている。背後に布を張ったパネルを置いて楕円の長軸と平行な面を作ってある。
もうひとつは別の壁(ベッドの置かれている壁の反対側の壁)に添わせて置かれている。背の低い、というか普通の高さのモチーフ台=テーブル(床から84cmという)、これも既存のテーブル上に手作りの四角いパネルを置いてあるように見える。
あと、モチーフ台にも使えそうな整理棚、H型イーゼル、三本足イーゼル、ベッド、イス、小ぶりなキャビネット、たくさんの瓶などのモチーフ、少しの本、紙類、画材。これらがアトリエにあるすべてだ。窓はひとつ(ひょっとするとふたつ?)、天井から電球ひとつ。これらの配置の状況が、成相さんから教えてもらった資料から、すこしずつ頭の中に整理されてきた。部屋の大きさは十畳くらいだろうか。本当に質素そのものである。
ここまでイメージを確かにできたのは、成相さんが、愛知芸大客員教授・美術ジャーナリストの鈴木芳雄さんの文章のあるサイトを教えてくれたからだ。
https://byronjapan.com/archives/3820
がそれ。
これを読むと、今回のモランディ展の会場に展示されていたアトリエの写真は、Paolo Ferrariというひとが撮影した写真だということが分かる。鈴木芳雄さんはそのPaolo Ferrariのサイトも紹介してくれている。
http://www.paolorerraifoto.org/archivio/displayimage.php?album=1&pos=9
がそれだ。
ここをみると、たくさんの写真があって、台形のモチーフ台のこともアトリエの様子もとてもよく分かる。この文を読んで下さっている方は、ぜひご覧になられるとよい。
で、なぜモランディはこういう不思議なモチーフ台を手作りして使っていたのか、ということが問題だ。いくつかの可能性は考えたが、きちんと仮説を述べるには、もう少し時間を要する。調べたいことが、まだいくつもあるのだ。
たとえば、台形のモチーフ台の“足”の隙間にみえている平行四辺形らしきパネル。これもまた、モチーフ台にしていた可能性があるのではないか、ということ。
モランディのアトリエは、いま、フォンダッツア通りのかつての場所から、ボローニア市役所の建物内のモランディ美術館に移されて保管・展示されているそうだ。ボローニアに行って、その実物を前にいろいろ確かめたい気持ちが募る。そうなってくると、ああ、お財布が軽すぎる。悲しい。
美術館に移されたモランディのアトリエには、こんどは、その全体に少しずつ埃が積もっているのだろうか。インターネットには、ガラス越しに覗くらしき現在の“アトリエ”の写真もあった。すごい時代になったものだ。こんな時代だからこそ、絵画というもののすごみを再確認できるし、していくべきだろう。
2016年5月25日 東京にて
その後、同展は盛岡市の岩手県立美術館に巡回中だという。6月5日まで。ああ、せめて、もう一回みたい。けど、ムリだな。お財布が軽すぎる。そのかわり、と言ってはナンだが、充分すぎる余韻に浸っている。
先のメモに、会場に展示されていた写真、ボローニア・フォンダッツア通りのモランディのアトリエ写真に写っていたモチーフ台のテーブル面の形状が台形ではないか、と最後に記した。その後、図書館で調べてみたり、イタリアに留学経験のあるイタリア美術の専門家に聞いてみたり、したが、確認できなかった。それで、思い切って「担当の学芸員の方」宛に手紙を出した。そうしたら、成相肇さんという方が、すごく丁寧にいろいろお教えて下さった。お仕事で忙しい中、本当にありがたいことだった。
で、結論だが、やはり台形だった。手前側が下底、奥が上底の台形。手作りでパネル状につくって、既存の“足”につないでテーブル状になるように一体化してある。その手作りのモチーフ台の全体をさらに木箱に乗せて高くしてある。床面からそのテーブル面まで、136cmの高さだという。成相さんがモランディ美術館から提供してもらった寸法ということだ。教えていただけて、本当にありがたい。
件の台形のもの以外に、質素過ぎるくらいのモランディのアトリエには、モチーフをセットして描くためのテーブル=モチーフ台があと二つ、全部で三つある。
一つは台形の台のとなりにほぼ同じ高さで楕円形の台。壁に対して若干斜めに置かれている。背後に布を張ったパネルを置いて楕円の長軸と平行な面を作ってある。
もうひとつは別の壁(ベッドの置かれている壁の反対側の壁)に添わせて置かれている。背の低い、というか普通の高さのモチーフ台=テーブル(床から84cmという)、これも既存のテーブル上に手作りの四角いパネルを置いてあるように見える。
あと、モチーフ台にも使えそうな整理棚、H型イーゼル、三本足イーゼル、ベッド、イス、小ぶりなキャビネット、たくさんの瓶などのモチーフ、少しの本、紙類、画材。これらがアトリエにあるすべてだ。窓はひとつ(ひょっとするとふたつ?)、天井から電球ひとつ。これらの配置の状況が、成相さんから教えてもらった資料から、すこしずつ頭の中に整理されてきた。部屋の大きさは十畳くらいだろうか。本当に質素そのものである。
ここまでイメージを確かにできたのは、成相さんが、愛知芸大客員教授・美術ジャーナリストの鈴木芳雄さんの文章のあるサイトを教えてくれたからだ。
https://byronjapan.com/archives/3820
がそれ。
これを読むと、今回のモランディ展の会場に展示されていたアトリエの写真は、Paolo Ferrariというひとが撮影した写真だということが分かる。鈴木芳雄さんはそのPaolo Ferrariのサイトも紹介してくれている。
http://www.paolorerraifoto.org/archivio/displayimage.php?album=1&pos=9
がそれだ。
ここをみると、たくさんの写真があって、台形のモチーフ台のこともアトリエの様子もとてもよく分かる。この文を読んで下さっている方は、ぜひご覧になられるとよい。
で、なぜモランディはこういう不思議なモチーフ台を手作りして使っていたのか、ということが問題だ。いくつかの可能性は考えたが、きちんと仮説を述べるには、もう少し時間を要する。調べたいことが、まだいくつもあるのだ。
たとえば、台形のモチーフ台の“足”の隙間にみえている平行四辺形らしきパネル。これもまた、モチーフ台にしていた可能性があるのではないか、ということ。
モランディのアトリエは、いま、フォンダッツア通りのかつての場所から、ボローニア市役所の建物内のモランディ美術館に移されて保管・展示されているそうだ。ボローニアに行って、その実物を前にいろいろ確かめたい気持ちが募る。そうなってくると、ああ、お財布が軽すぎる。悲しい。
美術館に移されたモランディのアトリエには、こんどは、その全体に少しずつ埃が積もっているのだろうか。インターネットには、ガラス越しに覗くらしき現在の“アトリエ”の写真もあった。すごい時代になったものだ。こんな時代だからこそ、絵画というもののすごみを再確認できるし、していくべきだろう。
2016年5月25日 東京にて
モランディ展のこと
2016-07-22
またまた会期終了間際になってしまったが、東京駅ステーションギャラリーでの「モランディ展」のことをメモさせていただく。
展示されていたのは約百点。油絵、銅版画、水彩、デッサン、それから写真資料が数点、簡潔なヴィデオ。
モランディはご存知の通りボローニアからほとんど出ることなく制作に集中したといわれる人。モチーフはほとんどが静物。それも瓶や缶などのありきたりなものを台上に並べて描いている。そうした事柄からすれば、なんだかひどくストイックな人のようだが、この展覧会でまとめて見ると、ああ、この人はストイックなのではなくて、絵を描くことが面白くて面白くてたまらなかったんだなあ、ということがとてもよく分かる。この人は間違いなく、セザンヌの最良の“後継者”だ。
形状のキワがゆらゆらと揺れているのは、手の震えではなくて、セザンヌが形状の輪郭線を一本で単純に決定しなかった(できなかった)ことと同じ問題に、モランディが応答したものだ。水彩におけるニジミもまた同様であることに気付いて、私は虚をつかれ、深く感動させられた。また、デッサンが素晴らしい。
人間の目の網膜には中心窩と呼ばれる小さな領域があり、そこで捉えた視覚像が最もよく見える。だから、ものをよく見ようとすれば、自然に視軸が細かく移動する。視覚像もまた細かく変化する。脳はそのことを無視して視覚像が一定に安定するように“処理”している。だから私たちの日常生活に不都合は生じない。ところが、画家は見ることに意識的に取り組む人だから、頭での“処理”と見ている実際との違いに気付いてしまうのだ。であるから、形状の輪郭線は一本で“処理”できなくなってしまう。脳で、まっすぐな線だ、と“処理”される線も、見ることに集中するとまっすぐに描けなくなってしまう。どうしたらよいか?
また、人間の目は中心窩を用いて凝視するだけではない。どこにも焦点を合わせないような見方もするし、見ているようで見ていないこともするし、見ていないようで見ているようなこともする。形も見れば色も見る。隙間も見れば関係も材質も見る。これらは絶えず脳で“処理”され、私たちは日常を送る。
であれば、見るとはどういうことか?これは簡単な問題ではない。
また、ものには奥行きがあるのに、絵が描かれるものの表面には奥行きがない。奥行きのないところに奥行きのあるものを絵具というもので描こうとする。これはどういうことか? これもまた簡単な問題ではない。
セザンヌの描いた形状は奇妙な歪みを持ち、モランディの描いた形状は「重なりの遠近」が曖昧になるようにあえて配慮されているように見える。色彩の、とりわけ調子の微妙な変化の様子にも、セザンヌとモランディには相通ずるところがある。
相通じてはいても、モランディの絵はセザンヌとは全く異なった姿をしている。そこがまた素晴らしい。
筆触にも堪能させられる。決して達者というのではない筆触。モランディの息遣いが聞こえてくるようだ。
この展覧会は、見ることの豊穣さについて改めて覚醒させてくれる。
そして、絵を描くことが面白くて仕方ない人のことを画家と呼ぶのだなあ、と当たり前のことを確認することになる。
じつに面白い。
蛇足ながらひとつ。会場に掲げられていたフォンダッツァ通りのアトリエ内部の写真。それにはモチーフの置かれたテーブルが二つ写っていた。その写真の右側には上から見るとおそらく楕円形の長軸のところで半分にされたテーブル。左側には四角いテーブル。とはいえこちらは、一見すると長方形なのだがちょっと違和感がある。よく見ると、テーブルの奥の方の長さが手前より長いように見える。つまり、歪んだ四角というか台形。写真の手前が下底、奥が上底の台形。こうした奇妙に歪んだ形状のテーブルに瓶などを乗せて描いたから、いくつかの絵にはテーブル面の端部が奇妙な印象を生じさせたのだろうか? それとも、奥に広がったテーブル自体が、モランディのセザンヌへの深い敬意の表れ?それとも私の見間違い?確認しようにも、カタログに掲載されたアトリエの小さな写真図版からは、そのテーブルの形状の判別ができない。どなたかモランディのこのテーブル=モチーフ台についてご存知の方がおられるなら、ご教示いただければ幸いである。
(2016年4月9日 東京にて)
つづく
展示されていたのは約百点。油絵、銅版画、水彩、デッサン、それから写真資料が数点、簡潔なヴィデオ。
モランディはご存知の通りボローニアからほとんど出ることなく制作に集中したといわれる人。モチーフはほとんどが静物。それも瓶や缶などのありきたりなものを台上に並べて描いている。そうした事柄からすれば、なんだかひどくストイックな人のようだが、この展覧会でまとめて見ると、ああ、この人はストイックなのではなくて、絵を描くことが面白くて面白くてたまらなかったんだなあ、ということがとてもよく分かる。この人は間違いなく、セザンヌの最良の“後継者”だ。
形状のキワがゆらゆらと揺れているのは、手の震えではなくて、セザンヌが形状の輪郭線を一本で単純に決定しなかった(できなかった)ことと同じ問題に、モランディが応答したものだ。水彩におけるニジミもまた同様であることに気付いて、私は虚をつかれ、深く感動させられた。また、デッサンが素晴らしい。
人間の目の網膜には中心窩と呼ばれる小さな領域があり、そこで捉えた視覚像が最もよく見える。だから、ものをよく見ようとすれば、自然に視軸が細かく移動する。視覚像もまた細かく変化する。脳はそのことを無視して視覚像が一定に安定するように“処理”している。だから私たちの日常生活に不都合は生じない。ところが、画家は見ることに意識的に取り組む人だから、頭での“処理”と見ている実際との違いに気付いてしまうのだ。であるから、形状の輪郭線は一本で“処理”できなくなってしまう。脳で、まっすぐな線だ、と“処理”される線も、見ることに集中するとまっすぐに描けなくなってしまう。どうしたらよいか?
また、人間の目は中心窩を用いて凝視するだけではない。どこにも焦点を合わせないような見方もするし、見ているようで見ていないこともするし、見ていないようで見ているようなこともする。形も見れば色も見る。隙間も見れば関係も材質も見る。これらは絶えず脳で“処理”され、私たちは日常を送る。
であれば、見るとはどういうことか?これは簡単な問題ではない。
また、ものには奥行きがあるのに、絵が描かれるものの表面には奥行きがない。奥行きのないところに奥行きのあるものを絵具というもので描こうとする。これはどういうことか? これもまた簡単な問題ではない。
セザンヌの描いた形状は奇妙な歪みを持ち、モランディの描いた形状は「重なりの遠近」が曖昧になるようにあえて配慮されているように見える。色彩の、とりわけ調子の微妙な変化の様子にも、セザンヌとモランディには相通ずるところがある。
相通じてはいても、モランディの絵はセザンヌとは全く異なった姿をしている。そこがまた素晴らしい。
筆触にも堪能させられる。決して達者というのではない筆触。モランディの息遣いが聞こえてくるようだ。
この展覧会は、見ることの豊穣さについて改めて覚醒させてくれる。
そして、絵を描くことが面白くて仕方ない人のことを画家と呼ぶのだなあ、と当たり前のことを確認することになる。
じつに面白い。
蛇足ながらひとつ。会場に掲げられていたフォンダッツァ通りのアトリエ内部の写真。それにはモチーフの置かれたテーブルが二つ写っていた。その写真の右側には上から見るとおそらく楕円形の長軸のところで半分にされたテーブル。左側には四角いテーブル。とはいえこちらは、一見すると長方形なのだがちょっと違和感がある。よく見ると、テーブルの奥の方の長さが手前より長いように見える。つまり、歪んだ四角というか台形。写真の手前が下底、奥が上底の台形。こうした奇妙に歪んだ形状のテーブルに瓶などを乗せて描いたから、いくつかの絵にはテーブル面の端部が奇妙な印象を生じさせたのだろうか? それとも、奥に広がったテーブル自体が、モランディのセザンヌへの深い敬意の表れ?それとも私の見間違い?確認しようにも、カタログに掲載されたアトリエの小さな写真図版からは、そのテーブルの形状の判別ができない。どなたかモランディのこのテーブル=モチーフ台についてご存知の方がおられるなら、ご教示いただければ幸いである。
(2016年4月9日 東京にて)
つづく