170 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

三田まで出かけて迷って辿り着いた「蟻鱒鳶ル」その1
2018-07-26
 一週間くらい前、左の耳たぶと“入り口”付近がただれて汁のようなものが出ているのに気付いた。とても痒い。しかし、そのうち治るだろう、と放置していた。でも、治らずに痒さは増すばかり。さすがにもう我慢できなくなって、皮膚科? 耳鼻科? と悩んで数日、結局、近所の耳鼻科に行った。
 医者は一瞥して、いじりすぎ、と言った。
 「薬を塗っておきますけど、いじらないで。そうすれば治りますから。」
 「その薬はいただけないのでしょうか?」
 「必要ないでしょう。」
 「‥‥。」
 釈然としない気持ちで、帰路、フラリと本屋に入った。
 棚を眺めて店内を巡回パトロールしていると、ある背表紙が目に飛び込んできた。帯の白抜き角ゴシック体が「建築は世界だ!」と挑発しているのである。岡啓輔『バベる!自力でビルを建てる男』という本体の背表紙の方はあまり目立っていない。筑摩書房、2200円。 
 なんでも、三田の方で変なビルをセルフビルドで作っているヤツがいるそうだ、という話は4、5年前に聞いたことがある。それか? 
 それだった。
 2200円は、貧乏ジイさんにはきつい。しかし、今日は薬代が浮いている。ためらいながら、えいっ! と買った。読むと、ムッチャ面白かった。これは現場を見物して、ご当人の風貌にまみえなければ、と思ったが、外はすでに暗くなっていた。

 次の日、都営地下鉄三田駅に降り立ったが、どの出口かが分からない。当てずっぽうに外に出ると、どこにいるのか全くわからない。「港区」が苦手だし、「三田」と言えば「慶應」、腰が引けてしまっている。やむを得ず、傍の知らないヒトに、ここはどこですか? と尋ねなければならなかった。
 あとはもう、迷いに迷ってしまった。ある坂を目指したのだが、その坂のありかがわからなかった。でも、見つけたぞ。出会い頭、「蟻鱒鳶ル」から、意外におとなしい印象を受けた。
 もちろん、最上階には今も鉄筋が何本もニョキニョキ伸びていて、そのサビが壁にも流れていたりするから、「砦」みたいな感じもする。しかし、壁に施されたレリーフ状の凸凹の精度は高い。本に出てきた、型枠の一部にビニールを使った効果も、なるほど、と感じさせられた。柔らかな膨らみが確認できる。
 入り口には結界が設けられていて、人の気配がない。「岡さん」は不在のようだった。
 歩道であれこれ観察していると、乳母車を押した美人の外人の若奥様が立ち止まって、いま森美術館でやっている展覧会にこれも取り上げられているわよ、と英語で教えてくれた。私は英語が苦手、日本語も怪しい。なので、カンで。きっとそう言ったに違いない。お礼を日本語で述べた。森美術館には行けないだろうな。
 しばらくすると、今度は自転車の若い男がスッと自転車をとめて、降りてきて、私と並んで一緒に観察を始めた。日本人のようなので、お近くですか? と日本語で聞いてみた。はい、と日本語が返ってきた。なんでも、近くに住んでいて映像関係の仕事をしているらしい。「岡さん」が一人で作り続けているのを時々見てきた、と言った。ちょっと前に開かれた高山建築学校の学校案内の会に参加して、行ってみようかな、と思っているとも言った。来ていたのはみんな若い人たちで、ボクなんか場違いみたいで、どうなんですかね? と言うので、年齢は全然関係ないですよ、と応じた。彼も件の本を読んだらしい。今、色々大変みたいですね、と言った。
 本には、再開発でここからの立ち退きを迫られていることが最後に書かれていた。いかにも厄介なことに巻き込まれて、同情を禁じ得ない。
 本にはまた、私にとって驚くべきことが書かれていた。それは、昔、雑誌の特集に取り上げられていて、その時とても興味深く感じた「岡画郎」(「画廊」ではなく「画郎」だということに注意)、その当事者だった「画郎主」=「岡」が「岡啓輔」その人だということ。それから、建築家・石山修武に“私淑”していること。また、「高山建築学校」との深い関係。など。
 こうして、それまで全く知らなかったヒトと、目の前の「蟻鱒鳶ル」を介して、話ができている。
 様々な感慨とともに、耳の痒さを忘れて、独力で建築中の「蟻鱒鳶ル」をさらに見ていた。
 外観と中に入った感じは全く違うし、扉や窓が入って、仕上げがなされ、家具などが入って、生活が始まると、また「世界」が違ってくる。いつかまた、その「世界」を体感してみたい。
 
 次の日、仕事場で、なんとなくつけたラジオ。NHK第一の「すっぴん木曜日」のゲストに、この「岡さん」が登場していたのには驚いた。誠実そうな声だった。私も、いつか会ってみたい。
(2018年7月9日・東京にて)

●バベる! (単行本)
筑摩書房
2、200円(本体)
ゴードン・マッタ=クラーク展 続き その3
2018-07-17
こうした「ブロンクス・フロアーズ」を踏まえて、次に一軒の住宅を縦に切ってしまったのである。
 その「スプラッティング」では、穴、というより線、隙間を作った。会場では、記録のフィルムがプロジェクションされていた。これは、以前ここ“近美”で見たことがあった(あの時も暑い最中だった。そして、寒くなって震え上がった記憶がいま蘇った)。
 ゴードン・マッタ=クラークが、ロープにぶら下がって作業している。住宅の壁に二本の線を平行にきちんと垂直に引いたうえで、その線に添って電動ノコギリで切っているのだ。だから、二回切って、あいだのものを取り去り、わずかな隙間を作っているのが分かる。向こう側の壁も、屋根も、中の壁も床も天井も階段も、きっちりと一直線に計画的に切っていく。結果、住宅が真っ二つになる。大変な作業だ。安全については、はしごひとつとロープだけというシンプルさではあるものの、一応考慮されている。ジェネレーターはじめ各種道具の準備は怠りない。
 アメリカの住宅の作り方は、日本の作り方とは違ってツーバイフォー、パネルを作ってそれを立て相互に組み立てて行く。ということはパネルの枠のところが構造的に重要になる。そういうところには、可能な限りノコギリを入れないように線を引いていることが見て取れる。住宅の形状は最後まで維持されねばならないのだ。行き当たりばったりでやっているのではない。大変な知性を感じさせる。ゴードン・マッタ=クラークは建築を学んだ人だ、ということを実感させられる。彼の活動は、どれも美術畑だけで学んで培われたものではない。このことの意味は大きい。
 作業を一旦終えて、向こう側からの太陽の光が透けて見えている様子のカットがいかにも美しい。その時、切りくずなどがきれいに掃除されていることも面白い。ところで、作業はそこで終わらない。
 今度はさらに、住宅の半分をジャッキで支えておいて、土台のブロックの上部を斜めにカットしていく。ジャッキは空気を取り込む土台の穴に据えられている。そのうえで、土台にわずかな斜面を作り、そこに切った家の半分を乗せようとしているのだ。電動の丸ノコは使っているものの、基本的に全て手作業でやっている。斜面ができて、ジャッキを緩めていくカットでは、こっちにも思わず力が入る。
 以上のような作業の手順は考え抜かれていて、全く無駄がない。結果、切断されたすきまが上部からわずかに開いて、鋭い光の楔が住宅に打ち込まれているようにも見えてくる。とてもきれいだ。住宅が名状し難いものに変容している。じつに開放感がある。こうして記録映像が撮影、編集されていたことは、とても大事なことだ。おかげで、成果が共有できる。
 額装された写真も面白い。住宅内部の写真。魚眼レンズという手もあっただろうが、選択していない。歪みを嫌ったのだろう。一度には内部を写せないから数枚のプリントを相互に貼り合わせて、切り口が一直線であることを示そうと構成している。断面の写真もある。上手に貼り合わせてある。かっこいい。
 なんと、屋根の四隅の実物も展示されていた。切断箇所の表情が今も生々しい。ちゃんと現物の標本=証拠物件を保管していたのだ。周到だなあ。
 あと、見学ツアーの記録もあった。来てくれるのを待つのではなく、観客を連れてきてしまう仕掛け作りをするなんて、すっごく柔軟だなあ。
 以上の一連の展示で私たちは実際の住宅で何がどう行われてどうなったか、という「スプラッティング」のありさまを一人一人想像できることになる。

 「ブロンクス・フロアーズ」や「スプラッティング」、それから「日の終わり」が、その後大きく展開していくことになるのは言うまでもない。
 ところで、ゴードン・マッタ=クラークがパリで撤去寸前の建物に穴を開けていた1975年の「パリ・ビエンナーレ」で、藤原和通さんが巨大な音具を作ってコンサートをやろうとしていたのを知っている人はもう少なくなってしまった。この作品はパリ市からの設営の許可が下りずに完成できなかった、と聞いている。いかにも残念なことである。図面だけが残されている。
 ついでに、「音具」という言葉は藤原和通さんが作り出した、ということも述べておきたい。

 「ゴードン・マッタ=クラーク展」は必見。間違いなし。上に羽織るものを持参すること。時間がかかるけどめっちゃ面白いです。
2018年7月2日、東京にて

会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
会期:2018年6月19日(火)~ 2018年9月17日(月・祝)

公式:http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/ 
ゴードン・マッタ=クラーク展 続き その2
2018-07-17
 この作品の前に、彼はニューヨークのブロンクスで「ブロンクス・フロアーズ」(1972〜73年)と言われている作品に取り組んでいたことが、額装された写真で示されている。
 ブロンクスの建物の中に入り込んで、床や壁の一部をノコギリで四角などに切り抜いて写真に撮り、切り取った現物を持ち帰ってくる。その現物や写真を展示した。‥‥これが、今回展示されている写真から分かることだ。
 床や天井に開けた穴を“真正面”から撮った写真や、床の穴の向こうに下のフロアの窓が見えている写真など、一瞬何を撮ったものか分からなくて「え?」と思わせられる。どれも記録というより造形性を強調しているような写真だ。作業中の写真は含まれていない。それどころではなかったのだろう。しかし、折り目正しいこれらの写真から、現場での作業の様子は十分想像できる。
 もちろん、建物の持ち主から許可なんか得ていない(はずだ)。どうせすぐ取り壊すのだから、と“非合法”にやっている(はずだ)。念のため断っておくが、非合法だから面白いのではない。
 これらの写真を見て、私はささやかな私の体験を思い出していた。というのは、阪神大震災の後、これはやばい、と今私たち家族が住んでいる建物の耐震診断を区でやってもらったら、「大崩壊」という結論だった。止むを得ず、意を決して補強工事をした。その時、耐震と補強に影響のないところにあった窓の面積を大きく広げてもらうことにして、私は現場に立ち会っていた。窓の面積を大きく広げる、ということは既存の壁の大半を取り払う、ということだ。大工さんが、壁を壊していく。壁が取り払われた瞬間、光が音を立ててかたまりで飛び込んできたような気がした。そのくらい一気に明るくなった。同時に向こう側にあっても見えなかったものたちが全部見えてびっくりした。ものすごい驚きだった。そういう実体験のことを思い出したわけである。もう14、5年前の話だ。今はアルミサッシのガラス窓になって日常に溶け込んでいる。ガラス窓の向こうにあった建物は取り壊してテラスにした。
 であるからして、建物の床や壁を四角く切り取ってしまう、というのは、単純に、塞がっている向こうを見通してみたい、ということではないか? その欲望のありかが、なんだか共有できるように思えたのだ。
 展示されている写真をよく見ると、建物の構造には影響のないように切り取っているのがわかる。その気になれば、修復が可能なはずだ。作業中の自分(たち)の安全の確保、という意味もあっただろう。実際、切り取った床の部分がが下に落ちないように工夫してあった写真もあった。
 印刷物をつくるためにレイアウトに取り組んでいた資料も出ていた。ゴードン・マッタ=クラークは、自分が取り組んだことを広く知らしめようとする努力を怠らなかったわけだ。

つづく→
ゴードン・マッタ=クラーク展 続き その1
2018-07-17
そういうわけで、さっそく宇田さんの新しい本(宇田智子『市場のことば、本の声』晶文社)を読んでいると、私のお店がウララにつぐ狭さ、つまり日本で二番目に狭い古本屋ではない(!)というようなことが書いてあるので、すっかり意気消沈してしまった。
 なんでも、那覇の栄町市場の中に「宮里小書店(みやざとこしょてん)」という古本屋があって、あれっ? ここは「ウララ」より狭くないか? と他ならぬ宇田さんが感じている、とあった。でも、店主の宮里千里さんは「日本一狭い古本屋はウララさんで間違いなし」と「日本一」の座を宇田さんに譲ってくれているらしい。大人の宮里さん、と宇田さんは書いている。
 そりゃあね、お二人の間では譲り合いでもなんでもやっていただきたいけど、私のお店の地位が、ウララの次の狭さ、というのと、ウララの次の次の狭さ、というのでは、インパクトが違いすぎるじゃないですか? だいたい、先の原稿では、宇田さんに気を使って「狭さ」ではなく「小ささ」と書いたのに、もう!
 ま、いいか。

 モンダイは、ゴードン・マッタ=クラークなのだ。

 会場に展示されていたのは、ドローイング、写真、動画、図面や印刷物など各種資料、ガラスのブロック、それから今回のために新たに作られた(らしき)二つの大きな模型や金網などである。あと、切断した建物の標本(屋根の四隅の現物)。そして、お持ち帰りできるおみやげ(「壁=紙」1972年、からの印刷物)。おみやげは、フェリックス・ゴンザレス・トレスの“ポスター”や“飴”のことを連想させられるが、1972年の発表当時も「裁断されて折りたたまれ、ちょうど新聞紙の束のようになった《壁=紙》が床に山住みされ、来場者は自由に持ち帰ることができた」(カタログの解説文より)らしい。とっても嬉しかった。
 時系列に添っての展示ではなく、美術館→住まい→ストリート→港→市場、という順に分類・編集し、動線をつくって展示している。映像プロジェクションも多い。総じて、東京国立近代美術館はマッタ=クラークの業績をこう読み込みました、という研究発表の趣である。もちろん会場の雰囲気作りも忘れられず作り込まれて、“研究発表”の堅苦しさを回避する苦肉の努力がなされている(そういえば、神奈川県立近代美術館葉山での「ブルーノ・ムナーリ展」の会場構成の堅苦しさは、いまだに印象に残っているくらいだった)。とはいえ、会場作りには、色々感じるところはあった。が、深入りしない。
 ゴードン・マッタ=クラークのやったことはとっても面白い。すごい人だ。常識をやすやすと乗り越えて行く。というか、そんなことができるのは、実に勤勉で真面目だからで、物事を根底から自分で考え直し組み立て直すことが身についているからだ。あの有名な「スプリッティング」(1974年)を例にして、少し考えてみたい。
 「スプリッティング」は、“住まい”というテーマのもとに分類・整理されて展示されていた。実際の家を縦に真っ二つに切断した作品だ。なぜそんなことを思いついたのか? (建築の素養がそうさせた。) そして、どんなふうにやってのけたのか? (周到にやってのけた。) 
つづく→
『ゴードン・マッタ=クラーク展』その2
2018-07-12
 そういえば、先日の夜、電話の呼び出し音が鳴った。滅多にないことである。出れば、高校の時からのトモダチ。気の合う連中が札幌で集まって飲んでいるらしい。みんなご機嫌になって喋っているうちに、今回は私に電話してみた、ということのようだ。懐かしい連中が一人ずつ電話口に出て、それぞれが、あーだのこーだの言ってくる。ろれつが怪しいのも混じっている。
 一人が、「画材図鑑」を読んでるからな、と言った。熊谷守一の映画を見たぞ、お前は見たか? 
 見てない、と言うと残念そうな気配が伝わってくる。お前の文はよくわからないところがあるけど、読んでるからな、と言って次に代わった。早く次を書け、ということだろう。いや、読みにくい、ってことか?
 さぼっていたのは事実だけど、ずっと、うまく書けないのだった。
 府中美術館の長谷川利行。まとめて長谷川利行を見たのは初めてだった。面白かった。でも、どう面白かったかを書こうとすると行き止まった。
 上野の都美館と六本木の国立新美術館で見た合わせて10点ほどのセザンヌ。どれもムッチャ面白かったが、これも、どう面白かったかを書こうとすると無理だった。
 都美館で振り向きざまに出くわした巨大なボナール。すごかった。でも、どうすごかったかを書こうとすると時間だけが過ぎていった。
 練馬区立美術館の池田龍雄。見事だ、と思った。でも、どう見事だと思ったかを書こうとすると、書き方がわからなくなった。
 他にもいっぱい見たし、何人もの大事な人に会った。訃報にもたじろいだ。どれもが文にはならなかった。
 高校からのトモダチに限らず、思いがけない人が、「読んでる」と言うことがあって、たじろぐ。セキニンというものを、少し感じる。うっかりしたことは書けない、とも思う。というか、せっかく書かせてもらうんだから、もっとちゃんと書きたい、と思う。が、書けないのである。こうして書いてるけど。
 散歩の途中で、日陰だけでは足りなくなって、冷気を求めて本屋に入った。なんと、沖縄の宇田智子さんの新しい本を見つけた。貧乏なのに、ためらわず買った。
 宇田さんは、日本で一番小さな古本屋「ウララ」を那覇の“牧志の公設市場の向い側”でやっている人だ。私がやっているワガママ放題の古本屋は“小ささ”で言うと「ウララ」に勝てない。だから、日本で二番目の小ささだ、と勝手に思っている。私のお店には空調がない。夏は地獄だ。今年の早い梅雨明けが実にうらめしい。8月は全て休業することにしているが、7月・9月も休業にしたい。やるけど。
 「ウララ」にも空調がないようだ。まぶい(=魂)が落ちて転がる暑さだろう。宇田さんは偉いな。すごいな。
 宇田さん、とか書いているが、向こうは私を知らない。こっちは、遠くから宇田さんを“見た”ことはある。遠くからでも、目が鋭い人だ、と感じた。あれはやはり只者ではない。もう何年も前に、あるところで開催された古本屋講座。
 宇田さんの本を買って、すっかり満ち足りた。散歩はそこでやめて、あとは帰路。歩くのは同じでも、明らかに気持ちが違う。
 今度、「ウララ」に行ってみたい。宇田さんをチラチラ観察しながら棚づくりを学ぶのだ。ああ、ワクワクする。
 と、ここで気がついた。『ゴードン・マッタ=クラーク展』についてはどう書くの? うーん、そうなんだよね。そこなんだよね。面白すぎるんだよね。
2018年6月30日、東京にて
ゴードン・マッタ=クラーク展
2018-07-12
 ぼやぼやしてたら、昨日、梅雨が明けてしまった。もう夏なんである。時間の経つのが早すぎる。ついこの間、いよいよ田んぼに水が張られる季節になった、とかなんとか書いたばかりだ。明日から7月だぞ!
 今日はもう、暑すぎて、気晴らしに散歩に出かけるくらいのことしか思いつかなかった。日差しが強い。つい日陰を探している。
 そういえば、と思い出していた。
 一昨日、竹橋の近代美術館に行って『ゴードン・マッタ=クラーク展』を見物した。実に面白くて、つい集中してしまい、そのうち、「寒い!」と気づき、しばらく我慢していたが、さらに頭が痛くなってきてしまった。それで、監視のお姉さんに、寒いので一旦外に出ることことはできますか? 日向ぼっことかしたいので、と尋ねてみた。こういうことはダメ元なのである。そうしたら、半券を提示すればオッケー、受付に肩掛けの準備もある、と丁寧に教えてくれた。で、一旦外に出て、日向ぼっこをした。実にお日様がありがたかった。なのに、その次の次の日の今日は、こうして日陰を探している。つづく→

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