立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
梅雨が明けて その2
2020-08-17
さらに、ヒロシマ。そして、ナガサキ。
「フェイスブック」に峠三吉の『原爆詩集』を一冊分、丸ごと打ち込んで投稿している人がいた。敬意を表して全部読んだ。中学生の時以来だった。
同じく「フェイスブック」に原爆投下の十年前のヒロシマ市街の日常を撮影した映像の投稿をそのままさらに投稿している人がいた。
私のような呑気な者でさえ、この時期になると、様々なことを考える。
「フェイスブック」に峠三吉の『原爆詩集』を一冊分、丸ごと打ち込んで投稿している人がいた。敬意を表して全部読んだ。中学生の時以来だった。
同じく「フェイスブック」に原爆投下の十年前のヒロシマ市街の日常を撮影した映像の投稿をそのままさらに投稿している人がいた。
私のような呑気な者でさえ、この時期になると、様々なことを考える。
梅雨が明けて
2020-08-17
梅雨がやっと明けた、と思ったらこんどは連日の猛暑である。この間のメモ、いくつか。
まず、照ノ富士。
本来なら名古屋で開催する「大相撲7月場所」が、新コロナ対策で観客数を制限して東京で開催された。声を出しての応援は禁止、飲み食いも禁止。初日、二日目、と、テレビでは、拍手があまりに整然と感じられて、なんだかヘンな感じだったのに、毎日見ているとだんだん慣れてしまった。幕内優勝は、場所前には誰も予想していなかった照ノ富士だった。
数年前、誰もが目を見張った強さで、あっ! という間に大関へと駆け上がり、これはこのまますぐに横綱だ、照ノ富士時代だ、と思われていた人。なんと、ケガと病気とで大関を陥落し、平幕、十両、幕下、‥、 と、ついには序二段まで落ちて、普通なら、おいら大関だったんだぜ、もうやだ! とお相撲自体を諦めてしまいそうなものだ。しかし、彼はもう一度、序二段から、「番付」というきつい階段を登ってきて、再び入幕してきたその場所で、堂々と幕内優勝をしたのである。励まし続けてきたという親方も偉いなあ。
すごいなあ!
お相撲さんは、もともと誰もがみんなすごく強い。そんな人たちが、毎日真剣に稽古して競い合い、年に6場所も戦うのだ。時に大怪我にも見舞われる。私がテレビでお相撲を見るようになったのは、つい最近、せいぜいここ6〜7年くらいのものだが、人気力士が怪我をして、十両、幕下へと「位」を落としてしまう姿をたびたび目にしてきた。でも、大関を張っていた人が序二段まで落ちたというのは信じがたいことだった。
その人が復活しつつある。両膝のサポーターや、ふとした時の動きなどから、怪我が完治したとはとても見えない。優勝したとはいえ、復活途上なのである。
あの頃はイケイケだったけど、今は‥、と語ったインタビュー、よかったなあ。素晴らしい。
今回の照ノ富士に限らず、お相撲さんのインタビューはとてもいい。玉鷲の笑顔。徳勝龍の、自分が優勝しちゃっていいんでしょうか、との第一声。あ、キリがなくなる。ともかく、今の猛暑のことなど微塵も想定することがない時期の素晴らしい出来事だった。照ノ富士が夏を連れて来たのだ。
お相撲のTV中継には向正面のお客様たちの姿も映し出されるから、常連さんたちが次第に分かってくる。お相撲だけでなく、そうしたお客さんの姿も面白い。なんだか、知り合いのような気さえしてくる。いつだったか、テレビの中のそうした方々の中の一人のご婦人が向こうからやって来て、すれ違おうとする時、思わず、あ、お久しぶりですねえ、と声をかけそうになった。瞬間、違う! と“内なる声”がした。とっさに声がけをやめた。そんな時の反射神経は我ながらたいしたものである。テレビと現実の区別がつかなくなって来ている。
まず、照ノ富士。
本来なら名古屋で開催する「大相撲7月場所」が、新コロナ対策で観客数を制限して東京で開催された。声を出しての応援は禁止、飲み食いも禁止。初日、二日目、と、テレビでは、拍手があまりに整然と感じられて、なんだかヘンな感じだったのに、毎日見ているとだんだん慣れてしまった。幕内優勝は、場所前には誰も予想していなかった照ノ富士だった。
数年前、誰もが目を見張った強さで、あっ! という間に大関へと駆け上がり、これはこのまますぐに横綱だ、照ノ富士時代だ、と思われていた人。なんと、ケガと病気とで大関を陥落し、平幕、十両、幕下、‥、 と、ついには序二段まで落ちて、普通なら、おいら大関だったんだぜ、もうやだ! とお相撲自体を諦めてしまいそうなものだ。しかし、彼はもう一度、序二段から、「番付」というきつい階段を登ってきて、再び入幕してきたその場所で、堂々と幕内優勝をしたのである。励まし続けてきたという親方も偉いなあ。
すごいなあ!
お相撲さんは、もともと誰もがみんなすごく強い。そんな人たちが、毎日真剣に稽古して競い合い、年に6場所も戦うのだ。時に大怪我にも見舞われる。私がテレビでお相撲を見るようになったのは、つい最近、せいぜいここ6〜7年くらいのものだが、人気力士が怪我をして、十両、幕下へと「位」を落としてしまう姿をたびたび目にしてきた。でも、大関を張っていた人が序二段まで落ちたというのは信じがたいことだった。
その人が復活しつつある。両膝のサポーターや、ふとした時の動きなどから、怪我が完治したとはとても見えない。優勝したとはいえ、復活途上なのである。
あの頃はイケイケだったけど、今は‥、と語ったインタビュー、よかったなあ。素晴らしい。
今回の照ノ富士に限らず、お相撲さんのインタビューはとてもいい。玉鷲の笑顔。徳勝龍の、自分が優勝しちゃっていいんでしょうか、との第一声。あ、キリがなくなる。ともかく、今の猛暑のことなど微塵も想定することがない時期の素晴らしい出来事だった。照ノ富士が夏を連れて来たのだ。
お相撲のTV中継には向正面のお客様たちの姿も映し出されるから、常連さんたちが次第に分かってくる。お相撲だけでなく、そうしたお客さんの姿も面白い。なんだか、知り合いのような気さえしてくる。いつだったか、テレビの中のそうした方々の中の一人のご婦人が向こうからやって来て、すれ違おうとする時、思わず、あ、お久しぶりですねえ、と声をかけそうになった。瞬間、違う! と“内なる声”がした。とっさに声がけをやめた。そんな時の反射神経は我ながらたいしたものである。テレビと現実の区別がつかなくなって来ている。