立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
百人町のWHITE HOUSE 東京ステーションギャラリー
2023-08-18
なんだか、やはり暑すぎるし、台風も暴れすぎである。ハワイ・オアフ島は山火事でひどいことになったというし、カナダでも新たな山火事が起きているという。東京だって、先日来あんなに土砂降りだったのに、水源の一つ、利根川上流の矢木沢ダムの水がもう残り少ない、とか言っている。ワケがわからない。
そんな日々の中、この際、近頃耳にしてきた新宿区百人町のWHITE HOUSEに行ってみるべか、と重い腰を上げた。
そろそろ涼しくなっているのではないか、と期待して、じきに夕方になろうとする新宿駅に降り立てば、残念、まだまだ充分暑い。北方向に進み、靖国通りを渡る。昼も夜も、一日中、いや一年中、どんな時も多くの人々でごった返している歌舞伎町を突っ切り、職安通りを渡って左折しJRや西武新宿線の方向に進む。線路手前の一つ、二つ、その二つ目の小さな道を右に入ると、すぐ右側に写真で見たことがあるWHITE HOUSEの建物が見えてきた。美術家のあの故吉村益信氏のアトリエ兼住居だったところである。
この場所が、1960年代に、あの「ネオ・ダダ」やその周辺の人々のアジトのようなところで、建物の設計があの故磯崎新氏だったことは、美術に関心ある人であれば誰でも知っている(はずである)。
とはいえ、私は、この伝説的な建物が残っていたことを知らなかった。若い人たちが、すっかり痛んでしまったこの建物に着目し、手を入れて、”再生”を試みている、ということをどこかで知った。
そんな日々の中、この際、近頃耳にしてきた新宿区百人町のWHITE HOUSEに行ってみるべか、と重い腰を上げた。
そろそろ涼しくなっているのではないか、と期待して、じきに夕方になろうとする新宿駅に降り立てば、残念、まだまだ充分暑い。北方向に進み、靖国通りを渡る。昼も夜も、一日中、いや一年中、どんな時も多くの人々でごった返している歌舞伎町を突っ切り、職安通りを渡って左折しJRや西武新宿線の方向に進む。線路手前の一つ、二つ、その二つ目の小さな道を右に入ると、すぐ右側に写真で見たことがあるWHITE HOUSEの建物が見えてきた。美術家のあの故吉村益信氏のアトリエ兼住居だったところである。
この場所が、1960年代に、あの「ネオ・ダダ」やその周辺の人々のアジトのようなところで、建物の設計があの故磯崎新氏だったことは、美術に関心ある人であれば誰でも知っている(はずである)。
とはいえ、私は、この伝説的な建物が残っていたことを知らなかった。若い人たちが、すっかり痛んでしまったこの建物に着目し、手を入れて、”再生”を試みている、ということをどこかで知った。
若林奮を見にもう一度ムサビに行った
2023-08-16
梅雨もとっくに明けて、やっぱり暑すぎる。台風も押し寄せてくるし。なーんにもやる気がしない。
が、思い立って、午前中の「鷹の台駅」に降り立ち、玉川上水脇の遊歩道を木漏れ日を浴びながら進んだ。ムサビの「若林奮 森のはずれ」展が数日後に終わってしまうので、その前にもう一度見ておきたかった。
会場一階「アトリウム1」に10点並ぶ「Daisy」にすでに圧倒されている。先に訪れた時、何を見ていたのか? と出会い頭で呆然とした。一点一点が実に丹念に作り込まれており、それぞれ表情を違えている。そして、整然と並んだ展示が、一点一点のその表情の内奥へと分け入ることを促してくる。あるものは、分厚い鉄の板材の溶断の跡と研磨して作り上げたエッジまでの盛り上がりとで絶妙な垂直線を形成している。そのことに気付かされ、その垂直線(=稜線)が上と下とで、内側に直角を抱えた水平線に分岐するはずのところで正三角形に断ち切られていることに改めて気づいて、「彫刻」としか呼べないその様子に長い時間目を凝らしたりした。さらに、直立する4×10、40の面は「絵」のようである。絵の具を用いない「絵」。おそらくは、熱の“絵の具”。背の低い私には、近いところから上面が見えないが、それぞれに施された”細工”には、紅殻、胡粉、黄土という物質が解かされているという。2階アトリウムや階段やスロープからそれらの”細工”や色は見ることができる。また、クレーンで移動するためだろうか、上部に小さな穴があいていることに気づいて覗き込むと、向こうの作品の奥の奥の方まで見通すことができた。展示の技量の確かさに驚かされることになった。
が、思い立って、午前中の「鷹の台駅」に降り立ち、玉川上水脇の遊歩道を木漏れ日を浴びながら進んだ。ムサビの「若林奮 森のはずれ」展が数日後に終わってしまうので、その前にもう一度見ておきたかった。
会場一階「アトリウム1」に10点並ぶ「Daisy」にすでに圧倒されている。先に訪れた時、何を見ていたのか? と出会い頭で呆然とした。一点一点が実に丹念に作り込まれており、それぞれ表情を違えている。そして、整然と並んだ展示が、一点一点のその表情の内奥へと分け入ることを促してくる。あるものは、分厚い鉄の板材の溶断の跡と研磨して作り上げたエッジまでの盛り上がりとで絶妙な垂直線を形成している。そのことに気付かされ、その垂直線(=稜線)が上と下とで、内側に直角を抱えた水平線に分岐するはずのところで正三角形に断ち切られていることに改めて気づいて、「彫刻」としか呼べないその様子に長い時間目を凝らしたりした。さらに、直立する4×10、40の面は「絵」のようである。絵の具を用いない「絵」。おそらくは、熱の“絵の具”。背の低い私には、近いところから上面が見えないが、それぞれに施された”細工”には、紅殻、胡粉、黄土という物質が解かされているという。2階アトリウムや階段やスロープからそれらの”細工”や色は見ることができる。また、クレーンで移動するためだろうか、上部に小さな穴があいていることに気づいて覗き込むと、向こうの作品の奥の奥の方まで見通すことができた。展示の技量の確かさに驚かされることになった。