164 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

東武線の不思議な家
2018-09-25
 今年、何度か、浅草から東武線の特急に乗った。
 その最初の時、途中停車の「東武動物公園駅」を発車してスピードをグングン上げたあたりのところ、進行方向右側の窓の外に偶然、不思議な家を発見した。実に気になって、帰路、今度は進行方向左側窓に陣取って、久喜あたりからずっと「東武動物公園駅」まで、目を凝らしていたが、見逃した。
 2度目、「東武動物公園駅」でカメラを取り出し、右側の車窓にへばり付いてカメラを構えていたが、一瞬、“発見”が遅れ、ブレてしまった。帰路はもう暗くなっていた。
 3度目も同じように失敗。特急ではスピードが早すぎるのではないか、と思われた。
 そこで先日(9月14日)、今度は北千住で東武線各駅停車・久喜行きに乗り込んだ。やっと到着した「東武動物公園駅」で座席から立ち上がり、右側ドアの窓を確保して、カメラを構えていると発車した。よし、今度こそは、と「不思議な家」が見えてくるのを待ったが、なかなか“出て”来ない。列車はスピードをどんどん増していく。と、不意にその「不思議な家」が登場した。えっ? と思うまもなくシャッターチャンスを逃してしまった。特急も各駅停車も、そんなに違わないスピードで、件の「不思議な家」あたりを走っているらしい。
 程なく列車は「和戸駅」というところに止まったので、生まれて初めて和戸というところで降りた。線路の向こうにある中学校から運動会の練習らしき音がスピーカーから大きく聞こえている。
 線路沿いを来た方向に当てずっぽうにずっと歩いていくと、あった! 車窓からの見かけとは、目の高さが違っているのでずいぶん印象が違う。違うが、まさに「不思議な家」である。
 “仕切り”のような大きなパネル状の形状が二つ、一棟の平屋の建物を三分割している。非常に風変わりな建物の光景である。
 庭に立派な庭石が複数ゴロゴロ置かれている。
 建物は、間違いなく「住宅」。しかし、今、人が住んでいる気配はない。雨戸などは閉じられているし、各所に痛みも認められる。あたりにも人はいない。乗用車が一台停まっていたが、この建物の持ち主のものかどうか、建物内部に人がいるのかどうか、わからない。
 近所の家を訪ねてインタビューしてみるような勇気もない。それにしても、この“仕切り”はただのデザインなのか。何か機能性を備えているのか。とても気になる。なるが、人様の敷地に入り込んで建物の周囲を巡るわけにもいかない。それはいけないことだ、と教わってきた。
 道路から、写真を数枚撮ってひとまず満足し、もう一度、駅に戻った。
 再び東武線に乗って「足利市駅」を目指す。足利市立美術館で「長重之展」の内覧会。この“寄り道”で、遅刻してしまった。
 「長重之展」や長さんについては改めて報告したい。
(9月21日、東京にて)
無人の古本屋の噂を聞いて三鷹まで見物に行ってきた
2018-09-20
 知ってる? 無人の古本屋があるそうだよ、という話を聞いて、びっくりした。す、すごい! む、む、むじん!?
 畑の脇の道とかに、その畑でできた野菜などを無人で販売していることがあるのは、誰でも見たことがある、と思う。そこにあるものが欲しい人は、どこかに示された金額を空き缶とかの所定の“金庫”に入れて欲しいものを持ち帰る。それが野菜であれば、採れたての新鮮さが、どこかしら嬉しいものだ。つい、買いすぎたりもする。
 私の古くからの友人・松井利夫は、一時この無人販売に目をつけて、関西の各所、あげくは東京・青山でも、この無人販売の方法でタコツボを売る、という作品を展開していたことがあった。松井利夫とタコやタコツボとの話は、始めると長くなるので、今回はしない。しないが、今後何かの時に出ることがあるかもしれない。
 で、その古本屋であるが、試しに「古本屋 無人販売」で検索してみると、出た! その名は、「BOOK ROAD」。三鷹駅北口から徒歩10〜13分のところにあるらしい。ならば、とさっそく見物に行くことにした。
 新宿からの中央線・特快は快調に走って、すぐに三鷹。駅、北口から歩き始める。あいにくの雨模様。
 表に看板も何も出ていないこともあって、最初、見落として通り過ぎてしまった。しばらくして、さすがにおかしいことに気づいて、もう一度戻ったらあった。素通しガラスの引き戸から壁際の書棚と並べられた本が見える。
 中に入ると、スチール製7段の書棚6本、一番上と一番下の段は空っぽになっている。各段の左右それぞれに10冊弱が背表紙をこちらに向けて立てられ、真ん中にいわゆる面陳の一冊が配されているから、ざっと計算してお店全体で600冊くらい並んでいることになろうか。マンガ本やエロ本、実用書や小説や詩、というような本は見当たらない。“真面目な”本の棚である。緩やかな分類がなされて、一定の分野ごとに棚に配されているようにも見受けられる。価格は、とても良心的だと思う。
 書棚のない方の壁の方にはガチャポンの販売機が置かれていて、壁には本の買い方を説明するパネルが掲げられている。その壁際には木製の箱が底を上にして置かれていた。この箱は椅子の代わりだろうか? 今日は、その上に紐で縛られた本の束が二つ置かれていた。
 本の価格はシールに書かれている。価格は良心的である。指定の金額をガチャポンのコイン投入口に入れるとガチャポンが出せ、ガチャポンには袋が入っていて、袋はお持ち帰りに使えるのである。袋を取り出した後のガチャポンがたくさん箱に入っていた。これは、お客様がきて、本を買って帰った物証である。店主の演出とは考えにくい。
 私は、うーん、と唸ってしまった。唸りながらも、目は棚を走っている。なかむらるみ『おじさん図鑑』(小学館、2011年)を300円で買った。裏表紙の一部と本文60ページに、明らかに故八田淳氏(美術家)の姿が描かれていたからである。八田淳氏についても、いつかここに話が出るだろう。
 唸りながら帰ってきて、24時間営業のこのお店がすでに五年間続いてきている、と知って、さらに唸ってしまった。

2018年9月15日、東京にて

無人古本屋BOOK ROAD:https://www.facebook.com/bookroad.mujin/
            https://twitter.com/bookroad_mujin


ゴードン・マッタ=クラーク展にまた行ってきた その2
2018-09-13
歓声の中を登場してくるマッタ=クラークは、段ボール製であろうか、箱を一つ抱えている。その箱を床において、一つの面を切り開くと、中には小さな家が入っているのが見える。模型? オモチャ? みんな大喜び。
 マッタ=クラークは床に接した以外の全ての面を開いて床に広げていく。どの方向からも小さな家がしっかり見えるようになる。小さな家のご披露だ。
 ご披露が終わると、今度はノコギリとナイフでその小さな家を縦に切り始める。またまたみんな大喜び。すっかり切り終わると、マッタ=クラークはそのすぐ横のところをもう一回切断していく。そして、薄くスライスできた部分をつまんで取り出して、残りはみんなにあげる、とか言って退場していく(なにせ私の英語はお猿以下)。どうやら家の形をしたケーキだったらしく、ペーパータオルらしきを持った観客が残りのケーキをとりに集まってくる。みんな本当に大喜び。
 そんなマッタ=クラークの“出し物”であった。
 もちろん、『スプリッティング』を踏まえてのこと。みんな『スプリッティング』を知っているわけだ。

 『スープとタルト』の映像の中では、フィリップ・グラスとかイヴォンヌ・ライナーとかリチャード・セラとか、私でも知っている(と言っても向こうは私を知らない)人や、知らない人が全部で15、6人登場してきて“出し物”をやっていた。観客の中には靉嘔(きっとまちがいない、と思う)の姿も写っていた。みんなすごく楽しそうで、羨ましいくらい。
 
 今回の「ゴードン・マッタ=クラーク展」に出品された映像は全部合わせると、ほぼ8時間になる。全てを見るのは結構大変だったが、どれもとても面白かった。二度、三度見たものもあるから、8時間どころじゃない時間を映像の前で過ごしたわけだ。これらの映像とドローイングや写真や各種資料と相乗させると、さらに面白くなる。まるでマッタ=クラークの大掛かりな作品がここに蘇ってくるようだ。これが作品の力。現物そのものは、もう地上のどこにもないのに、ありありと蘇るのである。
 こうした作品の力にもっともっとあやかりたいものだが、会期がもう押し迫ってきてしまった。9月17日(月・祝)まで、東京・竹橋・東京国立近代美術館。  
2018年9月11日 東京にて

ゴートン・マッタ=クラーク展は、9月17日まで!

会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
会期:2018年6月19日(火)~ 2018年9月17日(月・祝)

公式:http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/ 



 
ゴードン・マッタ=クラーク展にまた行ってきた
2018-09-13
 映像を随分見落としていたので、それがずっと気になっていた。ついに今日、出品されていた全ての映像を、見るだけではあるがともかくはひととおり見ることができた。竹橋に足を運ぶこと数回。達成感というものが確かにある。この達成感を味わわせてくれるための配慮として、会場の椅子の配置は極力制限してくれていたのだろう(もちろん皮肉)。
 最後に見たのは、ジーン・デュピュイ『スープとタルト』(1974—75年)。55分45秒のモノクロヴィデオ作品だ。小さなモニタが合板の“テーブル”の上に斜めに置かれていて、そこにその映像が映し出されている。液晶らしきそのモニタではどの場所から見ても画像が殆んど“ソラリゼーション”と化してしまって、とてもじゃないが見てられない。普通の画像として鑑賞するためには、モニタの前に立って、身を乗り出すようにして“ちゃんと見える位置”を探し出さねばならず、その位置はほぼ一点に限定される。鑑賞者はその一点に自らの視点をキープしつつ55分45秒間モニタに集中しなければならない。鑑賞に当たって観客に過酷な状況を強いる、ということでは、今回の展覧会中でも出色の設営である。何度も訪れてそのことはもう分かっていたので、ついこのヴィデオを最後にしてしまったのである。で、あるからして、今日は気合いを入れて臨んだのだった。

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