126 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

応挙の絶筆にびっくりした日以降のこと  その2
2019-09-27
 そして今日は、「TOKYO 2021 un/real engine 慰霊のエンジニアリング」展を見物してきた。会場の戸田建設のビルは取り壊されて超高層ビルになるのだそうで、解体前に建築と美術の展示をしている、と聞きつけたのだ。建築の展示はすでに終わっていて、私は訪れていない。今は美術の展示中だというので、見物に行ったのである。この展覧会のキュレーションをした若い黒瀬陽平氏の活発な活動ぶりは、私のような者にも伝わってくるが、詳らかにはしていない。黒瀬氏への興味もあった。
 会場は二つに分かれ、「Site A」には、中谷芙二子『水俣病を告発する会 テント村ビデオ日記』(1972年)、1975年の寺山修司による市街劇『ノック』“上演”に際して配布された地図、をはじめ、梅沢和木氏やカオス*ラウンジの新作など19作家の作品が配されていた。それぞれ興味深く見たが、ア ヤ   ズ(飴屋法水)氏の『 ニシ  ポイ  』(2005年〜2019年)が印象深かった。 
 作家当人が会場で体を壁に預け足を投げ出して座り続けて身じろぎひとつしない。声をかけてみるが、当然のように応答はない。私は実見していないが、2005年に東京・元麻布のP-houseで行われた『バ  ング  ント』展で、この人は閉じた箱の中でその会期のほぼ一ヶ月間を過ごしたのだという。今回の『 ニシ  ポイ  』はその『バ  ング  ント』の変容のようにも、ネガ・ポジの関係にあるようにも見えた。
 奥の小空間の壁に直接書いて、さらにそこを何度も擦った手書き文字の群れ(麻原彰晃がしたらしき発言内容)、「日本がなくなり、大変残念です」とループする麻原彰晃のものらしき音声、壁に貼られた死刑囚の“扱い”についての文書(法律?)、小ぶりの二つのモニタの映像。
 座り続けるア ヤ   ズ氏のそばには、東京拘置所の処刑場の「落とし板」の大きさで剥がされた床、その真上の天井にも同じ寸法で穴、剥がされた床には骨壷が置かれている。そして壁や床には手書き文字の“メッセージ”(あるいは“ステートメント”)。
 これらア ヤ   ズ氏の作品が、2018年に死刑が執行された麻原彰晃や死刑制度を正面からとりあげているのは明らかだろう。オウム真理教事件は1995年だったか。
 もう一つの会場「SiteB」の作品群も興味深く見た。が、正直、なんだか「美術」を見た気がしない。頭が硬くなっているのか?
 疲れてしまって、予定していた「岸田劉生展」見物は先延ばしすることにして、帰宅した。
 帰宅したら、文化庁が渦中の「あいちトリエンナーレ」への補助金を出さないと決めた、との報。文化庁長官は宮田亮平氏。この人は東京芸術大学の学長だった人だ。しかも本来は金属彫刻の作家。そんな人が、こんなとんでもない決定を許したわけだ。私は言葉を失った。
2019年9月26日、東京にて
応挙の絶筆にびっくりした日以降のこと その1
2019-09-27
上野の芸大に用事があった日、ついでに、芸大美術館で開催中の「圓山応挙から近代京都画壇へ」展に立ち寄った。「ついで」というのが申し訳ないくらいの展覧会だった。とりわけ、応挙の絶筆と言われる「保津川図」に腰が抜けた。これがもうじき死んじゃう人の集中度だろうか。すごい。例によって、御免なさい! なのだった。もう一回見たい。会期末が近い。
 芸大美術館であまりにびっくりしたので、帰路、思わず、隣の東京都美術館「コートールド美術館展」にも立ち寄ってしまった。その日はガラガラにすいていて、セザンヌをはじめ、ゆっくり、じっくり、贅沢な時間を過ごすことができた。ここでも実に満ち足りながら、一方で、近代絵画の巨匠のみなさんに、御免なさい! をした。
 スーラの小品、いつ見ても、何度見ても、素晴らしい。欲しい。おウチにかけておきたい。始終、御免なさい! をしていたい。そうすればもう少し真摯に、今度こそ頑張れるかもしれない。いや、ダメだな。今頑張れていないのだから。

 次の日、古くからの友人が送ってくれた招待ハガキで「二科会」を見物した後、会場の国立新美術館から思わず山種美術館を目指してテクテク歩き出してしまった。そう遠くないのではないか、と思ったのだ。
 途中で食事したり、後悔したりもしながら、やっとなんとか辿り着き、「10周年記念特別展 大観・春草・玉堂・龍子」を見物した。これがまた面白かった。とりわけ、川端龍子が描いた日光東照宮の上に照る月を描いた絵(タイトルを忘失)に驚いた。西洋画を学んだあと日本画に転じたという龍子。西洋の透視図法の合理性と日本画の平面性・正面性とが合体・融合した実に不思議な説得力を持った絵だった。売店でハガキを探したが無く、図版を入手するにはカタログを購入する必要があった。ビンボーなのでカタログ購入は断念(従ってここにお示しできない)。こんなにビンボーでは、いくら小品でもスーラの入手は完全に夢物語。現実というものは実に厳しい。スーラの小品が欲しい、というささやかな願いさえ切り捨てる。
 そんなわけで、展覧会には満足したのだが、ヘトヘトになってしまっていた。でもお財布が許してくれないので、タクシーとかに乗るわけにはいかなかった。さらに恵比寿駅まで歩き、JRに乗って帰宅した。頑張ったぞ(歩くのだけは)。

 

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