立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
横浜に行ってきた
2020-09-24
横浜で川俣正が作品を作っている、という情報を得たので、思い切って行ってみるか、と家人と相談し、横浜に住む長男夫婦との久しぶりの“昼食会”も段取りして、横浜・馬車道に出かけた。
地下鉄馬車道駅構内に、あれがそうかな、とひとつ見つけた。工事用の金属製の仮囲いの“板”と工事用のタンカンで筒状の工作物が組み上がっていた。周囲に樹脂製の無粋な柵が巡っている。様々な人が通行するので安全のためだろうか。なんだかなあ、と思っていると、一人の若者が現れて柵を取り外し始めた。家人が若者に、やっぱりこの柵は取り外すのね? とか、話しかけている。若者は作業の手を休めずに、はい、中にも入れますから、とか応じている。
柵がなくなるとスッキリして、全体がひとまわり大きくなったような感じがした。中に入ると、自然に上を見上げてしまう。
先がややすぼまった筒状の大きな構築物を川俣が作るようになって久しい。なので、形状や大きさに驚かされるということはない。川俣はプレファブの倉庫を使ったことはあったが、工事用の仮囲いの金属板を使うのは初めてかもしれない。とはいえ、同一の素材を一つの単位としてそれを集合させていく、というのは毎度おなじみになっている。つい、その「作り方」を観察して、その合理性に目が向いてしまう。川俣の方も「作り方」を隠したりしない。むしろ、あらわにしてきた。この「筒」も極めて合理的に作られているとともに、川俣らしいリズムの構築が内側からも外側からも見て取れる。単一の素材であっても決して退屈させない。
地下鉄馬車道駅構内に、あれがそうかな、とひとつ見つけた。工事用の金属製の仮囲いの“板”と工事用のタンカンで筒状の工作物が組み上がっていた。周囲に樹脂製の無粋な柵が巡っている。様々な人が通行するので安全のためだろうか。なんだかなあ、と思っていると、一人の若者が現れて柵を取り外し始めた。家人が若者に、やっぱりこの柵は取り外すのね? とか、話しかけている。若者は作業の手を休めずに、はい、中にも入れますから、とか応じている。
柵がなくなるとスッキリして、全体がひとまわり大きくなったような感じがした。中に入ると、自然に上を見上げてしまう。
先がややすぼまった筒状の大きな構築物を川俣が作るようになって久しい。なので、形状や大きさに驚かされるということはない。川俣はプレファブの倉庫を使ったことはあったが、工事用の仮囲いの金属板を使うのは初めてかもしれない。とはいえ、同一の素材を一つの単位としてそれを集合させていく、というのは毎度おなじみになっている。つい、その「作り方」を観察して、その合理性に目が向いてしまう。川俣の方も「作り方」を隠したりしない。むしろ、あらわにしてきた。この「筒」も極めて合理的に作られているとともに、川俣らしいリズムの構築が内側からも外側からも見て取れる。単一の素材であっても決して退屈させない。
アーティゾン美術館に行ってきた その2
2020-09-16
先のヴェネチア・ビエンナーレでの日本館における展示報告のような趣旨。
展示に至る各種資料とともに、日本館の展示室が実物大で再現され、展示もそっくりそのまま再現している(ようである)。詳細な説明は省くが、これも想像していたより、はるかに面白かった。
とりわけ、綿密に作られた曲をコンピュタ制御で自動演奏している12本のリコーダーからの音が、座ったりもできる巨大な“風船”と連動していて、どっこいしょ、と座ったりすると(“風船”に圧が加わると)リコーダーの音の大きさが変化するのには笑ってしまった。ハイテクとローテクとが愛嬌良く混在している。
4階会場には、かつてのブリジストン美術館でまみえることができた収蔵作品群からの展示に加えて、収蔵作品群によるテーマを定めた特集展示が配されている。今回は、かつてのヴェネチア・ビエンナーレ日本代表作家群の中から棟方志功、山口長男など6作家の作品の展示、「印象派の女性作家たち」と銘打った展示、クレーの25点に及ぶ特別展示、という3種類の特集。あと、円山応挙なども。
展示に至る各種資料とともに、日本館の展示室が実物大で再現され、展示もそっくりそのまま再現している(ようである)。詳細な説明は省くが、これも想像していたより、はるかに面白かった。
とりわけ、綿密に作られた曲をコンピュタ制御で自動演奏している12本のリコーダーからの音が、座ったりもできる巨大な“風船”と連動していて、どっこいしょ、と座ったりすると(“風船”に圧が加わると)リコーダーの音の大きさが変化するのには笑ってしまった。ハイテクとローテクとが愛嬌良く混在している。
4階会場には、かつてのブリジストン美術館でまみえることができた収蔵作品群からの展示に加えて、収蔵作品群によるテーマを定めた特集展示が配されている。今回は、かつてのヴェネチア・ビエンナーレ日本代表作家群の中から棟方志功、山口長男など6作家の作品の展示、「印象派の女性作家たち」と銘打った展示、クレーの25点に及ぶ特別展示、という3種類の特集。あと、円山応挙なども。
アーティゾン美術館に行ってきた その1
2020-09-16
ブリジストン美術館が入っていたビルが建て替えになって、美術館の名称もアーティゾン美術館にかわって久しい。今日、やっと見物に行ってきた。
入場するには、検温や手指のアルコール消毒だけでなく、時間指定の予約が必要だからだろうか、観客は少なめで、ゆったり、ゆっくり、巡った。
係りの人に促されて6階に足を踏み込むと、とても大がかりな『鴻池朋子 ちゅうがえり』展。
この展示は、様々なメディアに取り上げられていたが、それらの情報から、なんだか私は、敬遠したくなるような印象を得ていて、正直期待していなかった。ところが、これが、とても面白かった。現場と実物を実見しなければダメだ、ということを改めて学んだ次第。
入り口から奥へと見えるところに、動物の毛皮が多数、ぶら下げられている。鼻の穴のところをフックに引っ掛けて吊るしてある。ちょっと痛々しい感じを否めない。近寄ってよく見ていくと、足部や頭部などに、他の素材で細工されていたり、造形物が組み合わされていたりしている。毛皮と毛皮との間には編み物らしき小鳥の姿がライトからの光を浴びて、壁に影を落としている。
こうした細部に思わず知らず誘導されて分け入ってしまっている。まんまと“鴻池ワールド”に参入させられてしまっている自分に気づくことになった。そしてその事態を肯定的に認めてしまっていた。
とても繊細でありながら、力技もためらわぬ構築力ゆえだろう。
次々に現れでてくる作品の数々。
ここには圧倒的な手数がある。これらの手数を支えるために、どれだけの集中を要するか。たやすい取り組みではないはず。その“本気度”が伝わってくる。こうなるともう、つべこべ言わず“鴻池ワールド”に浸り切ってしまうのが良い。
会場中央には工事用のタンカンでスロープが大きく組み立てられ、その下、その上、その内側、その周囲、と、実に効果的に利用し尽くしている。並みの構成力ではない。途中過程でなされたメモ的なドローイング類、各種写真類も組み合わさって、説得力がより増している。
映像作品も音(=声、歌)も実に面白く見た(聴いた)。
5階会場では、『宇宙の卵』展。
画像上:オオカミの毛皮 鴻池朋子
画像下:《ツキノワ川を登る》鴻池朋子
つづく→
入場するには、検温や手指のアルコール消毒だけでなく、時間指定の予約が必要だからだろうか、観客は少なめで、ゆったり、ゆっくり、巡った。
係りの人に促されて6階に足を踏み込むと、とても大がかりな『鴻池朋子 ちゅうがえり』展。
この展示は、様々なメディアに取り上げられていたが、それらの情報から、なんだか私は、敬遠したくなるような印象を得ていて、正直期待していなかった。ところが、これが、とても面白かった。現場と実物を実見しなければダメだ、ということを改めて学んだ次第。
入り口から奥へと見えるところに、動物の毛皮が多数、ぶら下げられている。鼻の穴のところをフックに引っ掛けて吊るしてある。ちょっと痛々しい感じを否めない。近寄ってよく見ていくと、足部や頭部などに、他の素材で細工されていたり、造形物が組み合わされていたりしている。毛皮と毛皮との間には編み物らしき小鳥の姿がライトからの光を浴びて、壁に影を落としている。
こうした細部に思わず知らず誘導されて分け入ってしまっている。まんまと“鴻池ワールド”に参入させられてしまっている自分に気づくことになった。そしてその事態を肯定的に認めてしまっていた。
とても繊細でありながら、力技もためらわぬ構築力ゆえだろう。
次々に現れでてくる作品の数々。
ここには圧倒的な手数がある。これらの手数を支えるために、どれだけの集中を要するか。たやすい取り組みではないはず。その“本気度”が伝わってくる。こうなるともう、つべこべ言わず“鴻池ワールド”に浸り切ってしまうのが良い。
会場中央には工事用のタンカンでスロープが大きく組み立てられ、その下、その上、その内側、その周囲、と、実に効果的に利用し尽くしている。並みの構成力ではない。途中過程でなされたメモ的なドローイング類、各種写真類も組み合わさって、説得力がより増している。
映像作品も音(=声、歌)も実に面白く見た(聴いた)。
5階会場では、『宇宙の卵』展。
画像上:オオカミの毛皮 鴻池朋子
画像下:《ツキノワ川を登る》鴻池朋子
つづく→