色の不思議あれこれ167 2020-03-09
「津田青楓展」を見た
新型コロナウィルス問題もあってか、土曜日というのにガラガラに空いた西武池袋線。中村橋駅に降り立ち、練馬区立美術館で「津田青楓展」を見た。はじめてその活動の全貌に触れたと思う。
生活のために取り組んでいたという図案の数々がいい。多くの図案集が残されているのを初めて知った。既存の布地(織物、刺繍、更紗)からの模写の数々、写生をもとにして考案した青楓自身の手になる図案の数々。これらの多くは、冊子に収録するためか、ひとつずつ木版の形でまとめられ、残されている。時に琳派を思わせ、時にアールヌーボーを思わせる図案は、繊細さと、のびやかさとが共鳴して、実に魅力的である。
色がいい。今、なかなか見かけることのない色合いだ。
さらに、これらの図案を自らの手で図案集として冊子という形式にまとめ上げていく青楓の姿を想像すると一層興味深い。いわゆる「編集」は、この人のとりわけ大事な活動だったように見える。
図案の仕事はごく自然に、本の装幀へと展開していく。これまた、どれも、とてもいい。こんな本を作ってみたい、とさえ思わせられる。これらがまとめて展示されているのは、実に嬉しい。
とはいえ、青楓は絵を描きたかった。日露戦争の激戦地から書き(描き)送ったハガキからは、本当に絵を描くことが好きな若者の姿が見えてくるような気さえした。衛生兵として戦争の現場に身を晒していたことは、この人に深い傷を残し、本格的に「絵」に向かわせていく契機ともなる。やがて農商務省派遣で留学のチャンスを得、年下の安井曾太郎と一緒にパリに赴き、「アカデミー・ジュリアン」で学んだ。1907年〜1910年。
私は、今回ジャン=ポール・ローランスの作品を初めて見た。府中美術館所蔵という。きちんと力を備えたちゃんとした人だったことがわかる。
お、いいじゃん、と思ったら、それは安井の絵だった。
わざわざこんなことを記すのは、津田青楓を貶めるためではない。もちろん、フランスで描いた津田の絵もいい。いいが、後年、南画に転じるのは、言われる「転向」の故だけではなく、そうなっていくだろう“資質”のようなものがすでに現れ出ているような気がした、とそれが言いたい。
1920年代に展開する女性ヌードの油絵やクロッキーは、色彩にみるべきところがあるが、私にはなんだかよく分からない。
「研究室に於ける河上肇像」(1927年)は力のこもった作品だが、つい顔の“構造”の歪みに赤ペンを入れたくなってしまう。とはいえ、検挙される1933年までの作品群には力がみなぎっている。会場には、小林多喜二のデスマスクなども展示され、またこの時期運営していた画塾に関する展示もあり、津田の充実した様子がうかがえる。塾生だったというオノサトトシノブや北脇昇などの“珍しい”作品の展示やポスター類の展示も嬉しい。
検挙をきっかけに南画に完全に転じて98歳で生涯を終えた。
津田の書や南画は、ある水準をキープしてそれなりに楽しませてくれるし、目を見張るようなキレの良いものもあるが、果たしてこれが本意だったのかどうか。70歳前後の二点の油絵の前でしばらく考え込んでしまった。
それにしても、カタログの帯の“キャッチ・コピー”、「夏目漱石に/愛され/た画家 津田青楓」、これにはちょっと驚いた。驚く私の側の問題か?
(2020年3月7日、東京にて)
●会期:2020年2月21日(金)~4月12日(日)
●休館日:月曜日
●会場:練馬区立美術館
●観覧料:一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料
●公式HP:https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201912151576384229
展示は開催していますが、展示関連のイベントは、中止となっています。必ず公式HPをご確認の上、ご来場ください。
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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