色の不思議あれこれ148 2019-10-29
バスキア展と独立展とをみた日 その1
滅多に行かない森美術館=森アーツセンターギャラリーでバスキアを見た。面白かったが、複雑な思いにも見舞われた。
なぜ森美術館に行くのが「滅多」なのか? 高いところにあるからだ。高い、というより、高すぎる。私は高いところが苦手だ。森美術館のフロアの窓から外を見るとアワアワしてしまう。そんな私なのにアワアワ覚悟で出かけたのは、バスキアという人の作品を見たい、と単純に思ったから。バスキアの絵も、とっても“高い”ようだが、ビンボーな私にはその高さは始めっから関係ない。バスキアの絵は、印刷物ではとっくに知っていたけど、本物を見たことがなかったのだ。
で、どうだったか?
1982年あたりの作品はさすがにとてもいいけど、亡くなった88年に近づけば近づくほど、どんどん“疲れ”のようなものが見えてきて、かわいそう、と思った。
あっという間に世界中にその名と作品の情報が轟き、引っぱりだこになる人は、もう周りが絶対に放っておいてくれないのだろう。あれほどの才能に恵まれていても、すり減り始める。市場優先の経済原理の犠牲というべきか。ヘロインだったかの過剰摂取で、あっという間に死んでしまった。
才能、と書いたが、才能って何?
その答えを端的に言える力は私にはない。ないけど、才能としか呼べないものが確かにある。バスキアの絵のどんなところに才能を感じたか?
まず、色。曖昧さがなく決然とした色。とはいえ、チューブから出したままの色だけではない。混色され複雑さを備えた色。つまり混色のされ方が決然としているのだ。だから、色同士の関係が小気味よい。色を重層させてもいるが、重層の効果が狙われているわけではない。気に入らないから塗り重ねているわけで、最上層の色も不透明でしかも厚く与えられ、その筆触や身振りも露わで、下層の色は完全に押さえ込まれている。そこに主として線で形状が形づくられる。結果、手前/奥の関係を浅く含みつつも上/下、右/左といった平面状の場に色同士が関係しあってカラッ!とした“響き”を作り出している。色の良さはどの作品にも一貫して保持され続けている。
主に線で作り出される形状は、丹念に、というのではなく、これもスピード感あるラクガキ風のものだ。塗りさえも極太の線と言っていい。とはいえ、妙な形状の歪みや身振りの乱暴さが強調されたり放置されたりしているのではない。描き出される形状や形状どうしの関係のバランスは実によく、デリケートさすら感じさせる。そうした形状が、「バスキア」という“キャラクター”のようになって、別の絵にも何度も繰り返し登場する場合がある。トレードマークとされる「王冠」などはその代表的なものだ。
一つ一つの形状は、横へ上へ下へと配されるように次々と広がっていく。形状同士が「重なりの遠近」を成して、手前/奥の関係を生じることはほとんどない。形状を形づくる線は一分節、せいぜい二分節の組み合わせ。オイルスティックやペンで引かれる線では、長くひと連なりの“一筆描き”もなされている。だから、筆に含む絵の具の量がその一回一回のストロークを一分節、二分節の形状にさせてしまうのだろう。
描き出される形状にためらいや描き直しはない。「一発」で決められる。重ね描きされる場合でも、色を替えて決然と行われる。ゆえにシャープさと複雑さが共存する効果を生じている。
絵の中には「文字」が繰り返し登場する。同じ言葉が並んで繰り返し書き連ねられることもたびたび行われる。私は英語が苦手なので(苦手なのは英語だけではないが)、そこに書かれている言葉の意味の多くが分からない。しかし、文字列が作り出す“調子”が絵の中で実に効果的なのは分かる。つい私は「ゲンゴロウは‥」とか唱えながらコンテ書に挑んでいた井上有一の映像を思い浮かべてしまった。きっとバスキアもブツブツ言いながら、“念”を込めて書いていたのではないだろうか。その“念”が分からないのは悲しい。
つづく→
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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