藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ142 2019-08-26

室生寺釈迦如来坐像と坂本繁二郎 その2

別の日、冷房の良く効いた都バスに乗ってはるばる練馬に向かい、さらに西武線に乗り換えて中村橋は練馬区立美術館に行った。
 「没後50年・坂本繁二郎展」。
 恥ずかしながら、坂本繁二郎をまとめて見るのは今回が初めて。
 何年か前の東京ブリジストン美術館での大規模な回顧展は見逃した。会期をキチンと確認しておらず、気づいたときには終わっていたのである。とても悔しかった。今回はすでに一度見にきて感動しまくっており、一部作品の展示替えが終わったはずなのでもう一度、というわけである。で、また感動してしまった。思い出しながらメモする。
 なんと言っても、まず、最初期の水墨画(当時15歳)、油絵(当時16歳)、水彩画(当時16歳)の完成度の高さ。呆気にとられる。友人・青木繁や師・森三美の作品が合わせて展示されているのも嬉しい。青木繁との切磋琢磨の様子も想像できるが、青木ともども、森三美という本格的な力量の画家から教えを受けたというのがいかにも幸運、というか、九州というところの文化度の底力の一端を示している。すごいな、九州。
 坂本繁二郎は森三美からどのような指導を受けたか? どうやら基本的には模写、というか臨写だったらしい。コンスタブルやターナー、浅井忠などの作品の複製が教材だったようだ。それは、坂本繁二郎自身が書いた文にも記されている。画材もなかったから、キャンバスなどはだいたい手作りだった、との文もある。とはいえ、手作りの画材でお手本の模写・臨写ばかりでもなかったようだ。15歳の時の驚くべき水墨画「立石谷」は、鳥栖市に実際に存在する「御手洗(おちょうず)の滝」の前で描いた上下二枚のスケッチをもとにして描いた、というのである。(まったくの余談ながら、あの会田誠氏の作品に、スクール水着のたくさんの女子学生が滝で遊んでいる絵があったが、あの舞台のモトはこの「立石谷」ではないか、との考えが思わずよぎり、思わず調べたりした自分が悲しい。)
 次に驚かされたのが、上京後の作品だ。特に「早春」(1905年=当時23歳)では、ナビ派(形態の単純化、色彩表現の平面化、陰影部への色彩の発見など)との近似(特にドニとかヴァロットン)を見て取ることができ、とても驚かされた。1900年前後には、日本でもナビ派などが紹介されていたのだろうか? それともナビ派とかはまったく無関係な坂本の試み? ともかく、「早春」や「町裏」などからは上京後の坂本が熱心にまた果敢に学んでいる様子が見て取れる。すでに技量に磨きがかかっている。
つづく→

 

 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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