藤村克裕雑記帳

藤村克裕雑記帖256 2024-04-10

国立西洋美術館に忘れた傘をとりに行ってきた 3

 、、、と、出品者一人一人をたどってメモしていくとキリというものがない。以下、いささか雑だが、印象に残った作品をメモしていきたい。

 ロダンの「青銅時代」と「考える人」とを横倒しにした作品を中心にした小田原のどか氏の作品は、SNSからの情報で想像していたよりずっと面白かった。やはり作品は実際に自分の目で現物を見なければ分からない。
 床に敷き詰めた赤いパンチカーペットの色の効果が絶大で、そこに黒々と転がっていたロダンは、美術予備校で石膏像を横倒しにしてモチーフとし、学生にデッサンさせ、「形」の問題を問いかけるような場合に比せば、遥かに面白く見えた。中が空洞ということでは同じでも、石膏像とブロンズ像との違いがそうさせているだろうし、本来の像を腕や胸で切り取って教材にしてきた石膏像と作品全体をきっちり鋳造してあるロダンのブロンズ像との違いが大きいだろう。そして、私(たち)は意外にロダンの彫刻作品ときちんと向き合う機会を持ってこなかったのかもしれない。
 いつだったか、何かの展覧会を見に行った静岡県立美術館で、ロダン館というところに迷い込んで、たくさんのロダンの大きな(実寸の?)ブロンズ像に出くわしてびっくり仰天したことがある。あまりにびっくして、その時はじめてロダン作品をじっくり見た。ひとつひとつを丹念に見ていくと、気持ちが悪くなるくらいだった。ロダンは激しすぎて遠慮会釈というものがない。驚くべき作品群だ、と思った。日頃、ロダンについての情報はたくさん知っていても、情報を知りすぎていて、実際にロダン彫刻の現物を前にしてもじっくり見ることはなかった、ということにその時に気がついた。恥ずかしいことである。
 小田原氏のこの作品で、作品として無理やり横たえられたロダンの彫刻をまたじっくり見ることになった。ブロンズ像を台座に固定しておく普段は見えない“仕掛け”も剥き出しになっているから、そんなところにも目が向いた。さりげなく展示されていたロダン彫刻の台座を、台座だけの姿でしげしげと見る事にもなった。普通はあり得ない状況でこうしたありさまに反応している自分自身にも意識が向いたりする。そういった意味でも、さまざまな覚醒を強いてくる面白さがある。
 ただし、日本=地震国の国立美術館のコレクションであるロダン作品、というところから、大地震が襲ってきてロダンの彫刻も横倒しになったとしたら(実際に関東大震災の時にはロダンの彫刻は倒れて壊れてしまったそうだ)、、、みたいな“設定”を、巨大で真っ赤な五輪の塔をそそり立たせた一方で、あたかもその五輪の塔が崩れて床に散らばったかのようなインスタレーションとして作品に組み込んだりするのは陳腐で、説明の域を出ていない、と思う。
 さらに、横倒し=水平、そこから「水平社」、転倒=転向、これらからの西光万吉という人物の作品の提示。ここからさらに、さまざまな問題へと繋いでいこうとしている様子も、彼女の日頃の真摯な問題意識や丹念な調査活動とは別に、語呂合わせや連想に興じているようにも感じさせられてしまう。彼女の執筆活動、出版活動の成果品である書物群を観客が手に取れるかたちで展示していたのも、それら一冊一冊は確かに興味深いが、この展示に同居させていることには若干の違和感も持った。

 弓指寛治氏の上野や山谷での取材や活動に基づく作品群は、”蘇った「ルポルタージュ絵画」”という印象で、実に興味深かった。おそらくは現場で撮った写真情報をもとにして描いたであろう多くのアクリル画と、それらに添えられた小さな不定形の紙への手書き文字による言葉とがシンクロして、日本のいわば負の側面の一端の実にリアルな断面が示されている。そこではドヤ暮らしやホームレスとして生きる人々だけでなく、彼らを必死で支える人々も捉えられている。そして、ところどころに挿入されるドローイングがいい。端的に無駄なく引かれる鉛筆の線。控えめに施される色。大変に魅力的だ。一見素朴さを装ってはいるが、弓指作品には相当な力量を感じさせられる。また、彼の山谷や上野での1年間ほどの“取材”がこの展覧会の企画者=新藤氏からの依頼によって始まったという意外な経緯も明らかにされていて、これにはとても驚いた。学芸員は自分の企画のためには作家にそこまで踏み込んだ要請をするのか、という驚きだ。弓指氏はその新藤氏も現場に引き込んでいく。それもまたドキュメントしてしまうのである。お主、やるな、と言いたくなる。

 梅津庸一氏は、この展覧会で特別扱いされているように見えた。パープルームの主宰としての参加に加えて、個人としても、また坂本夏子氏との共同制作者としても、というように、今回の展示では都合三つの枠を与えられている。 なぜ彼だけがそうなのか? 私は、あえて穿った見方をしたくなる。
 かつて、名古屋で「シュトルム」というグループ展があった(らしい)。その図録に、梅津氏は確か「優等生の蒙古斑」というタイトルだっただろうか、梅津氏の呼びかけに応じてその展覧会のために参集した“グループ”の“メンバー”の作品をその出身予備校との関係で分析的に述べた文章を寄せていた。今日の東京藝大批判に繋がる視点のものである。梅津氏とほぼ同世代の美術家たちがそれぞれ出身予備校で受けた教育内容をその時に至るまで各自の作品の中に引き摺っており、それがまるで蒙古斑のように見え隠れしている、という内容だった(と思う)。この図録には、新藤氏も文章を寄せていたことを記憶している(内容は忘れてしまった)。
 だから、少なくともその頃から(今、時期が正確に分からない。その図録も梅津氏の著書『ラムからマトン』も、近年出版した作品集も今は参照できないからだ)、断続的にであれ継続的にであれ、現在に至るまで二人には行き来(あるいは互いを意識しあう関係)があっただろうことは容易に想像できる。このことはこの展覧会での梅津氏への特別扱いとは無関係だ、と言えるだろうか?(坂本夏子氏もこの「シュトゥルム」展に参加していた記録が図録にあった気もするが、今、確認できない。不覚なことである。私の記憶に間違いがあれば訂正したい)。

パープルームの展示は、主宰者の梅津氏の主導で作り上げられているだろう。ここには、ラファエル・コランの「フロレアル」に着想した梅津氏の初期の二作品と、東京藝大から借り出したというそのコランの「フロレアル」の実物一点とが含まれている。が、彼ら自ら設営に関わった(らしい)会場のしつらえによって、観客はそれらの作品を集中して見入ることから遠ざけられている(かのようである)。そこには梅津氏の別の小ぶりな五点組の初期絵画作品もあるし、近年の陶芸作品一点や水彩作品二点もある。パープルームメンバーのわきもとさき氏や安藤裕美氏の作品やパープルーム周辺にいる(らしい)星川あさこ氏や續橋仁子氏の作品も展示されている。これらもまた展示スペースのしつらえによって撹乱されている。いずれも大変に見辛くなっているのだ。パープルーム最初期から現在に至る生え抜きのメンバーである安藤裕美氏(梅津氏からの受験指導を受けて合格した東京芸大を中退してパープルームに加わった経歴の持ち主である)の絵画作品でさえ、それらが展示されている“壁”は、白地の上に薄く溶いた緑の塗料=絵の具で刷毛の動きやムラや塗料の滴りなどを強調した“塗装”が施されている。その“塗装”が、激しいノイズを発しているだけでなく、照明も暗く抑えてあることで、観客は緑の壁にかかっている彼女の複数の絵画作品へと視線を集中させることからは妨げられている。つまり、とても見辛い。安藤作品と同じ壁には、ボナールもあるが、その絵の良さもまた壁の緑色のノイズゆえに一見押さえつけられている。そういう“悪条件”の中でも、注意深く見れば、ボナールと作品とそのすぐ近くに並ぶ安藤氏の作品群とが示す力量の差は歴然としている。安藤氏はこうしてボナール作品と自作品とを並べた展示から何を得るのであろうか。今後が楽しみといえば楽しみである。
 緑色の塗装以外の領域においても、観客の視線を撹乱させるためのつらえ=仕掛けは徹底している。パープルームの“武器”の一つは、間断なく巧みに行われるSNSでの 投稿である。梅津氏やメンバーの投稿をそれぞれが引用・拡散して発信し、ネット上に流通する情報量を増やしていく。そうした彼らの投稿は、そのまま彼らの活動のアーカイブにもなっている。それらを過去に遡って画像も含めて編集・レイアウトし、それを拡大して“壁紙”や“床材”へとプリントアウトして会場の壁や床にびっしりと貼り詰めているのである。その結果、壁にも床にも色や形が散乱し、一見華やかな効果が生じて、観客は出会い頭の印象でまず圧倒されるだろう。さらに文字や写真など細部に際限なく入り込んで(見入って)いくこともできる。そうした状況を作り上げている。こうして貼り込まれた壁紙や床材では、“中心”の設定を注意深く回避している壁紙や床材の中で、観客はどこをどのように見ても、読んでもよい。もちろん読まなくてもよい。そこに彼らの絵画作品やフラッグ、ビデオモニタ、点灯させたランプなどを配しているのである。梅津氏の采配によるものであろう。こうした梅津氏の手法は、多少の変容はあっても初期から一貫しており、今回は一層徹底している。どうやら梅津氏には、こうした会場構成自体が作品で、絵画作品はその構成要素にすぎない、というような気持ちがあるのではないか。今回もまた、私はそんなふうに感じざるを得ず、そこは釈然としない。長くなったが、つまり、参加作家一人ひとりの絵画やレリーフの作品に集中させてほしい、と言うことが言いたい。

 別のスペースでの梅津氏個人として(ソロでの)の参加枠で展示された彼の作品においても、陶芸作品の展示ではパープルームでの展示と同様のことをやっている。近年の彼の陶芸作品の展示発表では、その都度、凝った形状、凝った色彩の塗装の台上に、観客を圧倒する数の作品を“密集”と言っていいほどにして配しており、観客が一つひとつの作品に視線を集中してじっくり鑑賞することが難しくなっている。今回の発表では、台上の複数の陶芸作品の“密集”の度合いはやや低く抑えているものの、ここでも台にはラフな彩色が施されており、作品への観客の集中はそのノイズによって明らかに邪魔されている。
 水彩による絵画作品は、大きな作品も小さな作品も、きちんと額装されて壁にかけられ、壁には彩色されておらず、ここでは折り目正しい。額縁に守られた画面の中では、近年の陶芸との取り組みで彼が発見した釉薬特有の表れを水彩の表現の中に積極的に取り込もうとしている様子が窺える。が、完成度、ということでは私には多くの作品に疑問が生じてくる。今や完成度など問題外なのだろうか。
 坂本夏子氏との共同制作の作品は、こうした試みを繰り返す意味が私にはわからない。“図録”=“インタビュー集・論文集”ではこの共同制作について、安藤氏や梅津氏の発言が若干あるものの、坂本氏、新藤氏による記述あるいは発言は見当たらない。これはどういう事だろうか。ま、ことさらに知りたいとも思わないが。
 (思いがけずこんなに長くなって、私も梅津氏を特別扱いしてしまった。)

 (以下、パープルームの展示を見た直後から、個人での参加「枠」、坂本氏との共同制作での参加「枠」での梅津氏の出品作を見るまでの間のことをメモする。)

(続く)
画像1枚目:小田原のどか《近代を彫刻/超克する》─国立西洋美術館編2024年ミクスト・メディア
画像2枚目:弓指寛治《You are Precious to me》2023–24年ミクスト・メディア 作家蔵
画像3枚目:パープルーム入り口

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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