色の不思議あれこれ123 2019-02-28
横浜で昼ご飯を食べた話
ちょっとバタバタした日が続いていたので、雨の中、家人と横浜美術館をめざして出かけた。久しぶりの横浜。
電車の中で赤瀬川原平『赤瀬川原平の名画読本』(光文社・カッパブックス)を読んで感心してしまった。マネの「オランピア」とシスレーの「サン・マレス」の項を読んだだけで、みなとみらい駅に着いてしまっていた。ものすごく上手。例えば「オランピア」についてはこんな具合。前段は省略。
地味ではあるけど、やはりマネの目からはじめて自然の色が出てきた。それまでの長い長いヤニ色の絵画の歴史にプツンと穴が開いて、自然の明るい色が侵入している。そのプツンと開いた穴がマネの目玉であった。
ところがマネは黒い色が好きである。私にはこのパラドクスが実に面白い。マネの絵をあれこれ見るとわかるが、衣服や背景やその他、黒いものは黒々と塗っている。その黒が美しい。黒い色として気持ちいい。それまでのヤニ色の絵の黒とは違うのである。絵画的風習に逃げ込むような、そういう迎合的な黒とは明らかに違う、むしろ挑戦的な黒い色だ。
それまでのほとんどの画家が黒をベースとして使いながら、それは黒い色ではなかった。それはテーマ以外をうやむやにするための、それを塗っておけば間違いないという、安全パイとしての黒だった。それが十九世紀、自然の色をはじめて色として見たのだ。そして絵の中に大胆に、積極的に黒い色を塗り込んで行く。印象派を生む自然の明るい色彩世界は、最初に黒い色から始まったという不思議な皮肉。
マネのキャンバスに塗られる黒はしあわせである。やはり好きで塗られる色というのは生き生きしている。それまでの、仕方なく塗られていた黒の、生きる望みを失ったような表情とは段違いである。
「プツンと穴」が上手い。
「マネのキャンバスに塗られる黒」が「しあわせである」なんて、上手すぎる。
“しあわせな黒”と対比的に述べられるそれまでの「仕方なく塗られていた黒」「生きる望みを失ったような表情」という言い方も上手いなあ!
さらに原平さんは、画面右端の黒猫に注意を喚起し、それが「黒々とした黒色」の元で、この黒猫から「どんどん黒い色が湧き出て、部屋じゅうが黒い色で満たされている。」と指摘して、こう続けるのだ。
部屋じゅうに広がった黒い色を、マネはもう一度細いリボンにまとめ直して、この裸婦の白い首筋に結んでいるのだ。肌色と黒い色とは、まさにこの結び目のところで結ばれている。
上手すぎでしょ、原平さん。プロみたい。あ、プロだった。
シスレーの文にも随所に“言い得て妙”という的確さがあるが、書き写すのは控える。ぜひ本を読んでいただきたい。上手いなあ、上手いなあ、と何度も読み返しているうちに、みなとみらい駅だったのである。
食事はどうしよう、と家人が言うので、少し早い時間だったけど、お蕎麦屋さんでさっと済ませて、展覧会に備えた。張り切っていた。
お蕎麦屋さんから美術館を目指したが、人の気配がない。雨だからか。入り口が閉まっている。え?
休館日だった。おまけに目指す展覧会(「イサム・ノグチと長谷川三郎」展)は数日前に終わっていた。といっても、どこか他に行きたいと思うところはなかった。食事も終えてしまっていた。
で、駅に戻ってまっすぐ家に帰ってきた。横浜で昼ご飯を食べただけの日。
往復の交通費を加えれば豪華なランチができたわね、と家人が言った。
今日で2月も終わりである。ああ。
そういえば、先日入手して読んだ小林正人『この星の絵の具[上]一橋大学の木の下で』(ART DIVER)。ムッチャ面白かった。
(2019年2月28日、東京にて)
※現在は、「知恵の森文庫」で出版 日本画編もあるようです。
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334783495
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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