藤村克裕雑記帖255 2024-04-09
国立西洋美術館に傘を忘れて取りに行ってきた 2
ぷんぷんしながら会場に入れば、大きくて妙な立体が立ちはだかっていた。なんじゃらホイ。杉戸洋氏の作品だという。この作品の何が面白いのか、掲げられている説明文を読んで改めて“鑑賞”しても、なんの感興も覚えない。説明文などには西洋美術館創設にまつわるいくつかの情報と資料・作品が示されていた。コルビュジエの絵もあった。あったが、ついさっき出鼻をくじかれて、最初に出くわす作品がこれかい、とますます気持ちがささくれ立っていく。
次に、中林忠良氏の銅版画の作品群が並んでいる。中林氏は私が学生だった頃、そこの一番若い専任教員(あるいは非常勤の「助手長」という教員?)だった。が、版画研究室を選ばなかった私は、一方的にお顔を知っているだけである。中林氏の作品群の合間にゴヤやブレダンなどの銅版画が紛れ込んでいる。
ブレダンのことは、学生時代に故駒井哲郎氏や故安東次男氏の文章で知った。いつの間にか、この美術館の常設展示、というか所蔵品展で見ることができるようになって、いい物を入手してくれて、じっくり見させてくれて、この美術館は素晴らしい、と思ってきた。ブレダンとはこれまでも何度かここでじっくりまみえることができて、その都度堪能させられてきた。何度見ても、どれを見ても飽きない。今回もやはり見応えがある。見入っているうちにご機嫌が治ってしまった。正直なところ、中林氏の作品が霞んでいるくらいだ。駒井哲郎氏の「束の間の幻想」もあった。これは中林氏の所蔵、とのキャプション。中林氏は師を心から尊敬している(らしい)。
このあたりで、ああ、なるほど、この展覧会では、国立西洋美術館の所蔵品と今回の参加作家との作品を並べて展示する、という取り組みをしているのだな、と気づくことになった。
同じような展示をかつて東京藝大の油画専攻の専任教員たちが行なっていたことを思い出した。藝大が所蔵する作品と自分達の作品とを並べて(関係付けて)展示したのである。なぜか、とてもイヤな気持ちになったものだ(家のどこかにその図録もあったはずだが、冒頭に述べた通り、今、とても探し出せる状況ではない)。今回は、そんなにイヤな気持ちにはならない。なぜだろ?
が、銅版画家は世の中にたくさんいるのに、なぜ中林氏がここに「招き入れ」られたのだろうか(後に購入して読んだ“図録”というか“インタビュー集・論文集”には、この美術館が開館した年に中林氏が藝大に入学し、以来、専任教員として定年退職するまで上野で共に過ごしたから、というように読める記述があった。そんなことが「招き入れる」根拠になるのだろうか? SNS からの情報では、この展覧会の企画者の新藤氏が中林氏の絵画教室に通っていた、という“関係”を”暴露”する梅津庸一氏の発言も確認できたが、、、)。ま、それはそれとして、次のスペースに移動した。
細長いスペースにしつらえられた白い“壁”にセザンヌがポン! と懸かっている。お、おお、、、す、素晴らしい! いつもの西洋美術館でのこの作品の展示に比して、ここでは遥かに画面に集中できる。一つひとつの筆触の息遣いまで伝わってくる。私のご機嫌はすっかり治ってしまった。長い時間没入し、堪能して、ふと気がつけば、同じ“壁”の離れたところに内藤礼氏の白い平面作品が懸かっているのに気がついた。さっきは気づかず、内藤作品の前を素通りしてしまったのだ。
ああ、例の作品だ、と近寄れば、やはり例の作品だった(ネタバレを恐れこれ以上は書かないが、今回の展示のための新作だという)。随分以前、同じような考えによる紙の作品を見た時には虚をつかれたが、以前の庭園美術館でもそうだったが今回もあまり感心しない。一緒に並べたセザンヌがよく見えすぎる(?)せいもある。そのようにした内藤氏の手柄か。それでいいか、とさらに歩を進めた。
次のスペースには、松浦寿夫氏の絵画の大作が4点、四方の“壁”に懸かっている。随分頑張っているなあ、という率直な感想が湧いた。一緒に並んでいるのはセザンヌとヴュイヤール、それからドニ。昔、どこかのトークで松浦氏が、実は私はボナールが好きなんです、と語っていた。ああ、なるほど、と思ったので、ずっと記憶している。ボナールはここにはない。なぜだろ?
私は大昔(1980年代なかば)、ある展覧会で彼と一緒になったことがある。その頃、彼の作品は、木枠など使わないで、サラの木綿の布に絵の具をなすりつけたような、ちょっとシュポール・シュルファスからの影響を思わせる作品で、タラリと壁に下がっていた。つい最近も、ある展覧会で一緒になったが、この時は水彩で描いたちょっとお庭っぽい風情のある絵がきちんと額縁に収まっていた。近頃はお庭とかを描いているの? と尋ねてみたら、何か具体的なものや情景を描いているわけじゃない、と彼は言った。初めての会話だったかもしれない。
そんなわけで、彼のことは大昔から知っているが、互いに会釈する程度で、ほとんど話もしたことのない関係である。が、作品はずっと見てきた。時に実験的な試みにも果敢に挑戦して、誠実な制作ぶりだと思う。
彼の文章も折に触れて読んできた。いつだったかな、なにかで読んだ確か「同時偏在性の魔」とかいうタイトルの文にとても感心した記憶がある。
(続く)
画像1.中林忠良:「転位’04ー地ーI」エッチング、アクアチント、ドライポイント 56.0 × 76.5cm 2004年
画像2. 松浦寿夫:《キプロス》2021年、アクリル/カンヴァス、作家蔵
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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