藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ066 2017-07-07

「丹下健三ってすごい、と思った日」その2

「東京カテドラル」を含めて丹下健三の建築の情報を知らなかったわけではない。でも、たまたま、こうして何の準備もなしに実物のひとつに身をさらしてみると、なるほど、すごい。
 信仰とかとはまるで無縁なバチ当り者の私にさえ、この建築物が超越的な何かに向けて、荘重に、そして奇跡のように捧げられているように感じさせる。しばし息をのんだ。
 やがて、いったいどうやって作ったんだろう、と思った。作り方を考えるとなんだか気が遠くなってくる。
 壁=屋根は互いに支え合っていっそう安定するということもあろうが、基本的にはそれぞれ自立できる程の強さをそなえているにちがいない。でないと、こわすぎる。とすれば、この壁=屋根のために地中にはどんな基礎が作られているのだろうか。
 そして型枠はどんなふうに作っていったのだろうか。壁には木目がそのまま残っているから、板を集積して作られた型枠だ。現場ですべて作っていった? 足場は? …などなど。
 たいへんな難題なのに、それらをひとつひとつ解決して、計画通りに実現してしまうのだから、すごい。
 すこし残念だと思ったのは、中央近くにぶら下がって光っている大きな照明具。これがあるから、内部空間に現況の薄暗さが保たれているようだ。照明具なしなら、もっともっと暗くなるのだろう。しかし、照明具からの光は、眼に刺さってくるような刺激を生じていて、せっかくの空間の荘重さにとってノイズを生じさせているのではないか。
 あの照明具がないと、暗すぎて危ない? 夜ここを使えない? 
 ならば、空中の十字架=窓部に照明具を仕込んでおくとかすればいいのに。それだとメンテナンスが大変? ならいっそのこと、ローソクのような光ではだめか。
 そもそも、暗くて何がいけないのか。
 ま、余計なお世話ですけど。
   
 たまたまなのかどうか、マイクのデモンストレーションのようなことが始まった。若い男性がワイヤレスマイクを使って中央で喋ったり、奥の方で喋ったり、歩きながら喋ったりしている。マイクなんだから、男性がどこで喋ろうが、問題はスピーカーの位置の方だろう。でも、「双曲放物面」の壁の形状が、特有の残響を生じさせていることは分かった。
 男性は肉声ででもボリュームを上げて喋ってくれた。肉声でもかなりよく通る。ということは、パイプオルガンが鳴り響いたりすると、これはとてもすごいだろう。音のこうした効果も読み切られていたのだろう。
  
 また、外側のギラリの正体はステンレス。「ピカリ!」ではなく、「ギラリ!」となるように表面処理されていて、そこにもまた丹下健三の「思想」のようなものが垣間見える。
 丹下健三のように有名すぎる人やものには、私など、つい偏見やひがみが生じるのか、無関心を装いがちになる。でも、こうして身をもって体験すると、ひがんでもしょうがないのだった。すごいものはすごい。…なるほど。
 思いがけないひとときだった。

2017年5月30日 東京にて

 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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