色の不思議あれこれ030 2015-06-10
昔、まだ小さかった義兄が枇杷を食べた(2)
数日後、土を取り除く作業を仕事場で再開した。横にしたり、ひっくり返したりしながら、根に傷を付けないように丁寧に進めていく。ときどき生き物がうごめき出てくる。そして次第に、ここの土は向こうまで繋がっていそうだ、というような見当がついてくる。つまり、塊に穴があいてくる。穴があくと、塊の表情が一変する。その穴から、さらに別の穴があく。横にしたりひっくり返したりしながら、土を取り除く作業は進行する。まるで、体が小さくなって、穴の中を冒険しているような感じがしてくる。じつにおもしろい。久しぶりにわくわくする。上が下になり、こちら側が向こう側になる。微細な形状や土の表情の変化が次の手がかりになる。方向感覚が失われて、視線の先にのみ集中している。そんなことをやっているうちに一日経ってしまった。
真っ暗に閉じられて限られた“空間”の中で枇杷の根が苦闘した痕跡が次第に明らかになってきたわけだ。あるところでは、植木鉢のかけらを巻き込んでいるし、ポリバケツのわずかな隙間から根を伸ばしてアスファルトの下に至り、次第に太くなるうちにポリバケツを齧ってけっして離さなくなったりもしている。なんだか、異形の生命体と遭遇したような気さえする。興奮しつつ、周囲を丁寧に掃除して、その日は作業をやめた。
次の日、根の表面にクモの糸のような光るスジをあちこちに見つけた。粘菌? かとも思ったが、いやいやこれはナメクジが這ったあとではないか、と見当をつけて探してみると、いた、いた。ナメクジはあまり好きではない。塩を振りかけると縮んでしまった。
土と根を別々にする作業は少しずつ続けられ、根は今私の仕事場の作業台の上にある。取り去ったはずのあの光るスジはまた今日も現れ出ている。ナメクジ退治が不徹底なのだろうか。ほかにもなんだか多くの生き物が棲息しているような気がする。目に見えない大きさの生き物もきっとたくさんいるに違いない。
ペンキ塗りの工事は今日完了した。
根を陽光に当てて“消毒”する必要を感じている。それを入梅前に完了しないとひどいことになりそうだ。
それにしても、作業台上の根を見ていて飽きない。取り去った土は捨ててしまった。
恐竜の化石の話を思い出している。骨格ばかり気にして、骨の周囲の石の分析を忘れてきた、という話だ。確かに骨だけが恐竜のはずはないのだ。同様、捨ててしまった土の方にこそ枇杷のことを物語る情報があったのかもしれない。しかし、それは私の手に余る。
(2015年5月23日、東京にて)
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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