色の不思議あれこれ026 2015-03-19
ゴダールの3D映画をみた(1)
ゴダールの最新作という3D映画『さらば 愛の言葉よ』をみた。
例によって、映像、音、音楽、言葉、文字、字幕…、と情報量が膨大なうえに、今回は「3D」、さらに情報量が加わったわけで、ほぼお手上げ、まったくの消化不良である。
にもかかわらず、満足した。できれば、もう一回、みたい。
情報量が膨大、と書いたが、情報の量が私の容量を超えて過剰になってしまうと、脳が自己防衛して拒否反応をおこすのか、睡魔が襲い、ついには陥落し、爆睡することがままある。哲学書や学術書などと同様、ゴダールの映画は睡眠導入剤のかわりに使える。その証拠に、高校生の時に『中国女』をみて爆睡して以来、ゴダールには気をつけてきたにもかかわらず、その後も、かなりの確率で爆睡してきた。目覚めたとき、すごく損をした気になる。同時に、自分の頭の悪さ、教養のなさが露呈するので、それを直視するのがつらい。悔しいので、フランス語ができれば…、とか思うことがある。
私は日本語も怪しいし、外国語ができない。もちろん、フランス語などは全く分からない。はじめからそのハンディキャプがあるので、せりふやナレーションなどは字幕を追いかけ、意味をとらえるだけで精一杯になる。ゴダールでは、字幕の意味やつながりが分からないこともたびたびあって、加えて字幕に登場する多くが名著とかからの引用で、ほとんどの場合、出典が分からない。そうした厄介な字幕が怒濤のごとく押し寄せるのだから、焦って、やがて混乱し、疲れて、爆睡にいたるのである。
今回もおそるおそる見に行った。新聞がすごくほめていたからだ。そして3D。
3Dで動く映像は、もう30年くらい前に、あるコンピュータ関係の学校のデモンストレーションの講座でみたのが初体験。短いものだったが、恐竜が飛び出してきて思わずのけぞった。つまり、結構驚いた。しかし一方で、輪郭のところで切り取られた感じがあって、スケスケ、ペラペラで、無理矢理作っているような印象を拭えなかった。
何年か前には、ピナ・バウシュが亡くなったあとに作られたブッパタール舞踊団の映画を3Dでみたが、輪郭で切り取って前後の重なりを作っているような印象に変化はなかった。
ゴダールの映画ではどうだろうか、という興味もあって出かけたわけだ。
つづく
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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