藤村克裕雑記帳

藤村克裕雑記帖238 2023-07-21

何もはかどらない日々

 暑い。梅雨が明けてほんとの夏がやって来たらどうなっちゃうんだろ、と思うほど暑い。一方では、水害がひどくて他人事ではない。いつ、大雨や嵐が拙宅を襲ってくるか、それはわからないし、そういうことがあれば、拙宅は大きな被害を被るだろう。直下型地震のこともあるし。

 古くからの知り合いだった写真家・森岡純氏がひっそりと亡くなった。森岡氏は1970年代半ばあたりから、創形美術学校での師であった美術家・高山登氏の作品を撮り始め、高山氏から叱られながら写真のあれこれを身につけ、まずは森岡氏周辺、高山氏周辺の美術家たちから依頼されてさまざまな美術作品を撮影するようになった。以来ずっと、美術作品の撮影のかたわら、自分自身の写真を撮るためにカメラを持ってあちこちを歩くというスタンスで活動してきた人である。作品写真では私も何度かお世話になった。
 それよりも何より、思い出深いのは、森岡氏が自分のために撮った写真の多くが、どことなく貧乏そうな風情に満ちた建物などを対象にしていたことである。それらは彼の個展で発表された。
 実は、拙宅の玄関の戸を開けたら目の前にカメラを持った森岡氏がいたことがあって、拙宅のあたりをよく徘徊して撮影している、と聞いて苦笑させられた。以来、何度か拙宅を訪れてくれた。ろくな「おもてなし」もできなかったけど、、、。
 森岡氏は16ミリ映画も作ったことがあって、それはスジも何もないような映画だったけど、なんと拙宅を捉えたシーンもちゃんと含まれていた。
 そんなわけで、拙宅は、結構気に入った彼の被写体だったようである。ということは、拙宅がどういう建物か、すっかりバレてしまうがやむを得まい。
 とはいえ、近年の拙宅近辺の変化は凄まじく、大きな道路が開通し、それがさらに先まで整いつつあり、ビルが立ち並び、森岡氏の徘徊に適する場ではなくなってしまった。もうフジムラさんの家のあたりには行かなくなった、と彼もだいぶ前から言っていて、そんな時は、なんだかとても寂しい気がしたものである。
 そういうわけで、しばらく会っていなかった。

 火葬場からの帰り、ふと思い立ってムサビに行った。「若林奮展」。たまたま道筋が“合理的”だった、という以外に火葬の日に訪れた意味はない。

 かなり大掛かりな展覧会で正直驚いた。さすがムサビ、というべきか。会場に奥様の淀井彩子さんらしき方の姿があったが、面識もないのでお声がけなどしなかった。私は内気なのである。
 会場のムサビ図書館の一階には「Daisy」のシリーズのうちの二つの連作が10点整然と並んでいた。その右奥の部屋に「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」。階段を登ると真っ白な空間に
黒の不定形が浮いていた(タイトルを失念)。壁に平面。隣の部屋では「森のはずれ」の修復についての映像。別の部屋には「振動尺」のシリーズ。回り込んだりしゃがんだりしながらさまざまに見入る事ができる。そして、デッサンなど各種資料が手際よく並んだ部屋。
 以上のように構成されていて、大変見応えがあった。とりわけ、パリ留学から帰国後の若林氏が、彫刻をゼロ地点から考え直すために、抽象化された手指を携えた「振動尺」や、六畳間ほどの鉄の部屋、これらが若林さんにはどうしても必要だった、ということがとてもよく伝わってきて、感銘を新たにした。
 「Daisy」のシリーズなど、エッジの扱いひとつで、一見した時は、幾何学的でシンプルな形状が、明らかに「彫刻」へと変じてしまっている。そんなことはわかっていたはずなのに、目の当たりにすると改めて驚かされたのである。二階への階段などから一階フロアを見下ろすと、「Daisy」の上部には謎めいた形状と色が仕組まれていて、ハッとさせられるが、一階に降りて近づいても、チビの私には背伸びしても覗く事ができない。これはやはりイライラする(チビで悪かったわね)。
 随分長い時間をムサビ図書館で過ごしたと思う。
 帰路、バス停で、友人の見送りであろうか淀井彩子さんらしき人が再びおられたが、やはり気後れしてお声がけなどできなかった。

 その後、家人と落ち合って、国分寺・児嶋画廊での「エマニュエル・シャメルート」展に行った。この人が亡くなった、と知らされた時にはほんとにびっくりした。何年か前に、ずっとパリに住む若い友人の細木由範氏が作品展示をする、というので家人と一緒に見物に行った事がある。その展示がエマニュエルとの二人展だった。ふと目があったエマニュエルの焼き物の作品に囚われて、細木氏が案内してくれたエマニュエルのアトリエで、あれがほしい、と言ったら、快くオッケー(あ、ウィだったかな)、とっても安く譲ってくれた。その作品をお貸ししたので今回展示されているはず。そんなこともあったし、エマニュエルの奥さんのリリアンさんが来ている、というので、苦手なパーティーの日に行ったのだが、すでに飲み食いしている人たちでごった返していて、私にはとても耐えられず、初対面のリリアンさんにちょっとだけ挨拶して、すぐに帰ってきた。

 これが一週間前である。随分歩いた日だった。

 その後、一週間、何をやっていたか、というと、小田急線・鶴川のあの伝説の共同アトリエ「トリゴヤ」に何年か前に開設された展示スペース「ナミイタ」に行ったり、相模原の「パープルームギャラリー」に行ったりした以外は、本屋や図書館には行ったが、なんと、他にはとりたてて何もしていなかった。ただのびていたのである。のびていただけなのだから、抱えている仕事がはかどるはずもない。困る。困るがいかんともしがたい。

 そんなわけで(どんなわけだか)、昨日は思い立って、久しぶりに家を出て大塚駅に降り立ち「シネマハウス大塚」に行った。足立正生特集。「幽閉者(テロリスト)」「断食芸人」「略称・連続射殺魔」「REVOLUTION+1」の4本立て。上映後に足立正生氏と四方田犬彦氏とのトーク。
 「足立正生」という名前はもちろん昔から知っていたが、映画は見たことがなかった。いつだったか埼玉県立近代美術館で1960年代末の展覧会があった時、会場の小さなモニタに流されていた「略称・連続射殺魔」のビデオの一部を見た記憶はある。が、あれは見たうちに入らないだろう。初めて、しかもまとめて4本を一気に見るのである。一週間、いや二ヶ月も三ヶ月も何にもはかどらない日々にカツを入れてもらおう、というコンタンなのであった。家よりは涼しいだろうし。
 開始時間ギリギリに汗だくで辿り着くと、上映前に館長さんから、近作の「REVILUTION +1」を軸に構成した、などと説明があった。
 4本目に上映された「REVOLUTION +1」が、ちょうど一年ほど前の7月8日に奈良・西大寺で起こった安倍晋三元首相銃撃事件の山上徹也容疑者を扱ったものだ、ということは知っていた。この銃撃事件をきっかけに、統一教会(=世界平和家庭連合)と自民党をはじめとする国会議員たちとの密接な関係が露呈して大きな問題になったことは記憶に新しい(しかし、あの時問題になっていた政治家たちは、今、すでに、何事もなかったような顔で時にテレビ画面に登場している)。足立氏は、上映後のトークで、この事件はきっとウヤムヤにされるからきちんと映画を撮っておかねばならない、と思っていたところ、国葬をする、と閣議決定されたというので、猛烈なスピードで作り上げ、9月27日の国葬の当日とその前日に仮の編集で最初の上映をした、と上映後のトークで語っていた。とうに80歳をすぎているはずなのに、すごい集中力や体力である。現実の山上容疑者をめぐる状況の事実関係を丁寧に追いながら、映画としての“フィクション”を入り組ませて上映後に多くの余韻を残す作品だった。とりわけ、“オリオンの三つ星とのつながり”を暗示していたことや、キッパリとした妹の姿、主人公の川上と母親との関係に含みを残しながらこの映画が終わっていくことを興味深く感じた。

 3本目に上映された「略称・連続射殺魔」にはびっくりした。なんともみずみずしいカラーの映画だったのである。私がタマキン(埼玉県立近代美術館)でビデオモニタで見たのはモノクロだった。あれとは印象が全く違っていたのだ。この映画がきっかけだったのかどうか、一時「風景論」が盛んに行われていたような記憶がある。上映後のトークで、コマーシャル映像のような綺麗さで撮ることにつとめた、と足立氏が語ったことも印象深かった。
 2本目の「断食芸人」はもちろんカフカが原作。断食を続けている間、主人公のヒゲが全く伸びないし、シャツも汚れないのが不思議だったが、足立氏は、紙芝居を作りたかった、と言った。なるほど、と思った。
 一本目の「幽閉者(テロリスト)」は、あの岡本幸三氏をモデルにした映画。拷問が際限なく続くことと、主人公の幻想とが入り混じった独特な映画になっていた。足立氏の帰国後、第一作、ということである。

 ここまでを、16日に書いた(打ち込んだ)。すでに21日である。何をしていたか?

のびていた。
 のびていたが、思い立ってもう一度「エマニュエル・シャメールト」展に行った。今度はじっくり見る事ができた。とりわけ、テーブル上に置かれた版画集というか、詩画集、というか、手作り冊子、というか、ともかくそうした名付けようもない作品群を“一冊”ずつ手に取って眺め、見入って、ため息をつき、魅了された。私はフランス語ができないので(日本語も怪しいのだが)絵に添えられた文(詩?)が読めない。読めなくても、それらに添えられた木版画や銅版画や直書きの絵による「絵」のことなら少しは分かる。デュビュッフェやヨルンのような人々の作品に似ているような気もするが、違う。やはり類例のない作品群だ、と言っていいのではないか。
 エマニュエルはさまざまな書体や大きさの活字と印刷機とを持っていたらしく、詩文のレイアウトや印刷も彼自身によるものだそうだ。どうやら文字を先に印刷して、しかるのちに木版などで「絵」を加えていく。版を用いるだけでなく、直に描くことも恐れない。そんな「絵」には、ついさっき描き込んだような息遣いが伝わってくる。硬めの鉛筆を丹念に使っての描画だ。なんと言っても形が面白い。稚拙なような、てらいのない、なんとも言えない味わいある形である。
 他にセラミックの立体作品もある。油絵もある。写真などの資料もある。暑い毎日だが、お出かけになってはいかがだろう。おすすめしたい。

 というわけで、少し涼しいから、と昨日は「マチス」展、あ、「マティス」展にもう一回行って、最初のフロアで彫刻を熱心に見ているうちに目が回り出した。脱水症状だったのかも。早々に切り上げて帰宅し、のびていた。

 今日は涼しい気がする。が、また、何もはかどらない。
                             (2023年7月21日、東京にて)

 


 


 こんなに素敵な画家がいました 追悼 エマニュエル シャメルト展
会期: 2023年7月8日(土) − 8月6日(日)  12:00-18:00 (月曜休廊)
場所: 兒嶋画廊 (国分寺市泉町1-5-16)
問合せ: eakojima@gmail.com    tel.042-207-7918
特別協力: Lilian Pudles さん
ご協力: 小川佳夫、菅野正弘、北村さゆり、辻耕、中山二郎、長橋秀樹、花澤洋太、藤村克裕、向井三郎 (敬称略、五十音順)
 
公式HP https://www.gallery-kojima.jp/pickup/emmanuel/

画像上:「若林奮展」武蔵野美術大学美術館
https://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/20684/

画像下:DM、版画、エマニュエル・シャメルート

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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