藤村コラム233 2023-03-13
「小池照男のコスモロジー」AプログラムとBプログラムを見た日
春が一気に押し寄せてきている。あまりに突然である。なすすべもない。 花粉が辛い。が、出かけることにした。3月12日(日)の午後である。
中央線国立駅に降り立って富士見通りを直進、徒歩15分、通りの左側にある「キノ・キュッへ(木野久兵衛)」。今日は昨年3月に亡くなった映画作家・小池照男さんの追悼上映会があるのだ。
小池さんは(とか言っても面識も何もない)、私が最初に知った実験映画=個人映画と言われる“分野”の映画作家である。いつかもここに書いたかもしれないが、やはり映画作家の太田曜氏が教えてくれた(太田氏や黒川芳朱氏は昔からの知り合いなのだ)。というか、当時(と言ってももうかなり前になる、30年以上は経ってしまったかもしれないが)、ともかく当時、日本の実験映画のフィルムをフランスに持っていってフランスの各地で上映会をやるという活動を太田氏がやっていたのだが、その年にフランスに持っていく映画の検品を兼ねた試写をするというので、太田氏の家まで押しかけて見せてもらったのである。その時、私は映画は映画で面白いことをやっている人たちがいることを初めて知って、大変興味を持った。その中に、とっても印象的な作品があった。その作者が小池照男さんだったのである。
その映画は、何が映っているのか全くわからない映画だった。おまけに、映像と一緒に音の何の音か分からないノイズが流れ続けた。試写してくれた太田氏は、「これは神戸のコイケさんという人の作品です。一コマ一コマを撮って作ったもので、そうした作り方をコマドリといいますが、アニメーションと言ってもいいかもしれません。音は電気掃除機の音だそうです」と説明してくれた。
その日には、ついでに「スヌケ」とか「クロミ」とか「セッシュウ」とか「ヤオヤ」とかの業界語も少しだけ教えてくれた。それから、ペーター・クーベルカという太田氏の先生のことも教えてくれた。その先生には「スヌケ」と「クロミ」だけで作った映画がある、というので私はびっくりしてしまった。同じような映画を作った人がいるが(トニー・コンラッドという人だとあとで知った。つい先日その「フリッカー」をようやく見ることができたが、そのことをここに書いた記憶がある)、違った作品になっている、ということを太田氏は言った(どんなふうに違うのか、ますます興味が尽きない)。
私は、コマドリ、と聞いた時、思わず「こまどり姉妹」を思い浮かべたが、そんなことはともかく、コイケさんは8㎜カメラを持って歩きながら時々立ち止まり、レンズを路面に向けて一コマずつシャッターを切っていって、フィルム一本撮り終わったら現像して、映写してみたら面白かったので、それをそのままこの作品にしたんだろう、面白いなあ、と勝手にカンチガイしてしまったのだった。そのまま30数年。
今日の追悼上映では、その時太田氏から見せてもらったコイケさんの作品、『生態系-5-微動石』(8㎜/17分/1988年)が最初に上映された。8㎜フィルム作品を8㎜映写機で上映したのだが、今やそのこと自体が珍しいことになった。上映された『生態系-5-微動石』は随分記憶と違っていてびっくりした(30年以上経っちゃったんだからしょうがないけど)。冒頭の石の形状がわかるところなんかすっかり忘れていたし、終わりの方になって出てくる昆虫とかの生き物などの姿が登場したりして、おまけに画面の中央にもう一つの画面を作ってそれらもやはりコマドリされていたところなんか、覚えていなかった。掃除機の音はあらかじめそのように刷り込まれてしまったので、掃除機の音にしか聞こえなかった(悲しい)。
また、休憩時間に見た『小池照男全仕事』という冊子で、コイケさんの実際の作り方が私の想像とは全く違っていたことを知って、心底たまげた。コイケさんは一枚一枚必要な写真を撮ってそれを紙焼きにし、その紙焼きをたくさん(2万枚以上)用意して、それを一コマずつ8㎜カメラで撮影した、というのである。『生態系-5-微動石」の場合、写真撮影に半年、写真を一枚に一コマずつ8㎜カメラで撮影するのに四ヶ月、編集に三ヶ月が必要だった、というので腰が抜けた。8㎜の場合、一秒間に24コマが必要である。一分間に1,440コマ。そして、17分間の作品なので、24,480コマ。つまり写真も24,480枚必要だ、という単純計算になる。フィルム代、現像代、紙焼き代、、、おお、ベラボーではないか! しかも撮影・現像後、編集するというのである。なるほど。
会場に太田氏が来ていたので、休み時間に、「最初に上映された作品は昔見せてくれた作品だよね」と聞いてみた。
太田氏は、「あの時は16㎜フィルムに置き換えたのをみてもらったんだよ。コイケさんは8㎜でしか作らなかったから、今日のとはちょっと違うんだよね。音質も今日の方が遥かに良かったよね」と言った。私は、へえ、そうなんだ、と思った。
で、肝心の作品群であるが、とっても面白かった。何が写ってるか分からないのには訳がある。一秒間の24分の1の時間に当たるフィルムの一コマに写っているものは、そもそも映し出される時間が短かすぎて何が映し出されているか分からない。それからコイケさんはテクスチャー最優先というか、被写体の形状が分からないようにフレーム全体にテクスチャーが広がる状態の写真をもとにしている。だから、もとになっている写真を見ても何を撮ったかを判別するのは難しいのである。そういう写真の一枚一枚を一コマ一コマに撮影していくのである。そんなわけで何が写っているのか分からなくなる。
分からないが、前後のコマどうしが連動して“動き”が現れる。その時に“残像”という目の働きが大きな役割を果たすことは言うまでもないが、ともかく、“動き”が現れるだけでなく、それまでこの世のどこにもなかった“テクスチャー”も現れる。思いがけない動きやテクスチャーが現出し、そしてさらにそれが次々に移り変わっていく。とっても面白い。名状し難い動きがまるでレイヤー処理したように重なって現れたりすると、コマドリゆえの醍醐味というか、コマドリでなければ作り出せない面白さだと思って感動した。
コイケさんは、三ヶ月もの間、編集をしていた、というのだが、一体何を、どう統御するために、どんな編集をするというのか? そこが知りたい。確かに、映写画面の中央にもう一つ別な画面が挿入されたりしていたのだが、そういう事柄のことだけではあるまい。やはり、何かしらのセオリーというか、序破急、とか、起承転結、とかいうものがあるのだろうか? あるような気がするのだが、よくは分からなかった。
この日上映されたのは、他に『生態系-6-菌糸類』(1989年)、『生態系-7-堆積熱』(1990年)、『生態系-8-連鎖蝕』(1991年)、『生態系-9-流沙蝕』(1993年)、『生態系-10-蘚苔瀝』、『生態系-14-留』(2004年)、『輻射点』(2005年)、『生態系-15-秤動』(2006年)、『生態系-16-ジオイド』(2009年)。計167分。
フジツボらしきものが登場する『生態系-14-留』や海が登場する『輻射点』が私は気に入ったが、シンメトリーのコマが多用されていた『生態系-16-ジオイド』は、そのシンメトリーがかえって気になって集中が妨げられたような気がした。デジタルに切り替えて苦労も多かったようだが、制作費が格段に安く済むようになって自由度が増したようである。 上映後、水由章氏の司会で、佐々木健正、黒坂圭太、とちぎあきら各氏のトークと万城目純氏のダンスもあって充実の半日間であった。
すごい人がいるものである。亡くなったのが実に惜しまれる。
19日(日)午後にも別のプログラムが用意されており、今からとても楽しみである。これを読んでくださっている方々にもおすすめしたい。
(2023年3月13日、東京にて)
小池照男映像作品アーカイブプロジェクト
https://ecosystemvideo.jimdofree.com/film-screening/
『小池照男のコスモロジー』 小池照男 追悼 映画作品上映会 東京上映2日目 案内
https://www.facebook.com/events/2452709741560815/?active_tab=discussion
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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