色の不思議あれこれ195 2021-01-20
いつの間にか、一月が終わってしまう その2
贅沢、と言っていいスペースである。広いスペースが3フロアある。そこに絵画が並んでいる、のだろうと予想していたが、梅津氏の陶芸作品があちこちに配されて、アクセントのようでもあり、いや、むしろ主役のようですらある。
並んでいる絵画作品が梅津氏の陶芸作品の引き立て役のように見えてもくるのである。梅津氏の陶芸は立体であり、いうまでもなく「絵画」ではない。これは一体どういうことだろう。「絵画の見かた」を指南するには絵画以外の様式を持って来る必要がある、と言うことだろうか。
もちろん梅津氏は「絵画」作品も展示していた。折り目正しく額装されたドローイング、小ぶりのパネルにミクストメディアで描かれた小品、初めて壁にかけられた状況で見る大きな油絵(私がこれまで見た梅津氏の大きな「絵画」作品はほぼ床置きで自立、でなければ、床に置いて壁に立てかけて設営されていた)。この際、はっきり書く。今回もまた描き足りない。
壁に並ぶ作品は、その選択の基準が分からない。惹きつけられる作品もあれば、興味さえ抱けない作品もある。
杉全直氏の『方形C』は、なぜあんなに暗くて見えにくいところに展示しているのか。田中秀介氏の『化門』は、なぜ裏側を露わにして、“ついたて”のように設営しているのか。それが「絵画の見かた」のヒントだと言うのだろうか?
とはいえ、地下フロアにあった弓指寛治『挽歌、2020』は実に興味深かった。この会場で唯一細部までじっくり見入って堪能し、裏側に回って、つい今まで見ていた「絵画」と思いがけない対応をさせられ、さらに絵に戻って没入し、もう一度裏側へ、と作者の「世界」に包まれてしまった気がした。この人には、こうして作品を作る必然性のようなものがあって、それが力を示している。とはいえ、この作品は「絵画」としてだけ成立しているのではないではないか。
あと、KOURYOU氏。細部に見入ろうとすると画面に私の影が生ずる。「絵画」を見るにはありえないほどの照明であったが、作品には見応えがある。しかし、あれではどうしたって鑑賞し難いのだった。どんな「見かた」をすればいいのか。
木下晋氏の二点の鉛筆画も確かに見応えはあるが、輪郭線の強引な扱いがどうにも理解できず、没入するに至ることができなかった。
結局「絵画の見かた」は、『美術手帖』誌を熟読しなければ分からないらしく、同誌はすでに購入済みではあるが、いろいろ忙しくて目を通すことさえできていない。あ、だから「美術手帖」が「企画協力」なのか。謎解きのためには、買ってね、読んでね、というわけである。
帰路、ミズマ・アート・ギャラリーに立ち寄ってみたら、都会の夜景を描いた絵の前に木彫の少女像が着彩されてくっ付いていて、その少女はスマホを見ている。スマホからの光が像に描かれていて、背後の絵の照明や現実の照明と組み合わさって、とても不思議な印象を生じさせてくれていた。作者のお名前を失念。ごめんなさい。
で、さらにテクテク歩き、もっとテクテク歩き、あとどうしたか秘密だけど、帰宅したときはへとへとだった。それで、コタツに入ってお相撲を見ていると、カド番大関・正代が勝ち越した嬉しさにヘラヘラしていて、全くしょうがねえやつだなあ! ま、おめでと。
こうして一月が終わっていくのである。
2021年1月19日、東京にて
画像:上 弓指寛治「挽歌」部分
画像:下 大畑伸太郎「音の中」2012
√K Contemporary(ルートKコンテンポラリー)
公式HP:https://root-k.jp/access/
MIZUMA ART GALLERY
公式HP:https://www.mizuma-art.co.jp/
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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