25 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

10月のこと 2、林武史氏の個展を見た(10月7日)
2023-10-27
 長谷氏の個展を訪れてから数日後、10月7日。東京藝術大学美術館でのこれも旧知の林武史氏の「退任記念展『石の勝手』」を訪れた。林氏は藝大の彫刻科で長く専任教員を務めてきて、来春で退任なのだそうだ。一貫して石を素材に作品制作を続けてきた人である。
 この日訪れたのは、午後に「僕たちの時代」というトーク・イベントがあったからで、開始時間ギリギリに滑り込んだ。トークに登場したのは、中瀬康志、丸山富之、松井紫朗、そして林武史の各氏。松井氏は京都からの参加であった。ほぼ同世代の、それぞれ個性的で魅力的な仕事をする四人が、林氏の司会でいろいろ語る様子はなかなか興味深かった。中でも、学生時代の話。
 当時の芸大油画専攻の“学生作家”たちが積極的に発表していた「インスタレーション」が、彫刻科の学生たちに与えた影響の内実については、当事者でなければ語り得なかったことであり、貴重な証言になっていた。また、「フジヤマゲイシャ」展として結集した東京と京都、あるいは関東と関西とのつながりの話もあまり語られてこなかったことであり、印象に残った。中瀬氏が、学生時代に佐藤時啓氏や橋本夏夫氏らと「自主ゼミ」をやっていた、という話も興味深く聞いた。さまざまな話題を経て、トークの最後に、林氏が、氏のアトリエのある岐阜県でこれから行われるトンネル工事で出る大量の土や砂や石で大かがりな作品を作ってみたい、という話をして、おお! と思わせてくれた。


10月のこと  1、長谷宗悦氏の個展を見た(10月3日)
2023-10-23
  福住治夫さんは『あいだ』の編集長である。昔は『美術手帖』の編集長だった。
 その福住さんが、長谷(ハセ)の個展に行かないか、と誘ってくださった。長谷というのは彫刻家・長谷宗悦(はせむねよし)氏、富士山の裾野の一角にアトリエを構えていて、個展はそこで行われていた。
 私も長谷氏とは旧知の仲であるが、福住さんと長谷氏とは、随分以前からのお付き合いがあったらしい。長谷氏は、若き日の福住さんも若き日の福住さんの奥さんもしっかり記憶している、泊めてもらったから、と言うのである。私は、ある書物に掲載された写真図版で若き日の福住さんの姿を知っているのみで、若い福住さんを知らない。福住さんの奥様とは、7〜8年前に福住さんが病気療養していた時に初めてお目にかかり、顔見知りになった。
 そんなわけで、長谷氏が、富士山麗に福住さんご夫婦を”招待”したものだろう。その”招待”を受けて、福住さんは私を誘ってくださったのである。
 私は、福住さんからのお誘いに、ただちに、行きます行きます、と返答して、10月3日(火曜日)の午前、東京新宿「バスタ」から「小田急ハイランド」まで、「富士五湖行き」の高速バスに乗り込んだ。気持ちよく晴れた日だった。

 長谷氏は、30年ほど前に富士山の裾野にアトリエを構えた、と言うのだが、最近まで私はそんなことを全く知らなかった。何年かのロンドン滞在から帰った長谷氏は、そのアトリエで毎年個展を開催するようになったから、最近アトリエを構えたのだろう、と思っていた。
 そのアトリエでの個展の案内がはじめて届いた時にはびっくりした。びっくりして、思わず福住さんに、長谷の個展に行きますか? と尋ねてしまった。なぜ福住さんに尋ねたか、というと、長谷氏がロンドンに行くことを私は福住さんから聞いたのである。その時、福住さんは病気療養中で病院のベッドにいた。ちょっと見舞いに、と訪れた私に、ついさっきまで長谷が来ていた、と福住さんは言って、長谷氏のロンドン行きを教えてくれたのである。そのことが印象深くて、福住さんなら富士山の裾野まで行くんじゃないか、と思ったのだ。福住さんは、行かない、と言った。で、私も行かなかった。
 以来、長谷氏から個展の案内を貰うたびにずっと行きたかったのだが、遠さのせいもあって、訪れることはできなかった。福住さんも同様だっただろう。毎年、長谷氏の個展が終わって、ああ行きたかったなあ、と思っていると、長谷氏はその個展の成果をまとめた冊子を送ってくれた。その都度、ああ、行けばよかった、と思った。
 今年の確か梅雨の頃、福住さんから、長谷が息子とやってくる、と聞いた。私も行っていい? と尋ねると、もちろん構わない、他の人たちもやって来る、と言った。
 その日は、あいにくひどい雨の日だったが都内某所に行った。長谷氏と息子さんに会いたい、という人は私の他にもいて、なんだかとても満ち足りた時間を過ごした。その時、私は、今年こそは個展を見に行きたい、と長谷氏に言っていたのだが、その後、今年の個展の案内をもらって、いざとなると“現実”というものの大きな“壁”の前でたじろいでいた。そこに、福住さんからのお誘いがあったのである。“わたりにふね” というヤツだった。

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