20 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

岡崎乾二郎『頭のうえを何かが』(ナナロク社、2023年)を読んだ
2023-12-15
 先週、私が心から尊敬する旧知の先輩作家が、あるグループ展の初日に、ある女性舞踏家と一緒にパフォーマンスを行う、という情報を得て、今回こそは行くぞ! と夕闇の京橋に出かけた(12月4日、『近景・遠景』展、ギャラリー檜B・C)。久しぶりに見たその先輩作家=大串孝二氏の力強いパフォーマンスは、さすが! と言うべきで私は大変満足し、終演後、ごった返す人々をかき分けて、ともかく大串氏にご挨拶だけしてすぐ会場を出た。帰路途中の南天子画廊の前で、おや?! と気付いたのである。これって、岡崎乾二郎氏の展覧会?
 気がつけば階段を登っていて、さらに扉を開けて画廊の中に踏み込んでいた。そこには、岡崎氏が何年か前に(2021年10月30日の夜ということだ)おそらく過労ゆえであろうが脳梗塞を発症し、ともかくは事なきを得たものの、右半身が不随意になってしまって、そのリハビリの過程で描いた絵=彼の言う「ポンチ絵」がたくさん並んでいた。帰りの道筋を少し違えていれば、全く気づかなかった展覧会だった。

 脳梗塞を発症後の岡崎氏について、私は、岡崎氏自身がSNSに投稿する情報以外に知るところがなかった。
 今、ちょっと見てみると、フランスから帰国後に「脳梗塞で倒れ」「現在も入院中です」という岡崎氏の投稿があったのは2022年の2月20日。この時はとてもびっくりさせられた。「まったく右半身が動かない」けれども、「不思議と意識活動は明晰」で「音声入力で原稿を書くこともすぐできることが判明」している、とあって、「今は毎日が、今まで知らなかった自分の体を新たに発見し直す、驚きの日々」であり、「一旦はアーティストとしての活動を諦めはじめてもいましたが、今は全く新しくはじめ直せるという自信が生まれてきました」と書かれていた。
 その後の彼は、トーク、展覧会、著書『絵画の素』(岩波書店)、、、というように以前と変わらない活動ぶりを再開、というか継続して現在に至っている。
 つい先日(11月15日)には、柔らかめの粘土で塊を作り、それを削いで形成したらしき像をとらえた写真を添えて、こんなものをつくりました、というコメントをした彼の投稿があって、それは見ていた。が、正直、これは一体なんじゃらほい、と思っただけで、その投稿の意味について、きちんと考えてみることをしなかった。投稿された写真は、大きな右足の粘土像を捉えたものだったが、「右足」、ここが大事だった。そのことにこの画廊で気付かされることになったのである。
おお、もう12月ではないか!
2023-12-04
 家人が、私のピアノの先生がリサイタルをするそうなんだけど、行く? と言うので、行く行く、と答えた。家人に私の分のチケットも買ってもらって、その先生のリサイタルに行ってきた。
 家人の話に時々出てくる人だが、私は全く知らない人だし、ピアノ・コンサートなどというものには、トン! と縁がない暮らしをしてきた。のみならず、私は、日頃から全く音楽を聴かない。自分で楽器を演奏したり歌を歌うなどもしない。なので、緊張して迎えた当日であった。12月1日。
 最寄りの駅から会場に向かう道筋で、後方から子供たちの賑やかな声がしていることに気がついた。もしかしたら、後ろの子供たちもリサイタルに行くんじゃないか、と思っていたらその通りになった。小学校の低学年くらいの子供たちである。お母さんらしきご婦人たちも一緒だったものの、え? 大丈夫なの? と思ったけど、これが大丈夫だった。子供たちが邪魔をすることは一切なかった。私なんかより遥かに“場慣れ”していて、ピアノ演奏を聴くことが身についていたのである。素晴らしい。
 少し空席があったものの会場はほぼ満員だった。集まった人々は、やはりそれなりの雰囲気を醸し出していて、開演までのあいだ互いに挨拶したり談笑したりしていて、私はますます緊張していった。隣の席の家人も少し緊張している様子だった。ステージにはスタインウェイの大きなピアノが鎮座していた。
 ブザーが鳴り、やがて照明が変化して、いよいよ若い男性のピアニスト=家人の先生が登場したのだが、登場直後にズボンの裾がめくれ上がっていたのに気づいたらしく、あ! と慌てて、一瞬どうしようと逡巡し、そのまま膝を折って手を伸ばし、裾を整えて恥ずかしそうにした。それが会場の緊張感を一気に和らげた。結果、いかにも温かい拍手で迎えることになったのである。もしもあれが演出だとすれば、極めて巧妙な演出だったが、そうではあるまい。
 一曲目、スクリャービンのピアノソナタ第4番。静かに始まり、やがて次第に盛り上がってジャーンと終わっていくのだが、押し付けがましいところは全くなくて、こういう曲を選んだセンスの持ち主であることをとても好ましく感じた。
 二曲目、モーツァルト ピアノソナタ第12番。前の曲に比べると、さすがに古風な印象も否めないが、次第に没入させられていた。
 三曲目、グラナドス 『ゴイェスカス』より3曲。愛の言葉、嘆きまたはマハと夜泣きうぐいす、藁人形。全然知らなかった人の全然知らなかった作品である。リズムが強調され、いかにもスペイン! という感じだった。
 四曲目、チャイコフスキー 組曲『四季』全曲。一月から十二月まで、つまり12曲。
 いずれも、はじめて聴いた曲ばかり。
 居眠りしたらどうしよう、と思っていたのだが、居眠りなんかしている暇はなかった。目の前で進行する事態についていくだけで精一杯だった。年齢のせいか、すでに帰路では記憶が曖昧で、ほとんど何も覚えていなくて情けなかったけど、とっても面白かった。家人は素晴らしい先生に教わっている、と確信した次第。
 なんと言っても、目の前で実際に演奏しているのだから、その迫力たるやすごいものがある。圧倒的である。なぜあんなに素早くしかも正確に指が動くのか理解できないが、もちろん長い鍛錬の蓄積のゆえだろう。ここで、才能、という言葉の重みが身に沁みる。そしてさまざまなことを考えた。美術は、ちょっと甘い、かもしれない、などと。
 家人が、私が教わるなんて申し訳ないくらい、と呟いた。家人は、小さな頃に少し教わっていたピアノを老化やボケに抵抗するために再開しようと、一年ほど前にインターネットでさまざまに探してこの先生と巡り合った(らしい)。月に二度だけのレッスンを受けているもののほとんど進歩がない、と家内はかなり苛立っているようである。その苛立ちの訴えを、私は耳を馬に変容させて受け流している。馬には申し訳ないことである。やはり、家人も先生の演奏に感動したのだろう。押し付けがましさが全く感じられないので、余計に感動させられたはずで、それゆえの発言だと思った。レッスンを増やして貰えば? と応じたものの、これ以上はとてもムリ、と言う家人もまた尊重せねばなるまい。
 何度目かのアンコールの拍手を受けて、マイクを持ってピアニスト=家内の先生が話し始めた。その話がとっても良かったが、残念、ここでは割愛する。ともかく私は、家内がこの先生からクビになってもこの人のファンで居続けようと思った。
 アンコールの演奏はスクリャービンのエチュードから。思いがけないほど力強い演奏だった。再度アンコールを、の拍手が止まなかったが、件の先生は何度目かの登場の時に、もうお帰りください、というようなジェスチャーをして、また笑わせてくれた。素晴らしい。
 ちなみにその先生の名は、「臼井秀馬」。
 こういう時間もいいものだなあ、としみじみ感じながら帰宅したが、ぐったり疲れていた。やはり緊張しきっていたのだろう。

コラムアクセスランキング