立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
高崎での空き時間に
2022-02-22
用事で高崎に行ったのだが、用事は早く済んだので、駅の近くだけだが、あちこち歩いてみた。高崎には何度か訪れたことがあったが、自分で運転したり、息子の車に乗せてもらったりで、目的地以外に実際に降り立って歩く、ということをしたことがなかった。朝まで降っていた雨も上がって晴れ渡り、気持ちの良い日だった。
まず、高崎市美術館が駅から近いので行ってみた。美術館前の歩道の傍に肉感的な蹲る女性の姿を捉えたブロンズ彫刻が据えられている。なかなかの技量の作家と見たが、作者名を失念、申し訳ない。
建物に入ってチケット売り場に行くと、なんと65歳以上は無料だという。なんだか申し訳ないような気もしたが、美術館の決まりに従って(?)無料で見物をさせてもらった。この美術館の収蔵作品から選んで構成した「5つの部屋+I(プラスアイ)」という展示。
最初の部屋に足を踏み入れると、額縁入りの比較的小ぶりの作品が並んでいる。どれも見応えがあって、ちょっと驚いてしまった。あなどれない。山口薫、鶴岡政男、オノサト・トシノブ、福沢一郎などが並んでいた。
2階には「新人画会」に焦点を合わせた部屋がある。鶴岡政男、井上長三郎、大野五郎、糸園和三郎、麻生三郎、吉井忠、寺田政明、ときて木内克の彫刻もある。松本竣介や靉光がないのがやや残念ではあるが、無理は言うまい。
2階にはもう一つ、「エコール・ド・パリ」の部屋もある。版画作品が多いのはやむを得ないだろうが、藤田嗣治の『雪の郊外の風景』(1918年)には驚いた。空の超微妙な調子を形作る塗り込んだ絵の具の物質感がすごい。ピカソの版画もまじまじと、じっくりと見ることができた。二枚組の「フランコの夢と嘘」には思わず「ヘタウマ」を思い出してしまった。
「アヴァンギャルド」をまとめた3階の部屋では、瑛九、元永定正、難波田龍起、山口長男、斎藤義重など。国画会・井上悟氏夫人でもある井上八重子氏の作品には意外な驚きがあった。氏は高崎出身だったようである。
3階のもう一つの部屋には「寄贈作品」「委託作品」という妙な括りの部屋。山口薫の初期の絵も本当にさりげなく展示されている。
そんなわけで、総じて面白かった。お客さんもポツリポツリという具合ではあったが途切れることはないようで、結構なことである。
とはいえ、“廊下”には写真作品の展示や井上房一郎の資料の展示があったものの、いわゆる「展示室」だけの展示で、なんだか美術館全体の空間の使い方がとてももったいないような印象も受けた。
まず、高崎市美術館が駅から近いので行ってみた。美術館前の歩道の傍に肉感的な蹲る女性の姿を捉えたブロンズ彫刻が据えられている。なかなかの技量の作家と見たが、作者名を失念、申し訳ない。
建物に入ってチケット売り場に行くと、なんと65歳以上は無料だという。なんだか申し訳ないような気もしたが、美術館の決まりに従って(?)無料で見物をさせてもらった。この美術館の収蔵作品から選んで構成した「5つの部屋+I(プラスアイ)」という展示。
最初の部屋に足を踏み入れると、額縁入りの比較的小ぶりの作品が並んでいる。どれも見応えがあって、ちょっと驚いてしまった。あなどれない。山口薫、鶴岡政男、オノサト・トシノブ、福沢一郎などが並んでいた。
2階には「新人画会」に焦点を合わせた部屋がある。鶴岡政男、井上長三郎、大野五郎、糸園和三郎、麻生三郎、吉井忠、寺田政明、ときて木内克の彫刻もある。松本竣介や靉光がないのがやや残念ではあるが、無理は言うまい。
2階にはもう一つ、「エコール・ド・パリ」の部屋もある。版画作品が多いのはやむを得ないだろうが、藤田嗣治の『雪の郊外の風景』(1918年)には驚いた。空の超微妙な調子を形作る塗り込んだ絵の具の物質感がすごい。ピカソの版画もまじまじと、じっくりと見ることができた。二枚組の「フランコの夢と嘘」には思わず「ヘタウマ」を思い出してしまった。
「アヴァンギャルド」をまとめた3階の部屋では、瑛九、元永定正、難波田龍起、山口長男、斎藤義重など。国画会・井上悟氏夫人でもある井上八重子氏の作品には意外な驚きがあった。氏は高崎出身だったようである。
3階のもう一つの部屋には「寄贈作品」「委託作品」という妙な括りの部屋。山口薫の初期の絵も本当にさりげなく展示されている。
そんなわけで、総じて面白かった。お客さんもポツリポツリという具合ではあったが途切れることはないようで、結構なことである。
とはいえ、“廊下”には写真作品の展示や井上房一郎の資料の展示があったものの、いわゆる「展示室」だけの展示で、なんだか美術館全体の空間の使い方がとてももったいないような印象も受けた。
府中美術館で「池内晶子:地のちからをあつめて」展
2022-02-10
よく晴れた気持ちの良い日だった。京王線・府中駅北口を出て、てくてく歩いて府中美術館に行った。
公園で小学生の男の子たちが四、五人でチャンバラをやっていた。脇のベンチに座っている老人が迷惑そうにしていた。その間をすり抜けて、ロビーに入り、ロッカーに荷物を預けて、二階目指してエスカレーターに乗った。チケットを確認してもらったあと、お姉さんの指示通りに入口に垂れ下がる数枚の布の間をかいくぐって右側に折れ、第一室に入った。
薄暗い照明の大きなスペースが奥にある部屋である。わずかな照明とはいえ、光を受けた床が、ニスで輝いている。周囲の“壁”も輝いている。周囲はガラスの“壁”なのだ。普段なら、ガラスの“壁”の向こうは、作品が置かれたり掛けられたりするスペースで、壁全体が備え付けの“什器”のようになっているのだが、今回は、ガラスの向こう側にベージュの“幕”が張り込まれていて、曖昧な鏡のようになっている。部屋全体がピカピカした印象だ。が、同時に、奥のスペースほぼ中央の赤い繊細な作品が目を捉えてくる。結界がある。作品の繊細さを強調している。結界は無視できないので、ある距離を持って作品を眺めることになる。
池内晶子氏の作品を初めて見たのは、もうずいぶん前、東京都現代美術館でだったと思う。赤い糸を結びながら、繋ぎ合わせて作った実に繊細な、大きな巣のような作品が空中に浮かんでいた。その後も、画廊や美術館などで見てきた。作品は白糸が使われたりして、どんどん見えにくくなってきた。ある時など、上から2本の白糸が床面ギリギリまで下がっているだけの作品になっていた。
そんなわけで、見えない、あるいは見えにくい作品だが、制作はいかにも大変な集中力を必要とするに違いない。
長い時間がかかった、しかし作りかけの作品が、迷い込んできた仕事場の隣に住む人の飼うネコに台無しにされてしまった、という話を池内氏から聞いたことがある。その時は泣きました、と言った。泣いて泣いて、しかしその後、やはり糸を手にする池内氏の姿が見えるような気がした。
それで、今回の作品である。赤い漏斗状の形状が大人の目の高さあたりに浮かんでいる。あ、浮かぶはずがない。壁からの4本の糸の張力で支えられて、空中にとどまっているのだ。“支え”の4本の糸は実に見えにくい。頑張っても、遠くの糸は全く見えない。見えないが、正確に東西南北を向いて止められているのだそうだ。
宙空の漏斗の先端から一本の糸が下に延びて、床に広がる糸に繋がっているようである。その糸は池内氏によってクルクル回転させられながら床を一周、二周、、、とめぐっていく。結果、同心円状の形状をとどめた直径7メートルほどの繊細な赤い広がりが出来上がっている。会場で配布されている「ガイド」によれば、糸はひとつながりになっていて、総延長が2万2千メートルになった、という。その大部分が床に自分の重さを預けてはいるが、外側からの力が加われば直ちに形状を変えてしまう。四方に伸びる支えの糸もその張力がどのくらいの時間を耐えるのか、実に危うい。
それにしても、赤いだけまだマシだが、実に見えにくい。夕方、寸法を測ろうと当てた物差しの目盛りが読み取りにくい、それが老眼の始まりだった。今では、老眼鏡を絶えず首からぶら下げている。老人をいじめる意図は池内氏にはないだろう。池内氏もメガネをかけて作業しているはずだ。
見えない、見えにくい、と思いながらも、次第にこの状況に慣れてきて、見えなくてもいいではないか、という気持ちになってくるのが面白い。
公園で小学生の男の子たちが四、五人でチャンバラをやっていた。脇のベンチに座っている老人が迷惑そうにしていた。その間をすり抜けて、ロビーに入り、ロッカーに荷物を預けて、二階目指してエスカレーターに乗った。チケットを確認してもらったあと、お姉さんの指示通りに入口に垂れ下がる数枚の布の間をかいくぐって右側に折れ、第一室に入った。
薄暗い照明の大きなスペースが奥にある部屋である。わずかな照明とはいえ、光を受けた床が、ニスで輝いている。周囲の“壁”も輝いている。周囲はガラスの“壁”なのだ。普段なら、ガラスの“壁”の向こうは、作品が置かれたり掛けられたりするスペースで、壁全体が備え付けの“什器”のようになっているのだが、今回は、ガラスの向こう側にベージュの“幕”が張り込まれていて、曖昧な鏡のようになっている。部屋全体がピカピカした印象だ。が、同時に、奥のスペースほぼ中央の赤い繊細な作品が目を捉えてくる。結界がある。作品の繊細さを強調している。結界は無視できないので、ある距離を持って作品を眺めることになる。
池内晶子氏の作品を初めて見たのは、もうずいぶん前、東京都現代美術館でだったと思う。赤い糸を結びながら、繋ぎ合わせて作った実に繊細な、大きな巣のような作品が空中に浮かんでいた。その後も、画廊や美術館などで見てきた。作品は白糸が使われたりして、どんどん見えにくくなってきた。ある時など、上から2本の白糸が床面ギリギリまで下がっているだけの作品になっていた。
そんなわけで、見えない、あるいは見えにくい作品だが、制作はいかにも大変な集中力を必要とするに違いない。
長い時間がかかった、しかし作りかけの作品が、迷い込んできた仕事場の隣に住む人の飼うネコに台無しにされてしまった、という話を池内氏から聞いたことがある。その時は泣きました、と言った。泣いて泣いて、しかしその後、やはり糸を手にする池内氏の姿が見えるような気がした。
それで、今回の作品である。赤い漏斗状の形状が大人の目の高さあたりに浮かんでいる。あ、浮かぶはずがない。壁からの4本の糸の張力で支えられて、空中にとどまっているのだ。“支え”の4本の糸は実に見えにくい。頑張っても、遠くの糸は全く見えない。見えないが、正確に東西南北を向いて止められているのだそうだ。
宙空の漏斗の先端から一本の糸が下に延びて、床に広がる糸に繋がっているようである。その糸は池内氏によってクルクル回転させられながら床を一周、二周、、、とめぐっていく。結果、同心円状の形状をとどめた直径7メートルほどの繊細な赤い広がりが出来上がっている。会場で配布されている「ガイド」によれば、糸はひとつながりになっていて、総延長が2万2千メートルになった、という。その大部分が床に自分の重さを預けてはいるが、外側からの力が加われば直ちに形状を変えてしまう。四方に伸びる支えの糸もその張力がどのくらいの時間を耐えるのか、実に危うい。
それにしても、赤いだけまだマシだが、実に見えにくい。夕方、寸法を測ろうと当てた物差しの目盛りが読み取りにくい、それが老眼の始まりだった。今では、老眼鏡を絶えず首からぶら下げている。老人をいじめる意図は池内氏にはないだろう。池内氏もメガネをかけて作業しているはずだ。
見えない、見えにくい、と思いながらも、次第にこの状況に慣れてきて、見えなくてもいいではないか、という気持ちになってくるのが面白い。