73 藤村克裕雑記帳 | 逸品画材をとことん追求するサイト | 画材図鑑
藤村克裕雑記帳
藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

日下正彦「溢したミルク」展 その2
2021-03-15
ちょうど作者の日下氏が近くにやってきたので尋ねれば、原発の格納容器とのことだった。十年前の3月12日に居ても立ってもおられずに作り始めて、格納容器の形状などの情報がその時には手元になかったのでこうなった、と言った。
 ということは、ビニール製のホースは冷却水のためのもの。大きな傷がついて口を開けているのも頷ける。日下氏は、あの原発事故と正面から取り組んでいるわけである。原発はヤバいぞ、と今や誰もが気づいているのだが、こうして正面から作品で取り組もうとするのは稀有なことではないだろうか。そして、こうした大きすぎるほどの問題を身近な愛犬ポチの姿から手繰っていこうとする氏の方法は独特で説得力に富む。さらに氏は、問題は原発のことだけに止まらないでしょ? と提起したいのだ。それは案内ハガキのステートメントからも伺える。
 格納容器の形状などの情報がないまま想像で作り始めたというのは、それが得体の知れない不気味な表情を得ていることにつながって、作品が説明に終わらぬ深みを与えている。観客の視線を上へ下へと誘導し、その度に微細な表情から極大の青空まで、スケール感を移動させながら、小細工を廃して率直に語ろうとすることに感銘を受けた。
 ギャラリーでの展示もまた、愛犬ポチの様々な姿が展開されており、どの作品も十分な密度を備えていて見飽きる、ということがない。ドローイングもとてもいい。
 氏は最初期から一貫して、まず金網で形状を形作り、そこに手製の紙粘土を埋め込んで表面を成して、さらに手を加え彩色する、という方法で制作しており、もちろん工程は単純ではなく行きつ戻りつし、紙粘土以外の素材も導入される。が、表面を形作りそこに彩色する、ということからすると、彫刻というより、絵画の変奏のようにも見える。もちろん、かつては丸彫りの彫刻にも彩色されていたし、洞窟面の凸凹に絵が描かれていた。粘土で作られた塑像が石膏に置き換えられ、さらにブロンズに置き換えられた時、内部は空洞化し、表面だけになる。だから何も、日下氏の作り方が特別だ、というわけではないが、誰もが手軽に入手できる材料で、誰もが手軽に作れる方法で制作を継続してきていることにも、日下氏の姿勢の独特さが現れている、それが言いたい。
 愛犬ポチへ向ける氏の眼差しと、例えば、昨年久しぶりに見ることができた神田日勝の農耕馬や牛へ向けた眼差しとの共通点と違いについてぼんやりと考えながら帰宅した。
                         (2021年3月14日、東京にて)
 
日下正彦「溢したミルク」展 その1
2021-03-15
 春の嵐が過ぎて、雲ひとつない真っ青な空の日だった。
 ずっと、いつになく忙しくしていたので、展覧会見物もご無沙汰していた。江古田の「ギャラリー水・土・木(みず・と・き)」で表記の展覧会が最終日だったので、やっと時間もできたし、出かけることにした。滑り込みセーフ。
 私よりずっと若い日下正彦氏とは、旧知の間柄。東京で発表されてきた彼の作品は比較的見続けてきた方だと思う。最初期には牛とかの形状を実物大でカラフルに作っていたが、近頃は、ずっと、一貫して犬を作っている。犬、と言っても、キャラクター化、というか、一般化させた記号のような犬ではなく、愛犬のポチ。つまり、極めて具体的な犬で、品種とか血統とか、取り立てて述べることもなさそうな、普通の雑種の犬のように私には見える犬である。が、日下氏には特別な犬、極めて具体的な犬なのである。だからだろうか、氏の作品は、生々しくて、時に怖い印象さえ生じさせてくる。言い換えれば、いつも、とてもよく作り込んである迫力のようなものが伴うのだ。

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