立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
友人のムシの居所
2019-05-24
久しぶりに会った古くからの友人が、言うのだった。
このあいだ大阪でボルタンスキーの展覧会を見てきた。出張の限られた時間をやりくりして時間を作ってわざわざ行ったのに、実につまらなかった。あんなことなら、無理せずそのまま新幹線で帰って来ればよかった。
国立国際だっけ? と私。
そう。お前もいつか「画材図鑑」で、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時に書いてたけど、近頃、学芸員が余計なことをしすぎるんじゃないか? 雰囲気作りが過剰っていうか、作品の読み取り方を誘導しすぎる、っていうか。
そんなにひどかった?
ああ、そう思った。越後妻有のボルタンスキーはとてもよかったのに。
わかりやすそうなウケ狙いの展示のやり方を大学の学芸員課程とかで教えてるのかもなあ。だから、近美の高松(次郎)さんの時やマッタ=クラークの時みたいに押し付けがましくなるのかも。
お前にも責任があるぞ。
なんで?
大学で教えてただろ。
俺のいた部署では展示のことは教えてなかったよ。
いや、絶対に責任がある。
ないよ。
ごまかすなよ。
もう少しやり取りは続いたが、友人はムシの居所が悪かったのだろう。
大阪・国立国際美術館のボルタンスキー展の展示構成のどこに私の責任があるのか? あるわけがない。
で、帰宅してから、国立国際美術館の「ボルタンスキー展」について調べてみると、大阪での展示構成はボルタンスキー自身が来日しておこなった、とあった。つまり、どんなに少なく見積もっても、微調整など最終チェックはボルタンスキー自身によってなされ、オッケーが出された、ということであろう。
また、この展覧会は大阪・国立国際美術館だけでなく、6月から東京・国立新美術館、10月から長崎県美術館でそれぞれ開催される、との情報も得ることができた。その情報では、ボルタンスキーは、東京会場でも自ら展示構成に関わるようである。なぜなら、告知では、東京展初日の6月12日にボルタンスキー自身による「アーティスト・トーク」が行われるので、この予定から想像すれば、最低でも微調整や最終チェックはボルタンスキー自身が行う、と考えるのが自然だろう。長崎のことは確認できていない。
高松さんやゴードン・マッタ=クラークは亡くなっているので、近美での展覧会の会場構成は明らかに学芸員の手によるものだった。しかし、ボルタンスキーは存命で、自ら展示に関わっているわけだ。で、あれば、友人の感想はまた別の意味を帯びることになる。なるが、深入りしない。
いずれにせよ、東京展をみてから私の責任論のあれこれも考えたい。
余談ながら、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時には、あんまりだ、と思って、私は納税者としての“資格”をもってして担当学芸員宛に抗議の手紙を書いて送った。予想してはいたが、応答は一切なかった。とりわけ、出品されていた映像の総時間と開館時間とを比べると一度訪れるだけでは出品作品を見終わることが全く不可能な構成であること、おまけに、多くの映像作品を見るためにはほとんどが立ったままの状態を強いられ続ける会場作りだったことについては、強く抗議したつもりだ。何らかの応答を期待しているとも記したのだった。そうした抗議が想定内だったからか、入場二回目以降のチケット料金割引などの配慮はなされてはいたものの、それを差し引いてもなお、あの時の展示はひどすぎた。他にも言いたいことが次々に蘇る。また腹が立ってきた。
それはさておき、このごろ意識的に若い人たちの作品に触れようとしている。
10連休前には、「東京インディペンデント2019」を見た。東京芸大陳列館を会場にしたこの展覧会は、そのゴチャゴチャ感が結構面白かった。出品者数634名、作品数は1000点に及んだという。運営を担った方々はさぞ大変だっただろう。来年以降も継続するかどうか。
五反田の「カオスラウンジ・ギャラリー」というところにも行ってみたし、相模原のパープルーム・ギャラリーにも足を運んでみた。普段行かないギャラリーにも出かけるようにしている。これが結構面白い。爺さんには良い刺激になっている。ただし、まだ新参者だ。これらの情報源はインターネット。SNSと呼ばれる情報を“盗み見”すると、今まで全く知らなかった世界が広がっていることを知って、驚かされている。
また、関根伸夫氏の訃報には驚いた。時代が変わって行く。
(2019年5月24日、東京にて)
このあいだ大阪でボルタンスキーの展覧会を見てきた。出張の限られた時間をやりくりして時間を作ってわざわざ行ったのに、実につまらなかった。あんなことなら、無理せずそのまま新幹線で帰って来ればよかった。
国立国際だっけ? と私。
そう。お前もいつか「画材図鑑」で、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時に書いてたけど、近頃、学芸員が余計なことをしすぎるんじゃないか? 雰囲気作りが過剰っていうか、作品の読み取り方を誘導しすぎる、っていうか。
そんなにひどかった?
ああ、そう思った。越後妻有のボルタンスキーはとてもよかったのに。
わかりやすそうなウケ狙いの展示のやり方を大学の学芸員課程とかで教えてるのかもなあ。だから、近美の高松(次郎)さんの時やマッタ=クラークの時みたいに押し付けがましくなるのかも。
お前にも責任があるぞ。
なんで?
大学で教えてただろ。
俺のいた部署では展示のことは教えてなかったよ。
いや、絶対に責任がある。
ないよ。
ごまかすなよ。
もう少しやり取りは続いたが、友人はムシの居所が悪かったのだろう。
大阪・国立国際美術館のボルタンスキー展の展示構成のどこに私の責任があるのか? あるわけがない。
で、帰宅してから、国立国際美術館の「ボルタンスキー展」について調べてみると、大阪での展示構成はボルタンスキー自身が来日しておこなった、とあった。つまり、どんなに少なく見積もっても、微調整など最終チェックはボルタンスキー自身によってなされ、オッケーが出された、ということであろう。
また、この展覧会は大阪・国立国際美術館だけでなく、6月から東京・国立新美術館、10月から長崎県美術館でそれぞれ開催される、との情報も得ることができた。その情報では、ボルタンスキーは、東京会場でも自ら展示構成に関わるようである。なぜなら、告知では、東京展初日の6月12日にボルタンスキー自身による「アーティスト・トーク」が行われるので、この予定から想像すれば、最低でも微調整や最終チェックはボルタンスキー自身が行う、と考えるのが自然だろう。長崎のことは確認できていない。
高松さんやゴードン・マッタ=クラークは亡くなっているので、近美での展覧会の会場構成は明らかに学芸員の手によるものだった。しかし、ボルタンスキーは存命で、自ら展示に関わっているわけだ。で、あれば、友人の感想はまた別の意味を帯びることになる。なるが、深入りしない。
いずれにせよ、東京展をみてから私の責任論のあれこれも考えたい。
余談ながら、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時には、あんまりだ、と思って、私は納税者としての“資格”をもってして担当学芸員宛に抗議の手紙を書いて送った。予想してはいたが、応答は一切なかった。とりわけ、出品されていた映像の総時間と開館時間とを比べると一度訪れるだけでは出品作品を見終わることが全く不可能な構成であること、おまけに、多くの映像作品を見るためにはほとんどが立ったままの状態を強いられ続ける会場作りだったことについては、強く抗議したつもりだ。何らかの応答を期待しているとも記したのだった。そうした抗議が想定内だったからか、入場二回目以降のチケット料金割引などの配慮はなされてはいたものの、それを差し引いてもなお、あの時の展示はひどすぎた。他にも言いたいことが次々に蘇る。また腹が立ってきた。
それはさておき、このごろ意識的に若い人たちの作品に触れようとしている。
10連休前には、「東京インディペンデント2019」を見た。東京芸大陳列館を会場にしたこの展覧会は、そのゴチャゴチャ感が結構面白かった。出品者数634名、作品数は1000点に及んだという。運営を担った方々はさぞ大変だっただろう。来年以降も継続するかどうか。
五反田の「カオスラウンジ・ギャラリー」というところにも行ってみたし、相模原のパープルーム・ギャラリーにも足を運んでみた。普段行かないギャラリーにも出かけるようにしている。これが結構面白い。爺さんには良い刺激になっている。ただし、まだ新参者だ。これらの情報源はインターネット。SNSと呼ばれる情報を“盗み見”すると、今まで全く知らなかった世界が広がっていることを知って、驚かされている。
また、関根伸夫氏の訃報には驚いた。時代が変わって行く。
(2019年5月24日、東京にて)
「このどうしようもない世界を笑いとばせ 福沢一郎展」
2019-05-17
太い筆で乗せたほぼ一分節の筆触の重なりや連なり。これが画面に作り出している心地よいリズム。手際も良すぎるくらいで無駄がほとんどない。ちょっと驚かされる。この“画風”が検挙されるまで安定的に続く(検挙後も時々顔を覗かせるが、深入りしない)。
それが一変するのは検挙後に描かれた海の絵。絵の作り方を根本的に変化させている。そうでもしなければ“擬態”できなかったのかも。油絵のオーソドックスな技法=重層の技法で描かれた海の絵は、最上層のビリジアンの透層の効果を最大限に引き出している。大変な力量である。これら海の絵は、一種の「戦争画」と言えるのだろうが、「戦争」を真正面から描くことを避けて“擬態”している。福沢一郎は、こういう対応ができる人だったわけだ。というか、こういう対応でもしなければ、描き続けられなかった=生き続けられなかったのかもしれない。
戦後の絵も、え? こんなに良かったか? というくらい見応えがあった。1930年代のピカソの絵からの影響がそこかしこに見出せる時期もあるが、その時期でさえこなれている。というか、巧みに自分のスタイルにしている。驚くほど器用だ。
アクリル絵の具を使うようになって、色彩に鮮やかさが増す。ダンテ『神曲』や源信『往生要集』などを手掛かりに描いているが、ある種、使命感のようなものを抱き続けていた人のように見えた。
もう一度じっくり見たいが、会期終了間近。果たせるかどうか。
(2019年5月17日 東京)
会期:2019/3/12~5/26
開催時間:10時~17時(金・土は20時まで)
会場:東京都国立近代美術館
公式HP:https://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/
それが一変するのは検挙後に描かれた海の絵。絵の作り方を根本的に変化させている。そうでもしなければ“擬態”できなかったのかも。油絵のオーソドックスな技法=重層の技法で描かれた海の絵は、最上層のビリジアンの透層の効果を最大限に引き出している。大変な力量である。これら海の絵は、一種の「戦争画」と言えるのだろうが、「戦争」を真正面から描くことを避けて“擬態”している。福沢一郎は、こういう対応ができる人だったわけだ。というか、こういう対応でもしなければ、描き続けられなかった=生き続けられなかったのかもしれない。
戦後の絵も、え? こんなに良かったか? というくらい見応えがあった。1930年代のピカソの絵からの影響がそこかしこに見出せる時期もあるが、その時期でさえこなれている。というか、巧みに自分のスタイルにしている。驚くほど器用だ。
アクリル絵の具を使うようになって、色彩に鮮やかさが増す。ダンテ『神曲』や源信『往生要集』などを手掛かりに描いているが、ある種、使命感のようなものを抱き続けていた人のように見えた。
もう一度じっくり見たいが、会期終了間近。果たせるかどうか。
(2019年5月17日 東京)
会期:2019/3/12~5/26
開催時間:10時~17時(金・土は20時まで)
会場:東京都国立近代美術館
公式HP:https://www.momat.go.jp/am/exhibition/fukuzawa/
このどうしようもない世界を笑いとばせ 福沢一郎展」その1
2019-05-17
東京・竹橋の国立近代美術館で福沢一郎の作品群をまとめて見た。
正直、ほとんど期待していなかったが、これが面白かった。
入場後、最初に目に飛び込んできた正面の絵が、即座に前田寛治を連想させた。まず、色彩において。同時におおらかな形状把握において。
とてもいい。
近頃、こういう絵にはほとんどお目にかかれなくなった。もちろん、自分でも到底描けそうにない。
色彩は、明るいベージュからほぼ黒までの茶系の一群に独特な緑(オリーブ色?)が関係して、これは言ってみれば補色どうしなんだけど、その取り合わせがとってもきれいで、お、これはあなどれない、といきなり“用心”させられたくらい。
そして驚かされたのは、形状把握だ。細部にこだわらず、しかし細部のニュアンスをしっかり含んで、たっぷりとおおらかである。このたっぷりさがとても懐かしい。マッスという今や死語に近い造形言語が、ここには確かに息づいている。マッス、と言えば、「塊(かたまり)」の感じのことだけど、福沢の場合、必要以上にゴロンとした重苦しいマッスではなく、伸びやかで気持ちがいい。なので、エルンストに似た、とか言われる最初期の絵柄(確かにそうなのだが)がどうであれ、描かれているものの意味やものどうしの関係の意味や無意味、シュルレアリスムのことなどをほとんど考える必要もなく、ただ楽しんでいる自分を見出していたのである。
つづく→
正直、ほとんど期待していなかったが、これが面白かった。
入場後、最初に目に飛び込んできた正面の絵が、即座に前田寛治を連想させた。まず、色彩において。同時におおらかな形状把握において。
とてもいい。
近頃、こういう絵にはほとんどお目にかかれなくなった。もちろん、自分でも到底描けそうにない。
色彩は、明るいベージュからほぼ黒までの茶系の一群に独特な緑(オリーブ色?)が関係して、これは言ってみれば補色どうしなんだけど、その取り合わせがとってもきれいで、お、これはあなどれない、といきなり“用心”させられたくらい。
そして驚かされたのは、形状把握だ。細部にこだわらず、しかし細部のニュアンスをしっかり含んで、たっぷりとおおらかである。このたっぷりさがとても懐かしい。マッスという今や死語に近い造形言語が、ここには確かに息づいている。マッス、と言えば、「塊(かたまり)」の感じのことだけど、福沢の場合、必要以上にゴロンとした重苦しいマッスではなく、伸びやかで気持ちがいい。なので、エルンストに似た、とか言われる最初期の絵柄(確かにそうなのだが)がどうであれ、描かれているものの意味やものどうしの関係の意味や無意味、シュルレアリスムのことなどをほとんど考える必要もなく、ただ楽しんでいる自分を見出していたのである。
つづく→