立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
アンジェイ・ワイダ『残像』(2016年)をみた その2
2017-07-12
それだけではない。私が訪れたウッジのあの美術館は世界で二番目の「現代美術館」で、その設立のためにストゥシェミンスキー達が尽力したこと、ストゥシェミンスキーは第一次世界大戦で片脚と片手を失って、松葉杖を離せなかったこと、彫刻家のカタジーナ・コプロという人が妻だったこと、娘がいたこと、スターリニズムの嵐の中で決して節を曲げなかったこと、などなど、この映画をみるまで全く知らなかったのだ。うかつなことである。ウッジに美大が設立されるに当っても、ストゥシェミンスキーが大きな役割を果たしたという。このことは映画のあとに購入したパンフレットで知った。
“史実”を説明するのは映画の役割ではない。なのに、映画からこうしてストゥシェミンスキーのことを知ることになった。ありがたいことである。ストゥシェミンスキーのアトリエや美術館の場面では、置かれている作品や家具も、かなり「らしく」再現されていたし、コプロは一度も登場しないのに、その作品も巧みに挿入されていた。ストゥシェミンスキーの語る造形論なども、著書などから引用しているのか、空回りしていない。さすが、である。
冒頭、ストゥシェミンスキーは左利きか、と思った。野原で風景を描く二人の男女のシルエットが遠くから捉えられる。それが映画の始まりだ。男の方が左手に筆を持って描いている。あれが主人公のストゥシェミンスキー? と思ったのだ。
すぐに早とちりだと分かった。あれはストゥシェミンスキーの学生たち。野外での授業中なのだ。やがて分かることだが、ストゥシェミンスキーには左手がない。左利きのはずがない。あ、左利きだったかもしれないが、すべて右手でやらねばならない。
右脚もない。だからかどうか、野原の上の方から転がって下におりてくる。上で描いていた学生達もころころ転がって下りてくる。スカートの女子学生などパンツが丸見えになっても転がってくる。実に楽しそうだ。客席からも笑いが生じる。でも、笑いはここだけ。
スターリニズムがポーランドを席巻し始めていく様子が巧みに描かれる。野外での授業の次の場面はシンプルに時代の状況とそれに抗するストゥシェミンスキーの対比を見事に象徴的に示して、観客は一気に映画に引き込まれていく。
職を失い、資格を失い、収入を断たれ、絵具にも食べるものにもこと欠き、病気になっていくストゥシェミンスキー。まだ小さな娘、彼女との微妙な関係。画面に登場しないまま死んでいく別れた妻、ストゥシェミンスキーを慕う若者達。体制に逆らわず本音を隠して穏便にやり過ごす人々、…。
「重い」映画だ。
冒頭の授業で残像のことが語られる。残像は補色だ、と。人は認識したものだけを見る、とも。この映画全体の残像をワイダは問うているのだろうか。すでに細部を忘れてしまっていることに気付かされて、なさけない。
2017年6月15日 東京にて
“史実”を説明するのは映画の役割ではない。なのに、映画からこうしてストゥシェミンスキーのことを知ることになった。ありがたいことである。ストゥシェミンスキーのアトリエや美術館の場面では、置かれている作品や家具も、かなり「らしく」再現されていたし、コプロは一度も登場しないのに、その作品も巧みに挿入されていた。ストゥシェミンスキーの語る造形論なども、著書などから引用しているのか、空回りしていない。さすが、である。
冒頭、ストゥシェミンスキーは左利きか、と思った。野原で風景を描く二人の男女のシルエットが遠くから捉えられる。それが映画の始まりだ。男の方が左手に筆を持って描いている。あれが主人公のストゥシェミンスキー? と思ったのだ。
すぐに早とちりだと分かった。あれはストゥシェミンスキーの学生たち。野外での授業中なのだ。やがて分かることだが、ストゥシェミンスキーには左手がない。左利きのはずがない。あ、左利きだったかもしれないが、すべて右手でやらねばならない。
右脚もない。だからかどうか、野原の上の方から転がって下におりてくる。上で描いていた学生達もころころ転がって下りてくる。スカートの女子学生などパンツが丸見えになっても転がってくる。実に楽しそうだ。客席からも笑いが生じる。でも、笑いはここだけ。
スターリニズムがポーランドを席巻し始めていく様子が巧みに描かれる。野外での授業の次の場面はシンプルに時代の状況とそれに抗するストゥシェミンスキーの対比を見事に象徴的に示して、観客は一気に映画に引き込まれていく。
職を失い、資格を失い、収入を断たれ、絵具にも食べるものにもこと欠き、病気になっていくストゥシェミンスキー。まだ小さな娘、彼女との微妙な関係。画面に登場しないまま死んでいく別れた妻、ストゥシェミンスキーを慕う若者達。体制に逆らわず本音を隠して穏便にやり過ごす人々、…。
「重い」映画だ。
冒頭の授業で残像のことが語られる。残像は補色だ、と。人は認識したものだけを見る、とも。この映画全体の残像をワイダは問うているのだろうか。すでに細部を忘れてしまっていることに気付かされて、なさけない。
2017年6月15日 東京にて
アンジェイ・ワイダ『残像』(2016年)をみた その1
2017-07-12
梅雨のさなかのある日の午後、岩波ホールでアンジェイ・ワイダの遺作、『残像』をみた。画家ストゥシェミンスキーを主人公にしている、と新聞で知ったからだ。
ストゥシェミンスキーのことは、学生時代にたしか中原祐介の文で読んで関心を持った。その後、10日間ほど滞在する機会があったポーランドのウッジで、ふと思い立って美術館を訪れて、そこでストゥシェミンスキーの実物を数点みることができた。なぜこんなところに、と驚いた。それはいわゆる抽象絵画で、他に類例のないものだった。たとえばある作品は、パステルトーンの単色で画面が覆われており、たくさんの丸っこい小さな形のその輪郭が実にていねいに盛り上げてあった(ような気がする)。カッコつきなのは、詳しい記憶はもう失われている、ということだ。その美術館には、あのタディウシュ・カントールの初期作品なども展示されていたが、これもおぼろげな記憶しか残っておらず、ある“感触”だけが残っているばかり。あのアバカノヴィッチの作品があったかどうかなど、まったく覚えていない。なさけない。まだ、“自由化”される前のポーランド。ワレサ率いる「連帯」のニュースが度々報じられていた頃のことだから、ま、しょうがないかも。1987年の6月。
そのウッジでのある日、誰かのオンボロ車でウッジ郊外の森に遊びに行った記憶がある。帰路、いま見えているのは映画大学、アンジェイ・ワイダが教えている、おまえはワイダを知っているか? 同乗の誰かがそう言った。ワイダはもちろん知っていたが、ウッジの映画大学で教えていることは知らなかった。しばしワイダを話題に盛り上がった(ワイダのワダイ)。
別の日、若い美術家のカップルの住いに招かれて、実に質素な彼らの暮らしぶりを目の当りにしたことも思い出す。彼らは貧しそうでも屈託がなく、実に明るかった。狭すぎる部屋のあちこちから手品のように次々に作品を取り出して見せてくれて、浮世絵の話を聞きたがった。お互いにたどたどしい英語。でも気持ちだけは確かに通じ合っていた。帰り際に、こんなものしか記念にあげるものがない、と言いながら、蓋つきの小さなガラス瓶をお土産にくれた。それはいまも私の仕事場の棚に飾ってある。あのふたりはどうしているだろう。彼らが、ストゥシェミンスキーが教えていたウッジの美術大学で学んだかどうか、知らない。ウッジに美大があることも、そこでストウシェミンスキーが教えていたことも、今度この映画『残像』をみて初めて知ったのである。
ストゥシェミンスキーのことは、学生時代にたしか中原祐介の文で読んで関心を持った。その後、10日間ほど滞在する機会があったポーランドのウッジで、ふと思い立って美術館を訪れて、そこでストゥシェミンスキーの実物を数点みることができた。なぜこんなところに、と驚いた。それはいわゆる抽象絵画で、他に類例のないものだった。たとえばある作品は、パステルトーンの単色で画面が覆われており、たくさんの丸っこい小さな形のその輪郭が実にていねいに盛り上げてあった(ような気がする)。カッコつきなのは、詳しい記憶はもう失われている、ということだ。その美術館には、あのタディウシュ・カントールの初期作品なども展示されていたが、これもおぼろげな記憶しか残っておらず、ある“感触”だけが残っているばかり。あのアバカノヴィッチの作品があったかどうかなど、まったく覚えていない。なさけない。まだ、“自由化”される前のポーランド。ワレサ率いる「連帯」のニュースが度々報じられていた頃のことだから、ま、しょうがないかも。1987年の6月。
そのウッジでのある日、誰かのオンボロ車でウッジ郊外の森に遊びに行った記憶がある。帰路、いま見えているのは映画大学、アンジェイ・ワイダが教えている、おまえはワイダを知っているか? 同乗の誰かがそう言った。ワイダはもちろん知っていたが、ウッジの映画大学で教えていることは知らなかった。しばしワイダを話題に盛り上がった(ワイダのワダイ)。
別の日、若い美術家のカップルの住いに招かれて、実に質素な彼らの暮らしぶりを目の当りにしたことも思い出す。彼らは貧しそうでも屈託がなく、実に明るかった。狭すぎる部屋のあちこちから手品のように次々に作品を取り出して見せてくれて、浮世絵の話を聞きたがった。お互いにたどたどしい英語。でも気持ちだけは確かに通じ合っていた。帰り際に、こんなものしか記念にあげるものがない、と言いながら、蓋つきの小さなガラス瓶をお土産にくれた。それはいまも私の仕事場の棚に飾ってある。あのふたりはどうしているだろう。彼らが、ストゥシェミンスキーが教えていたウッジの美術大学で学んだかどうか、知らない。ウッジに美大があることも、そこでストウシェミンスキーが教えていたことも、今度この映画『残像』をみて初めて知ったのである。
「丹下健三ってすごい、と思った日」その2
2017-07-07
「東京カテドラル」を含めて丹下健三の建築の情報を知らなかったわけではない。でも、たまたま、こうして何の準備もなしに実物のひとつに身をさらしてみると、なるほど、すごい。
信仰とかとはまるで無縁なバチ当り者の私にさえ、この建築物が超越的な何かに向けて、荘重に、そして奇跡のように捧げられているように感じさせる。しばし息をのんだ。
やがて、いったいどうやって作ったんだろう、と思った。作り方を考えるとなんだか気が遠くなってくる。
壁=屋根は互いに支え合っていっそう安定するということもあろうが、基本的にはそれぞれ自立できる程の強さをそなえているにちがいない。でないと、こわすぎる。とすれば、この壁=屋根のために地中にはどんな基礎が作られているのだろうか。
そして型枠はどんなふうに作っていったのだろうか。壁には木目がそのまま残っているから、板を集積して作られた型枠だ。現場ですべて作っていった? 足場は? …などなど。
たいへんな難題なのに、それらをひとつひとつ解決して、計画通りに実現してしまうのだから、すごい。
すこし残念だと思ったのは、中央近くにぶら下がって光っている大きな照明具。これがあるから、内部空間に現況の薄暗さが保たれているようだ。照明具なしなら、もっともっと暗くなるのだろう。しかし、照明具からの光は、眼に刺さってくるような刺激を生じていて、せっかくの空間の荘重さにとってノイズを生じさせているのではないか。
あの照明具がないと、暗すぎて危ない? 夜ここを使えない?
ならば、空中の十字架=窓部に照明具を仕込んでおくとかすればいいのに。それだとメンテナンスが大変? ならいっそのこと、ローソクのような光ではだめか。
そもそも、暗くて何がいけないのか。
ま、余計なお世話ですけど。
たまたまなのかどうか、マイクのデモンストレーションのようなことが始まった。若い男性がワイヤレスマイクを使って中央で喋ったり、奥の方で喋ったり、歩きながら喋ったりしている。マイクなんだから、男性がどこで喋ろうが、問題はスピーカーの位置の方だろう。でも、「双曲放物面」の壁の形状が、特有の残響を生じさせていることは分かった。
男性は肉声ででもボリュームを上げて喋ってくれた。肉声でもかなりよく通る。ということは、パイプオルガンが鳴り響いたりすると、これはとてもすごいだろう。音のこうした効果も読み切られていたのだろう。
また、外側のギラリの正体はステンレス。「ピカリ!」ではなく、「ギラリ!」となるように表面処理されていて、そこにもまた丹下健三の「思想」のようなものが垣間見える。
丹下健三のように有名すぎる人やものには、私など、つい偏見やひがみが生じるのか、無関心を装いがちになる。でも、こうして身をもって体験すると、ひがんでもしょうがないのだった。すごいものはすごい。…なるほど。
思いがけないひとときだった。
2017年5月30日 東京にて
信仰とかとはまるで無縁なバチ当り者の私にさえ、この建築物が超越的な何かに向けて、荘重に、そして奇跡のように捧げられているように感じさせる。しばし息をのんだ。
やがて、いったいどうやって作ったんだろう、と思った。作り方を考えるとなんだか気が遠くなってくる。
壁=屋根は互いに支え合っていっそう安定するということもあろうが、基本的にはそれぞれ自立できる程の強さをそなえているにちがいない。でないと、こわすぎる。とすれば、この壁=屋根のために地中にはどんな基礎が作られているのだろうか。
そして型枠はどんなふうに作っていったのだろうか。壁には木目がそのまま残っているから、板を集積して作られた型枠だ。現場ですべて作っていった? 足場は? …などなど。
たいへんな難題なのに、それらをひとつひとつ解決して、計画通りに実現してしまうのだから、すごい。
すこし残念だと思ったのは、中央近くにぶら下がって光っている大きな照明具。これがあるから、内部空間に現況の薄暗さが保たれているようだ。照明具なしなら、もっともっと暗くなるのだろう。しかし、照明具からの光は、眼に刺さってくるような刺激を生じていて、せっかくの空間の荘重さにとってノイズを生じさせているのではないか。
あの照明具がないと、暗すぎて危ない? 夜ここを使えない?
ならば、空中の十字架=窓部に照明具を仕込んでおくとかすればいいのに。それだとメンテナンスが大変? ならいっそのこと、ローソクのような光ではだめか。
そもそも、暗くて何がいけないのか。
ま、余計なお世話ですけど。
たまたまなのかどうか、マイクのデモンストレーションのようなことが始まった。若い男性がワイヤレスマイクを使って中央で喋ったり、奥の方で喋ったり、歩きながら喋ったりしている。マイクなんだから、男性がどこで喋ろうが、問題はスピーカーの位置の方だろう。でも、「双曲放物面」の壁の形状が、特有の残響を生じさせていることは分かった。
男性は肉声ででもボリュームを上げて喋ってくれた。肉声でもかなりよく通る。ということは、パイプオルガンが鳴り響いたりすると、これはとてもすごいだろう。音のこうした効果も読み切られていたのだろう。
また、外側のギラリの正体はステンレス。「ピカリ!」ではなく、「ギラリ!」となるように表面処理されていて、そこにもまた丹下健三の「思想」のようなものが垣間見える。
丹下健三のように有名すぎる人やものには、私など、つい偏見やひがみが生じるのか、無関心を装いがちになる。でも、こうして身をもって体験すると、ひがんでもしょうがないのだった。すごいものはすごい。…なるほど。
思いがけないひとときだった。
2017年5月30日 東京にて
「丹下健三ってすごい、と思った日」その1
2017-07-07
5月30日午後、都バスに乗って、東京・目白通り沿いの講談社野間記念館に行った。「竹内栖鳳と京都画壇」展。
そしたら、なんと、しっかり門が閉まっていた。
あれっ? まだ始まってない? (そういえばこの前、まだ開催前の「雪村」展に行ってしまった)、門の脇のポスターをみてみると、5月27日から、とあって、既に始まっているはず。
さらにポスターに目を凝らすと、月曜火曜は休館日、とあった。
あ、今日は火曜日。またやっちまった。この前、火曜日に「ミュシャ」展に行ったら休館日だった。
しょうがない、帰るか、と、椿山荘の方に向けて歩く。
と、左側に、真っ青な空を背景にギラリと光る異形の建造物。丹下健三設計の「東京カテドラル」である。行ってみるか、と思い立った。ヒマになったし。
通りを渡って、門を入り、見学させていただけますか? と尋ねると、どうぞ、と快く応じてもらえた。
金属板で覆われた大きな壁、というか、屋根というか、ともかく「ギラリ」を右にして歩き入り口に至る。
中に入ってびっくりした。外の明るさとは対照的な薄暗い大空間。コンクリート打ちっぱなしの大きな壁がねじれながら周囲に高く高く伸びて、頭の上、空中に隙間=窓ができている。
正面には広い壇、大きな十字架。その背後に最上部まで届く縦長のステンドグラスらしき窓。この窓は、午前中に光り輝くに違いない。
背後に大きなパイプオルガン。
遠慮がちに内部を移動していくと、壁が姿を次々に変化させ、頭の上の隙間=窓は十字架の形状になっていることが分かる。光の十字架。
なんだか、ロマネスクとゴシックとモダンが合体したような印象だ。内部への光を制限してこうして象徴的に用い、その結果、もたらされる暗さ。これはロマネスク。仰ぎ見るほどの「高さ」の実現ということにおいてゴシック。コンクリートや金属、ガラスといった素材での「曲芸」においてモダン。それぞれの様式の魅力が巧みに引き出されている。しかもこんなにシンプルに。
つづく→
そしたら、なんと、しっかり門が閉まっていた。
あれっ? まだ始まってない? (そういえばこの前、まだ開催前の「雪村」展に行ってしまった)、門の脇のポスターをみてみると、5月27日から、とあって、既に始まっているはず。
さらにポスターに目を凝らすと、月曜火曜は休館日、とあった。
あ、今日は火曜日。またやっちまった。この前、火曜日に「ミュシャ」展に行ったら休館日だった。
しょうがない、帰るか、と、椿山荘の方に向けて歩く。
と、左側に、真っ青な空を背景にギラリと光る異形の建造物。丹下健三設計の「東京カテドラル」である。行ってみるか、と思い立った。ヒマになったし。
通りを渡って、門を入り、見学させていただけますか? と尋ねると、どうぞ、と快く応じてもらえた。
金属板で覆われた大きな壁、というか、屋根というか、ともかく「ギラリ」を右にして歩き入り口に至る。
中に入ってびっくりした。外の明るさとは対照的な薄暗い大空間。コンクリート打ちっぱなしの大きな壁がねじれながら周囲に高く高く伸びて、頭の上、空中に隙間=窓ができている。
正面には広い壇、大きな十字架。その背後に最上部まで届く縦長のステンドグラスらしき窓。この窓は、午前中に光り輝くに違いない。
背後に大きなパイプオルガン。
遠慮がちに内部を移動していくと、壁が姿を次々に変化させ、頭の上の隙間=窓は十字架の形状になっていることが分かる。光の十字架。
なんだか、ロマネスクとゴシックとモダンが合体したような印象だ。内部への光を制限してこうして象徴的に用い、その結果、もたらされる暗さ。これはロマネスク。仰ぎ見るほどの「高さ」の実現ということにおいてゴシック。コンクリートや金属、ガラスといった素材での「曲芸」においてモダン。それぞれの様式の魅力が巧みに引き出されている。しかもこんなにシンプルに。
つづく→