藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ043 2016-01-13

橋本で「スタジオ」巡りをした(1)

11月1日。京王線に乗って、橋本に行って来た。知り合いの若い美術家・大槻英世氏が、橋本一帯で開催中のオープンスタジオを巡るバスツアーとシンポジウムを企画した、と聞いたので、参加させてもらったのである。集合場所は「アートラボはしもと」。駅からてくてく歩くことにした。
駅の向かいに相原高校。ここは昔「橋本高校」といっていたのではなかったか。『サラダ記念日』の俵万智さんが教員をしていたはずだ。それはともかく、相原高校を右手にして線路沿いを道なりに行く。大規模なスーパーマーケットや高層住宅が次々に現れ、橋本の変貌ぶりにびっくりした。やがて、「アートラボ橋本」が唐突に出現、新しい立派な建物で、またびっくりした。
橋本とか相模原のあたりには、多摩美大、東京造形大、女子美大がある。卒業後、住いのための限られた空間で制作活動を続けるのはなかなか難しい。おのずと仕事場がほしくなる。そこで、仕事場を共同運営することを考える。橋本辺りに「スタジオ」が多数散在しているのには、そういうわけがある。比較的大きい空間が安く借りられる条件が残っている。
昔なら「共同アトリエ」と呼んでいたものである。フランス語の「アトリエ」から、英語の「スタジオ」になったわけだ。そこにさえ、ある感慨が生まれてくる。
それら「スタジオ」を秋の一定期間解放していて、それらのうちの7つをバスで巡ってくれる、というのである。「アートラボはしもと」には、すでに中型のバスが控えていた。
さっそく大槻氏が私を見つけて、声をかけてくれた。気の小さい私は、これで、随分気が楽になった。

バスは満杯。補助イスも必要だった。乗り込んで移動しながら、私も「スタジオ」=「共同アトリエ」出身だった、と思い起こしていた。「共同アトリエ」に加えてもらえなかったら、私はどうなっていただろう。
私が参加していたのは、八王子の「アトリエ53」。多摩美OBの大塩博美氏などが昭和53年(1978年)に創設したものだ。それで「アトリエ53」という。ひょんなきっかけで1985年くらいにこの「アトリエ53」と繋がりができ、そのままズルズル入り込ませてもらった。10年以上のあいだ、ここで作品を作り、メンバーから外れてからも別棟の倉庫を使わせてもらってきた。つい4年程前にその荷物を別のところに移動するまで、ずっとお世話になってきたのである。私もまた、生活のための仕事が不安定で、当然のように貧乏だった。当然、「アトリエ53」に加えてもらうまで、制作場所も不安定だった。だから、どんなに助けられただろう。「アトリエ53」はいまも健在だ。

つづく

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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