色の不思議あれこれ003 2013-06-06
冬の光(1)
冬真っ盛りである。
毎日光がきれいだなあ、と思っていたら、裏日本・北日本ではひどいことになっていた。こうした想像力が欠けているのは、ちょっとまずい、と思う。
以前、友人に会いに冬の福井市を訪れた時、降り始めた雪が、みるみるうちに積もって4~50センチになり、それでもまだ、どんどん降ってくるので、あせって、逃げるようにして東京まで帰ってきたことがある。皮靴の中がもちろんびしょびしょになったが、バスや列車が止まるわけでもなく、人々はふつうにたんたんとしていた。雪国の凄味を知った。
私は北海道の帯広で生まれて育ったので、雪とはなじみがありそうに思われがちだが、そうでもない。雪は日高山脈で遮られるので、帯広にはあまり降らない。降ったとしても、いわゆるパウダースノーだ。風が吹けば、飛んで行ってしまう。雪よりも氷が問題なのだ。 あの福井でのように湿った重たい雪が帯広に降るのは春が近づいてきた証拠だ。
東京にやってきて、はじめて雪が降った次の日のことはよく覚えている。なぜかというと、木の枝に積もったままの雪の姿が、熊谷守一の絵とおんなじで、びっくりしたからだ。それは、湿って重たい雪が作る形だった。その時、内地にやってきたんだ、と思った。
じゃあ、寒さには強いよね、と言ってくる人がいる。とんでもない。北海道の人は、家の中にいてTシャツで冷えたビールを飲んでいる。外では完全装備だし、ヒーターを効かせた車を使う。冬は暖かいのである。だから、寒さには弱い。
あれっ? 何の話をしようとしていたのだったか。
そう、冬の光はきれいだ、という話だ。でも、雪が降ったり吹雪いたり曇ったりの裏日本や北日本の冬もある、という話から横道にそれた。ごめんなさい。東京のような表日本で晴れ渡った日が続くのは、列島の背骨を走る山で雪が落ちてしまうからだ、と言いたかったのだ。雪を落とした冷たい風が吹き抜けるので、空気中の汚れも海の上に持って行ってくれる。それで晴れ渡る、中学生でも知っている理屈である。
もうひとつ、太陽の高さにも関係がありそうである。冬は太陽が低い軌道を通る。陰影のでき方が際立っているように感じるのは私だけだろうか?
立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
藤村克裕 プロフィール
1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
内外の賞を数々受賞。
元京都芸術大学教授。
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