藤村克裕雑記帳

色の不思議あれこれ179 2020-06-15

神田日勝とペインティング・ナイフ その2

 1956年の『自画像』では、筆も使われているが、ペインティング・ナイフも使われている。画面向かって左側の肩から腕にかけて、輪郭に沿った方向にナイフの先端を使ってなされた絵具の“盛り上げ”が見て取れる。顔部や首部にもナイフを使っているが、注目すべきは向かって右側の肩である。輪郭にナイフのヘリを当てがい、シャツの色を押し当て、直角方向に絵の具を引きずる、これを何度か繰り返して、肩のキワの位置を上方に移動している。繊細な色味の中での、しかし決然とした行為だと言えるだろう。ナイフのエッジが作り出すシャープさとナイフゆえの絵の具の塗りの厚みが、顎と首とシャツとに囲まれる背景の色の面積と形状の表れのあり方の問題へ回答を与えようとしている。ここには、日勝の“構成的な意思”が、素朴にではあるが見受けられる。顔や首ではどっしりとした大きな“構造”を捉えようとしており、かといって細部をおろそかにしていない。光の当たり具合も感じている。耳の描出や襟の首への回り込みなどがやや惜しいが、観察がしっかり定着されていて初々しいいい絵になっている。最初期にこうしてすでに、ペインティング・ナイフの効果があれこれ試されている。
 ペインティング・ナイフを用いた日勝のワザは、短期間にどんどん進化して、アクロバチックと言って良いほど巧みになる。

 例えば、1964年の『飯場の風景』(でもどの作品でもいいのだが)を見ると、男のシャツの襟元では、ある程度描き込まれた段階で、ナイフの先端に絵の具を付けて描こうとする形状の輪郭に点状に並べていき、その点ひとつひとつに今度はナイフの先端を突き立てるように触れてから、輪郭線の直角方向に“しごく”ようにして絵具の点を引きずり線にしてそれを繰り返して並べていく、というワザさえ見出すことができる。結果、いわば「片ぼかし」に近い“図像”が現出している。また、男の背後の板やトタン板などでは、今度はペインティング・ナイフのヘリを使って、形状のキワに絵の具を置いてそのまま引きずり、別の絵の具と混色するにまかせていく。結果、微妙な色相変化がもたらされ、ナイフの動きの身体性と微妙な混色具合とが同居したある効果が生まれていて、それが風雨にさらされて痛み抜いた板材という質の効果を得ている。
 煙突、日干しの魚、魚を干すための紐などでも同様の指摘ができるだろう。
 この絵『飯場の風景』では、ベニヤ板の継ぎ目にわずかな溝が生じてしまっているが、その実際の溝が、描かれた板壁の板どうしの継ぎ目の表現と同じに見えるような「トロンプルイユ」的な効果も生じている。
 顔部(頭部)はどの絵でもナイフの使い方は臨機応変、複雑だが、注目すべきは、光の方向性が明らかではなく、やや観念的だ、ということだ。顔部の輪郭に暗さの階調が集中していくような特徴が見受けられる。
 また、1968年の『室内風景』を含む画室のシリーズでは、ナイフの腹を巧みに使って、一定の厚みをキープしながら、しかも形状のキワ=エッジをシャープに保っている、という離れ業を用いている。マスキング・テープなどを用いている形跡はないし、不定形の形状までもきちんと塗り込んでいるので、細部を見れば見るほど驚嘆させられる。また、ベニヤの色をそのまま残しているところも見受けられ、このシリーズは日勝によるペインティン・ナイフのワザの極致と言ってもいいかもしれない。
 であるから、左官ゴテを改良して使ったという『晴れた日の風景』『人と牛』『人間』『作品』の各シリーズなどは、日勝にとってはなんということもないワザだっただろう。だからこそ、1970年の『室内風景』の大部分が筆で描かれたことの意味は問われなければならない、と思うのだった。
(2020年6月15日、ムッチャ暑くなりそうな東京にて)

画像:上「自画像」1956年頃
   下「飯場の風景」1964年

●神田日勝展 開催中
会期:6月2日(火) - 6月28日(日)
※入館チケットはローソンチケット(Lコード30066)販売のみ。
受付では購入できません。

会場:東京ステーションギャラリー
公式HP:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202004_kandanissho.html


 

藤村克裕

立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。

藤村克裕 プロフィール

1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。

内外の賞を数々受賞。

元京都芸術大学教授。

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