画材のトリビア
小杉弘明

小杉弘明氏による画材のトリビアコラムを連載します。

小杉弘明 プロフィール

1954年 大阪出身。

1977年 大阪府立大学 工学部応用化学科卒。

元ホルベイン工業株式会社 技術部長。

現カルチャーセンター講師。

チューブ入り絵具が絵画にもたらしたもの(後編)
2023-07-12
  絵具はそもそも顔料という個体の粉末を接着剤という液体の中に浮かべたようなものと理解することができる。油絵具の場合は乾性油が接着剤だから、だいたい比重は0.9くらい。それに対して、顔料の方は様々だが、コバルトブルーならば3.8程度、カドミウムレッドは色味により硫化カドミウムとセレン化カドミウムの比率が異なるから、3.9~4.5くらいだろうか。有機顔料は基本的に石油などから作られるため比較的軽く、だいたい1.4~1.6くらいだろう。ちなみにハンザイエローで1.6くらいである。何が言いたいかと言えば、比重0.9の液体に軽くても1.5くらいの固体を浮かべて、沈降しないはずがあるだろうか。普通に考えれば、時間と共に顔料は沈降していくはずである。

 例えばチューブを横置きしておくと、上の方にメディウム(接着剤)が浮いていこうとするし、顔料は下の方に沈降しようとする。特に比重の大きい顔料の入っている絵具を長い間放置すると、チューブの口からメディウムだけが出ていくことになる。我々はこれをメディウム分離と言い、ある程度は仕方ないものと思っているが、作家さんからは「なんか絵具が出ずに液体が出てきた。これは不良品か。」と言われることになる。言い訳がましくなるが、絵具屋は昔から絵具のメディウム分離について真剣に取り組んできた。もともと、絵具が作家自身もしくは工房で作られていた時代は前編で述べたとおり、豚の膀胱などに入れて保管するのがせいぜいで、長い期間保存することは難しかった。そのために、絵具のメディウム分離など気にする必要が無かったはずだ。やがて絵具屋が…絵具屋が出現し、チューブが発明された時点で、こうした絵具のメディウム分離問題が発生する事になった。

 現代であれば、メディウムと顔料ができるだけ分離しないようにする方法がいくつかあり、下記のような方法が実際に行われている。

①メディウム(絵具)の粘度を高くする
②絵具をチクソトロピーな粘性にする
③吸油量の高い体質顔料を混合する
④界面活性剤を使って顔料同士を反発させる
⑤機械力を使って高分散させる

*チクソトロピー(揺変性)というのは、力を加えると柔らかくなる性質のこと。絵具のほとんどは、揺変性をもっている。水彩絵具をガラス瓶に入れておいて放置すると、ふたを開けてひっくり返しても流れ出さない。ところがガラス棒でかき混ぜてからひっくり返すとザーッと流れ出す。こういう流体の性質の事をチクソトロピーという。