画材のトリビア9 2024-10-08
絵具の価値を値段で量っていない?②
前回のコラムでは絵具の価格差を生んでいる要因が、①有色顔料の価格、②顔料の吸油量、③体質顔料の種類と量、④絵具の比重であることを述べ、その内の①と②について話を展開した。今回は③と④の残る二つの因子について話したい。
まず、体質顔料とはどういうものかという点から話を始めよう。光を吸収したり反射したりするのではなく、光の大部分を透過させてしまう顔料を体質顔料(英語ではbody)という。白色顔料と同じく白い粉なのだが、実際にメディウムと混ぜてみると、白色顔料のように真っ白にはならず、画像のように乳白のペーストができ、実際に塗り拡げてみるとほとんど透明に見える。
一般的に有色顔料とは水や溶剤に溶けない粉で、可視光線の内の特定の波長を吸収して、残りの波長の光だけを反射するものの事を言う。・・・って、そんなことを言われても何のことかわからないかもしれない。人間が目で見て感じることのできる可視光線は380nm~780nmの波長領域にある。nmはナノメーターと読む長さの単位で、肉眼では見る事のできないとても小さな長さである。概ね長さの単位は1/1000ずつ小さくなっていくが、1mの1/1000が1mm、1mmの1/1000がμm(マイクロメーター)、さらに1μmの1/1000が1nmである。換算すると1mmの100万分の1が1nmということになる。余談ながら、ナノテク(ナノテクノロジーの略)という言葉があるが、このとても小さいサイズのものを扱う技術という意味である。さて、元に戻って光の波長の話である。380nmより短ければ紫外線となり、780nmより長ければ赤外線になるので、人間が見る事の出来る波長領域はわずかな範囲でしかない。プリズムで分けられた色や虹を思い浮かべると良いが、短い方は紫で長い方は赤である。例えば、380~600nm辺りの波長を吸収する粉があるとすれば、反射して出てくるのは長波長側しかないので、人間はそれを赤い粉だと認識する。黒はその光のほとんどを吸収して返ってこないものを指しており、逆に白は可視光の大半を反射して返してくる。これが一般的な顔料である。ところが、体質顔料は固着材・・油絵具ならば油、水彩ならばアラビアゴムなど・・と屈折率が近いのでそのまま光を透過してしまうのである。例えば図は様々な体質顔料と水彩のメディウムを混ぜて絵具を作り、それを黒いケント紙に塗ったものである。いずれもボーッと白いが、はっきりした白とは異なり、ほとんど透明になる。特にシリカやケイ酸アルミニウムなどでは、ほぼ透明と言って良いものになっている。これは水彩のメディウムの場合だが、固着材によって屈折率が異なるために、同じ体質顔料であっても、油絵具やアクリル絵具に使う時では、透明性が同じではない。従って、水彩、アクリル、油絵具それぞれに使われる体質顔料も異なっている。体質顔料として使われる主なものは、炭酸カルシウム、炭酸マグネシウム、硫酸バリウム、クレー、シリカ、ケイ酸アルミニウム、タルクなど多岐にわたり、それぞれコーティング材の違いや粒子径などの違いにより多種多様な材料がある。
ただ、透明性というのは必ずしも、材質の屈折率だけによるものではなく、その粒子径によっても異なるのだが、話がややこしくなるので、ここでは細かい話は省く。さて、この体質顔料はほとんどの絵具に含まれているわけだが、では何のために使われるのかということである。だいたい、次のような用途に集約されるであろう。
1.着色力の調整
2.絵具の安定性の付与
3.透明、不透明性の調整
4.粘性の調整
5.価格調整
絵を描く人と話をすると、絵具を「濃い」「薄い」で片付けてしまう人が多い。我々にとって、それが「着色力」の事を指しているのか、「隠ぺい力」の事を指しているのかがわからずに困惑する事もしばしばである。着色力というのは、2つの色を混合した時に自分の色の方に引き寄せる力の事を言う。図で説明しよう。着色力の異なる2種類の赤と同じ黄色を混ぜたとき、着色力の強い赤と混ぜると赤味のオレンジができ、弱い赤と混ぜると黄色味のオレンジとなる。
隠ぺい力の方は、塗り重ねた時に下地の色を隠す力の事である。図のように同じ黄色を下地に塗っておき、そこに隠ぺい力の強い赤を塗り重ねると下地が隠されてしまうのに対して、弱い赤では下地が見える。
これらは同じ様に見えて全く違う性能であり、一般的にはカドミウムレッドやコバルトブルーなど無機系の色は隠ぺい力は強いが着色力は弱い。逆にピロールレッドやフタロシアニンブルーなどの有機系の色は隠ぺい力は弱いものの着色力が強い。こうした特性を理解していない人が「カドレッドは濃いからね」などと言われると、ああこの人は隠ぺい力の強いものを「濃い」と言うのだなと我々は理解する。話が逸れてしまったが、無機系の顔料においては、もともと着色力が強くはなく、また顔料粒子が大きくてたくさんの顔料濃度に作れることから、体質顔料をたくさん使う必要がない。せっかくの隠ぺい性を薄めてしまうことにもなる。ところが有機顔料系はほとんどのものが着色力が強い。例えばジオキサジンバイオレットやフタロシアニンブルーなどは極めて着色力が強いものの代表である。もしこれらに体質顔料を加えなければ、他の色と混ぜたときにほとんど自分の色にしてしまって、混色バランスが取りにくい。このために、こうした着色力の強い色には多くの体質顔料を加えるのが普通である。
2番目に挙げた安定性の問題であるが、主には微少粒子径をもつ顔料において顕著な凝集性を弱めるために入れることが多い。小さい者は群れたがる人間世界と同じで、モノは小さくなると塊となりやすい。古い絵具をしぼり出した時に、ブツブツが感じられることがあるかもしれないが、長い時間を経て顔料が凝集してしまった例である。これらの性質を緩和するために体質顔料を混ぜるのである。その他にもそれぞれの顔料には多様なくせがあるので、個々のくせを打ち消すような体質顔料が用いられる。
3つ目の透明性や不透明性の付与も体質顔料を用いる大きな目的の一つである。顔料には酸化鉄(弁柄)のように隠ぺい力の強すぎるものもあれば、テールベルトのように透明なものもあって、それぞれ多少でもバランスをとらないと他の色と合わせて使いづらいものもあるので、体質顔料を混ぜてバランスをとることになる。また、ポスターカラーの絵具を思い浮かべるとわかる通り、通常の水彩絵具などと比べると不透明性が高いが、有色顔料を多く入れていくと価格的に合わなくなるので、不透明性の高い体質顔料を入れて不透明にするのが普通である。
4つ目の粘性の調整については、一般の人にはほとんどわからないことであるかと思う。有色顔料濃度を色濃度で合わせて行くと、所定の粘度に達しないことがしばしば起こるので、これらの調整に体質顔料を使う。それ以外にも顔料のもつ粘性特質の緩和のために使うのが普通である。例えばイエローオーカーは針状結晶であるために普通に絵具を作ると、絵具が切れず糸を引くようにだらだらと流れてしまう。これらを調整するのも体質顔料の働きである。
最後にコストダウンのための体質顔料の使用法について述べよう。正直なところ、優良な専門家用絵具メーカーにおいては、明確なコストダウンを目的として体質顔料を使うことはあまりないと信じたい。ほとんどがこれまでに述べてきた理由により使用されている場合が多い。特定の顔料価格が高騰したり、稀少顔料であったりした場合、普通に絵具を作るととんでもない価格となって買ってもらえない可能性があって、そういう場合に体質顔料で価格調整をすることはありうるだろう。そうではなくて、どう考えてもこの価格でこの絵具が提供できるはずがないと思える低級品を販売しているメーカーもある。コバルトブルー顔料配合率が30%でも60%でも見た目に大きく変わらないものを作ることは可能だ。絵具の価格の大半は有色顔料の含有率に支配されるので、その場合には半額に近い価格で売られても不思議ではないだろう。その30%の隙間を体質顔料で埋めているので、彩度は低くなり、隠ぺい力も低下するが、それでも良いんだという人がいるを咎めるつもりはない。これが油絵具であった場合、塗っている時には変わりなく見えても、実際に乾いてみると色の冴えは歴然とするし、やがて時間が経って乾性油が黄変してくると顔料濃度の低いものは色の濁りが明白になるだろう。もっとも、そういう問題に頓着しない人にとっては意味の無い論議かもしれない。
さて、体質顔料に関する話はこれくらいにして、絵具の価格について最も直裁的な影響を及ぼす比重の問題について話を進めたい。皆さんがお買いになる絵具の価格差は全て同一容量でのものであるということだ。よくある油絵具の一般的な6号チューブには20mlが入っており、水彩の2号チューブには5mlが入っている。ところが材料は全て重量売りなのである。顔料も1kgあたりの価格で売買されるし、糊材であるアラビアゴムも乾性油も同じである。無機系の代表的な黄色顔料であるカドミウムイエローの比重は5.0くらいなのに対して、有機系の黄色顔料であるハンザイエロー10Gは1.6程度である。それぞれを10kg買ったとすれば、ハンザイエローの嵩はカドミウムイエローの3倍以上となる。もし、吸油量などの話を無視して全く同じ含有量で絵具を作ったとしても、カドミウムイエローは3倍以上の比重となり、同容量で売るならば価格は3倍になることがわかるはずだ。つまり、絵具比重が2倍になれば、価格も2倍になるという単純な理屈である。重金属を含む無機系色は顔料自体の値段が高いだけではなく、吸油量が低くて含有率が高く、なおかつ重いので、それらが全て価格に反映されていることになる。
この辺りのカラクリがわかっているのかいないのか、高齢の画家には重いものが良いものだという固定概念が根付いてしまっている。おそらく、20世紀後半に至るまで、現在使われているような優秀な有機顔料が多くは開発されていなかった。その時代においては、優秀な顔料と言えばやはり無機顔料であったので、「無機系=重い=優秀」という概念がこびりついてしまったのは致し方の無いところかと思う。しかし、有機顔料も随分優秀なものが多くなり、無機系との違いは決して優劣ではなく、むしろその使い道にあると私は思っている。
もう一つだけ、大きな勘違いのあるものに言及したい。それは前述の体質顔料にも関わっている話である。国産の最大のシェアを持つメーカー(A社)、ヨーロッパで最も古くから水彩を作っているメーカー(B社)、同じくヨーロッパの著名なメーカーで、著名作家達も使っている(C社)の3社について、同じ有機顔料を使用した水彩絵具の価格を比較してみたい。だいたいB社はA社の2倍であるが、それは関税や運送費用などを考えた場合、想定の範囲内であると思う。実際にこの2社の米国での価格は逆転しているのだから。ところが、C社の価格はA社の5~7倍、B社と比べても2.5~3.5倍である。私は以前からこのことに大きな疑問をもっていた。そもそも5mlの小さな容量の絵具で、それほどの差違が生じうるだろうか。使っている顔料も同じ、使用量にも大差がなく、作り方に特別な技術が存在しない。むしろ最近の有機顔料は輸入品が多く、国産のものの方が購入コストは高いはず。となれば、何によってその差異が生じているかを知りたくて、いろいろ調べてみた。まず、使用顔料が全く同様で単一顔料(下記)を使っているとわかっている3色について、ウォーターフォード、アルシュ、ファブリアーノの3種の代表的な水彩紙に塗布して、分光測色計で彩度(C*)を測ってみた。
○PR122 キナクリドンマゼンタ
○PY154 イミダゾロンイエロー
○PG7 フタロシアニングリーン
これらを繰り返しテストをして分散分析してみると、大きな有意差があり、A≒B>Cで、それも大差でC社の彩度が低いことがわかった。C社も同じ顔料を使いながら、なぜそうなるのか不思議であったので、中身を分析してみることにしたら、結果はとても意外なものだった。体質顔料として硫酸バリウムがたくさん使われていたのである。他のメーカーで水彩に硫酸バリウムを体質顔料として使っているメーカーは皆無である。理由は簡単で、透明水彩に使うには①不透明性が高く、発色が鈍くなること、②吸水量が低く、粘度保持にたくさんの量が必要であること、③比重が大きすぎること、などがその理由である。比重が大きくて、吸水量が低いという事は、それ自体の沈降速度が速くなることであり、当然、チューブ内でのメディウム分離の確率も高くなる。硫酸バリウムというのは、比重が4.3もあって、数ある体質顔料のなかでも際立って比重の高い顔料なのである。しかもたくさん使わないと、粘度が保持できないので、これを使うと絵具比重が数倍となるような絵具が簡単にできてしまう。そうなると大きな値段格差が生ずるのも納得できる。決して、たんさんの有色顔料が使われているわけでも何でも無い。こうしたデメリットが大きい故に通常は使わない体質顔料をC社が選択した理由についてはよくわからない。考えられるとすれば、通常使う体質顔料はだいたい吸水量が高くて、チクソトロピック(力を加えないと動き出さない)流動特性を持つのに対して、硫酸バリウムならばニュートニアン、つまり水が流れるような流動性が得られるためかと思う。あるいは、あえて色を落とし、少し不透明感をもたせて、直裁的に対象物の色に近づけようとしているのかもしれない。そのあたりは想像でしかない。
私はこの絵具を決して否定ているわけではない。当然の事ながら、それも個性であり、その使い勝手と価格がマッチしているのであれば、なんの問題も無い。しかし、今はもうリタイヤして絵具を作ってはいないが、「あんたとこもなあ、C社みたいになあ、重くてきれいな絵具を作らんとあかんなあ。」みたいなことを言う人がいると相変わらず癪に障るのである。昔、呉服屋を営んでいた従兄弟に言われたことがある。「ここにな、ええ帯やねんけど、10万の値札つけてたら、売れへんかったやつがあるねん。これをどうしたら売れたと思う。半額にした? 違うんやなあ。3倍の値札つけたんや。そしたらな、すぐに売れたわ。ものの値段とはそういうもんや。」・・・なるほどと私は変に納得した。人が良い物だからと言うのを鵜呑みにするのでは無く、自分の目でものを見る力をつけたいと思うが、凡愚にはなかなか難しい。
完
≪本文画材紹介≫
・ウォーターフォード
https://gazaizukan.jp/gaz_serieslist?srid=1407101
・ファブリアーノ
https://gazaizukan.jp/gaz_serieslist?srid=404501
・アルシュ
https://www.e-maruman.co.jp/lp/arches/lineup_watercolor.html
小杉弘明氏による画材のトリビアコラムを連載します。
小杉弘明 プロフィール
1954年 大阪出身。
1977年 大阪府立大学 工学部応用化学科卒。
元ホルベイン工業株式会社 技術部長。
現カルチャーセンター講師。
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