画材のトリビア

画材のトリビア5 2024-03-05

「エマルジョンと言う勿れ ②」

 今回はアクリル樹脂そのものの話をしたい。アクリルで連想されるものといえば写真の通り、セーターなどに使われるアクリル繊維、美ら海水族館や海遊館など水族館の大きな水槽、そして絵具などに使われる接着剤である。極めて透明性が高く、耐久性が高いのが様々な用途で使われる理由だろう。大きな水槽はアクリル板を何層にも重ねて接着剤で接着したものだそうだ。光透過性が低ければジンベイザメをクリアに見る事ができないし、そもそもあれだけ多量の水を受け入れて壊れることもないので、強度が極めて高い事もわかるだろう。ちなみに水槽に使われるアクリル樹脂が耐水性にすぐれていることは言うまでも無いことだ。少しでも水に溶けるようなものならば、今頃、魚たちは昇天しているだろう。また、アクリル樹脂は屈折率がかなり水に近い。空気の屈折率が1.00で水が1.33だから、光は水に入るときに折れ曲がる。風呂に入ったときに手が曲がって見えるが、これはこの屈折率の違いによる。従って、水槽もできるだけ曲がりの少ないものの方が自然に見える。ガラスはその組成によってたくさんの種類があり、それぞれに屈折率が異なるが1.4~2.0くらいで、アクリルは1.49だから、相当に水との屈折率差が小さい樹脂だとわかる。

 さて、ではアクリル樹脂とは何かといえば、有機酸の一つであるアクリル酸を骨格とするポリマーのことである。では、アクリル酸の言葉に含まれる酸とは何か。酸と聞くと、塩酸や硝酸、硫酸などの無機酸を思い浮かべる人が多いと思うが、有機酸とは基本的に水に溶けて酸性を示す有機物の総称で、主に(-COOH)の形をしたカルボン酸を含むものを指す。最も単純なのが蟻酸(HCOOH)で、蟻の頭に含まれている。確か特定の蟻が料理にも使われ、私は食べたことが無いが、爽やかな酸味が感じられるらしい。次に一つだけ炭素が増えたのが酢酸(CH3COOH)で、それの薄い水溶液がお酢である。では、アクリル酸とは何かというと、ビニル基(H2C=CH-) にカルボン酸がついた、図のような構造を持つ化合物である。・・・この時点で、99%の人が話から脱落したかも・・・えいやっと言ってしまえば、アクリル酸とは反応性の高いお酢(酢酸)の仲間だ。では、アクリル酸がアクリル樹脂の本体かと言えばそうではなくて、それをエテスル化しないといけない。

基本的には酸とアルコールを化学反応させるとエステルができる。どちらにも「OH」がくっついているので、これらに熱をかけて化学反応させると、「O」一つと「H」が二つ、つまり「H2O(水)」がとれて2つの化合物が残った「O」を挟んでくっついてしまうのだ。水が取れて2つがくっつくので脱水縮合反応と言われ、できたものがエステル化合物である。

実は衣服に使われるポリエステル樹脂もこうした反応によってできている。余談になるが、化学をかじった人間にとって、なやましいものはこの命名法だ。難解な余談なので、この項はすっ飛ばして頂いて結構。ポリエステル樹脂というのは、一般的に多価有機酸(一つの分子内に酸基が二つ以上ついたもの)と多価アルコール(同じく二つ以上のアルコール基のついたもの)から縮合反応させてできるエステル化合物の事を指している。例えば、典型的なのが酸基を二つ持つフタル酸とアルコール基を二つ持つエチレングリコールを結合させてできるポリエチレンテレフタレート・・いわゆるPETである。ポリエステルという言葉だけをとらえるならば、エステル化合物の重合物なので、こんな特定のモノを指す言葉ではないはずなのに、これが世の中に定着してしまっているのが我々の居心地の悪さである。みなさんはポンカンも八朔も夏みかんも、それぞれの名称で呼ぶだろう。単にみかんといえば温州蜜柑のことを思い浮かべるに違いない。なのに特定の品種の柑橘類に対して、「みかん」という名前をつけてしまったら、あれっと思うだろうに。アクリル樹脂だって、ポリエステルなのだし、エステル化合物は山ほどある。ちなみに油絵具に使う乾性油もエステルである。

 あまりに話がわき道に逸れたので元に戻そう。アクリル酸とメタノール(メチルアルコール)を反応させるとアクリル酸メチルができるのだが、これこそがアクリル樹脂のモノマーなのである。実際に良く使われるアクリル樹脂は、もう少しだけ複雑で、アクリル酸側にメチル基のついたメタクリル酸が主体である。これのメチルエステル、メタクリル酸メチル(MMAと略される)こそがアクリル樹脂の本体である。こうして作られたモノマーを重合させてポリマーにしたものこそが絵具に使われるアクリル樹脂なのだ。ちなみに木工用ボンドに使われる酢酸ビニルとアクリル酸メチルの構造を図示したが、酸素「O」の位置が異なるだけで、兄弟みたいに似ていることがわかるだろう。

 絵具に使われるアクリル樹脂の話として、是非言っておきたいことがある。それはアクリル絵具といいながら、世界中のアクリル絵具メーカーの使っている樹脂が全て異なっていて、必ずしもピュアなアクリル樹脂ではないことだ。ポリマーとは第1話で話をしたように特定のユニットをたくさん繋げたものの事だが、それが単一のユニットからなるホモポリマーと複数のユニットからできるコポリマー(共重合物)とがある。AというユニットとBというユニットがあるとすれば、以下の通りの概念である。

ホモポリマー  -A-A-A-A-A-A-A-A-
コポリマー   -A-B-A-B-A-B-A-B-

コポリマーのAとBの並び方もランダムに並んでいるものもあれば、ブロックごとに並んでいるものもあり、様々である。例えば、先ほど述べた酢酸ビニルとアクリル酸メチルでできるコポリマーがあって、酢ビ-アクリル樹脂と呼ばれる。他にもスチレン-アクリル樹脂など、アクリルを含むコポリマーは様々有る。絵具メーカーがアクリル絵具に使うものにはコポリマーも多く、決してアクリルのホモポリマーではない。当然のことながら、コポリマーになれば、純粋なアクリル樹脂とは性質も異なってくる。耐水性や硬度、透明性、pH依存性など厳密に言えば異なるということだ。メーカー毎にポリシーがあって、ポリマーの種類を選んでいるので、別にホモポリマーが良いとかコポリマーが良いとかいう話では無い。とても透明な絵具を愛する画家もいれば、少し不透明性のあるものの方が描きやすいと感じる画家もいて、描き手も千差万別だから、各社ごとのバリエーションがある方がむしろ自然だ。

 ただ、それぞれの樹脂が異なっているので、同じアクリル絵具と言っても性質が全て異なるという点には注意した方が良い。油絵具なんかでいえば、どんなメーカーであっても使っているものはリンシードやポピーなどの乾性油であるので、お互いを混ぜても塗り重ねても問題の起こる危険性は少ない。ところがアクリルの場合、それぞれのメーカー毎に性質が異なるために安全とは言いがたい。例えば、あるメーカーのチューブタイプにはピュアなアクリル樹脂が使われているが、耐水性が強く、pHによる粘度依存が大きい。これに対して、pHの高い樹脂を使っている他社の絵具を混ぜると、ぎゅっと粘度が高くなったりする。また、耐水性の低い樹脂タイプの絵具を下地にして、耐水性の優れた絵具を塗ると下地が耐えられなくなって、皺寄りが生じたりする。つまり、水彩や油絵具と違って、アクリル絵具はメーカー毎に別な絵具であると認識すべきなのである。実際には、いくつかのメーカーのアクリル絵具を併用もしくは混合して使うという人は皆無かと思う。ところが、メディウムはどうか。ジェッソなんてどこのでも一緒と思っていないだろうか。自分の使っているメーカーのジェルメディウムが売り切れていたので、今回は別なメーカーのを買ってみようとしないだろうか。これらの事は往々にしてあることだろう。考えてみればわかる通り、絵具メーカーは自社のジェッソを作るのに絵具と別な樹脂を使うはずがない。ジェルメディウムも絵具に使う樹脂を増粘させたものである。耐水性の弱いジェッソに耐水性の強い絵具を使って描けばトラブルが起こっても不思議では無いということだ。もし、買ってしまった人はそれらの混合や併用に問題がないかすぐにわかるので、まずは本制作にかかる前によく試してみることだ。

 ここまでアクリル樹脂の話をしてきたわけだが、これは当然油性のものである。決して水に溶けたりしない。なのに皆さんが使うアクリル絵具がなぜ水で溶けるのだろう。この辺りの話とタイトルの種明かしは次回のお楽しみである。

小杉弘明

小杉弘明氏による画材のトリビアコラムを連載します。

小杉弘明 プロフィール

1954年 大阪出身。

1977年 大阪府立大学 工学部応用化学科卒。

元ホルベイン工業株式会社 技術部長。

現カルチャーセンター講師。

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