年末に掃除していて、つい、腰を痛め、動くのがおっくうになった。で、本を見て過ごしていると、「人形は人間から離れるほどかわいく、近づく程不気味になる。」という文に目がとまった(出川直樹『机上の宇宙・わが偏愛の骨董コレクション』平凡社)。ああ、確かに。
人形、ではないが、この文に触発されて思い出したことがある。
以前、偶然通りかかった新宿・高島屋のロビーで、大阪大学の石黒浩さんが作った人間の若い女性そっくりのロボットが展示されているのに出くわして、とてもびっくりしたのだ。
ガラスケースに入った若い女性を、人々が取り巻いて見入っていた。女性は、人々に反応するように顔の向きを変え、表情を変化させ、ガラス越しに声を出して話していた。何か変な感じがした。それで、あ、作り物(この場合ロボット)、と気づけるのだった。「何か変な感じ」から、「作り物」、つまり「あの評判の遠隔操作されたロボット」、と判断するまでの間の奇妙な戸惑い。その中には、確かに不気味さというものが含まれていた。同じようなロボットがTVのCMに登場していたし、石黒浩という人の評判は知っていたから、比較的たやすく判断できたが、何も知らなければ、ロボットだとは気づけなかったかもしれない。多くの人々が立ち止まって見入っていたことから分かるように、本物そっくり、という“作り物”に、人は不気味さを感じながらも強く引きつけられる。
そういえば、日本人が作るロボットは人間の形状をもとにしているが、アメリカ人が作るロボットはそうではない、という話がある。はじめて二足歩行を実現したロボットを作ったのはホンダ、言うまでもなく日本の企業だ。二足歩行は人間の姿をモトにしてのことだろう。これに対してアメリカでは、例えば折り紙を参考にしながら極小ロボットを考案したりするらしい。その極小ロボットは血液の流れとともに血管を通って患部に至り、そこで動いて患部の治療に当たる、というように構想、計画されているそうだ。カテーテルより患者の負担が少なくなるように、というわけだ。軍事用の無人偵察機なども人間の姿からほど遠いロボットだ。あ、そうそう、今なら円盤形のお掃除ロボット。確かに人間の形状からはほど遠い。
以上、お掃除ロボットのことは除いて、テレビ番組で仕入れた話。
つづく