そういうわけで、さっそく宇田さんの新しい本(宇田智子『市場のことば、本の声』晶文社)を読んでいると、私のお店がウララにつぐ狭さ、つまり日本で二番目に狭い古本屋ではない(!)というようなことが書いてあるので、すっかり意気消沈してしまった。
なんでも、那覇の栄町市場の中に「宮里小書店(みやざとこしょてん)」という古本屋があって、あれっ? ここは「ウララ」より狭くないか? と他ならぬ宇田さんが感じている、とあった。でも、店主の宮里千里さんは「日本一狭い古本屋はウララさんで間違いなし」と「日本一」の座を宇田さんに譲ってくれているらしい。大人の宮里さん、と宇田さんは書いている。
そりゃあね、お二人の間では譲り合いでもなんでもやっていただきたいけど、私のお店の地位が、ウララの次の狭さ、というのと、ウララの次の次の狭さ、というのでは、インパクトが違いすぎるじゃないですか? だいたい、先の原稿では、宇田さんに気を使って「狭さ」ではなく「小ささ」と書いたのに、もう!
ま、いいか。
モンダイは、ゴードン・マッタ=クラークなのだ。
会場に展示されていたのは、ドローイング、写真、動画、図面や印刷物など各種資料、ガラスのブロック、それから今回のために新たに作られた(らしき)二つの大きな模型や金網などである。あと、切断した建物の標本(屋根の四隅の現物)。そして、お持ち帰りできるおみやげ(「壁=紙」1972年、からの印刷物)。おみやげは、フェリックス・ゴンザレス・トレスの“ポスター”や“飴”のことを連想させられるが、1972年の発表当時も「裁断されて折りたたまれ、ちょうど新聞紙の束のようになった《壁=紙》が床に山住みされ、来場者は自由に持ち帰ることができた」(カタログの解説文より)らしい。とっても嬉しかった。
時系列に添っての展示ではなく、美術館→住まい→ストリート→港→市場、という順に分類・編集し、動線をつくって展示している。映像プロジェクションも多い。総じて、東京国立近代美術館はマッタ=クラークの業績をこう読み込みました、という研究発表の趣である。もちろん会場の雰囲気作りも忘れられず作り込まれて、“研究発表”の堅苦しさを回避する苦肉の努力がなされている(そういえば、神奈川県立近代美術館葉山での「ブルーノ・ムナーリ展」の会場構成の堅苦しさは、いまだに印象に残っているくらいだった)。とはいえ、会場作りには、色々感じるところはあった。が、深入りしない。
ゴードン・マッタ=クラークのやったことはとっても面白い。すごい人だ。常識をやすやすと乗り越えて行く。というか、そんなことができるのは、実に勤勉で真面目だからで、物事を根底から自分で考え直し組み立て直すことが身についているからだ。あの有名な「スプリッティング」(1974年)を例にして、少し考えてみたい。
「スプリッティング」は、“住まい”というテーマのもとに分類・整理されて展示されていた。実際の家を縦に真っ二つに切断した作品だ。なぜそんなことを思いついたのか? (建築の素養がそうさせた。) そして、どんなふうにやってのけたのか? (周到にやってのけた。)
つづく→